子どもに謝ることができるか否か
自分の非を認め、謝ることができる人はかっこいいと思います。
僕もそうありたいと思っています。
それは誰に対してもそうです。例え、10歳以上年下の子どもだとしてでもです。
でも、そんな意思を挫いてくる恐怖感が学校には確実に存在します。
それは、「先生としての威厳を保たなくてはならない」という考えに由来しているのだと思います。
だから、先生にとって、子どもに謝るというのは口で言うより、すごく勇気があることなんです。少なくとも僕にとっては。
でも、それでも、そんな恐怖心に打ち勝って、自分に非があれば子どもに頭を下げるということを繰り返してきました。
それがきっと、子どもにとって良い影響を与えることになると信じて。
そしてついこの間、この「謝る」ということについて過去最高の試練が訪れました。
ある児童が怒りを抑えられず、僕に手を出しました。
僕はこの時、過去最高レベルで叱りました。暴力は決して許されないことであり、ここは強く言わなければならないと思ったからです。
本当にそうでしょうか?
この時僕は「この子のために」理性的に叱ることができていたのでしょうか?
いいえ、違います。
「先生に手をあげるとは何事か!!何があっても謝らせる。屈服させる。ここで屈服させなければ、他の児童への示しがつかない!!」
という気持ちがあったのだと思います。
『示しがつかなくなる』という恐怖心から、自分もイライラが抑えられなくなり、それを児童にぶつけました。下の下の指導でした。
彼も一度イライラすると抑えられなくなるタイプです。僕に残った最後の理性が、お互い冷静にならないとまずいと判断してくれ、一旦その場は退きました。
ここからはまた、恐怖心との戦いです。
周りの児童から見たら、僕が退いた=負けたってことになる。
よって、「先生って大したことない」ってことになるかもしれない。
このまま僕のいうことを聞いてくれなくなるかもしれない。
そんな考えが頭をぐるぐるしました。
こんなんだから、イライラは全然収まらず、すぐにでもその児童にぶつけたくなりました。
でもここで気づいたんです。
みんなが心配そうに僕を見つめていることに。
みんながこの目をするときは決まって
「先生らしくないよ」
っていうメッセージを伝えてくれている時です。自分に余裕がない時、イライラしている時、いっつもみんなこんな目をします。
そんなみんなの様子を見て、急に冷静になりました。
確かに僕らしくなかった。
不当な感情に流されて、不適切な指導をしてしまった。
大人気なかった。
よし・・・。
謝ろう
そう思いました。
そしてどうやって謝るのかを考えました。
僕の何が良くなかったか。
それは、彼とは無関係な不当な感情に流されたこと。
自分の都合でイライラして、自分を見失って、誤った指導をしたこと。
ん・・・??待てよ??
これって、彼と一緒じゃないか?
彼もイライラしたせいで自分を見失った。そして彼らしくないこと(暴力)をしてしまった。
彼も僕と同じように後悔しているんじゃないか?謝りたいと思っているんじゃないか?
じゃあ、なおさらこっちがきっかけを作ってあげないと。僕がお手本を見せないと。よし。やっぱり謝ろう。
僕は彼に「謝りたいことがある」と言い、自分の何が悪かったかを伝え、頭を下げました。
すると・・・
「僕もごめんなさい」
と自分から、素直に謝ってくれました。「あなたも謝れ」なんて言ってません。
予想通り、彼も「悪い」と反省していて、でもそのきっかけが掴めなかっただけだったんです。
その後、
先生もハルク(怒って感情をコントロールできない状態)になって自分らしくない指導をしてしまったこと。
自分も久しぶりにハルクになってあなたの気持ちがよくわかったということ。
ここまで共感した上で、
それでも暴力は良くないこと。
を伝え、
これからハルクになってしまったらどうしようかということを一緒に考えました。
指導はよく通りました。
もしこの局面で、僕が感情任せに、彼を屈服させることを目的に指導をしてしまっていたら・・・
「ごめんなさい」
という言葉は言わせることはできたでしょうが、彼との信頼は無くなり、他の児童との信頼も崩れていたでしょう。
本当に危なかったと思います。
この話には続きがあります。
今、僕の学校では「ありがとうカード」という取り組みをやっています。
そこに「ありがとう」の気持ちを伝えたい人の名前とその内容を書いてポストに入れるのですが、その中に
「Pu先生へ」
と書いてあるものがありました。
「誰からかな?」と思って見てみると、彼からでした。
数時間までバチばちにやり合ってた彼です。
そこに、
「人の気持ちがよくわかって、優しく声かけができるPu先生を尊敬します」
そう書いてありました。
僕は、涙が出そうになりました。
やっぱりそうなんです。
先生は謝っても良いんです。
威厳を保とうとしなくて良いんです。
子どもの目線に立って、一人の人間として接して、その上で子どもの足りない部分はアシストしてあげる。
それが、子どもとの関係づくりの基本だと、再確認することができました。
この出来事はこれから先の行動の指針になりそうです。
ここまで読んでくれて、ありがとうございました!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?