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抽象と具体。理想と現実。理論と実践。学会と現場。どこで生きようか。


僕は今、自分の居場所を探っています。


抽象と具体。理想と現実。理論と実践。このような言葉があります。どれも異なった意味をもちますが、ピラミッド構図をもつと言う意味では同じです。

ピラミッドをイメージしてみてください。頂点に近いほど数が少なくなり、下に行くほど数が多くなります。

そして、理想と現実、理論と実践は抽象と具体の、具体とも言えるのではないかと思います。

 僕は今、このピラミッド構図のどこで生きるかを探っています。


このような悩みをいつもお世話になっている大学の先生に打ち上げたところ、プリントを手渡されました。それは、学会の実施要項でした。「ここに行けばなにかが分かるかもそれない」そう言われ、先日初めて学会に行ってみました。

結論から言うと、何もわかりませんでした。自分の居場所も見つからなかったし、学会の発表そのものの内容も理解できませんでした。発表者の扱う言葉や考えの抽象度が高すぎて、僕の抽象思考レベルでは太刀打ちができませんでした。

学会から帰る時、学会に対して強い反感を抱きました。「なんだこの議論。現場が地上戦だとしたら、まるで宇宙戦じゃないか。ここで議論したことがどう現場に生きるっていうんだ。現場と学会の接合点が全く見当たらない」。


でも内心では気づいていました。この反感が、学会そのものへの反感ではなく、学会で扱われる内容を理解できなかった悔しさからくるものだと。同時に、この世界をもっと知りたい。教育に真理、またはそれに近しいものがあるとするならば、それを知りたい。という思いをもっていることも。

このように、表面では学会を否定しながらも、内面では学会に憧れを抱き、抽象度が高い言葉を自在に操る人達をかっこいいと思っている自分がいます。

かといって僕は子供と過ごす現場での日々が大好きです。 現場の先生と子供との関わりの中でしか、教育の価値は生まれないのかなって思います。




今回の経験を踏まえ、最初の問いに戻ります。じゃあ僕は抽象ー具体のピラミッドのどこで生きれば良いのでしょうか?

路頭に迷った時の基本は自分の原点に立ち返ることです。ということです自分のミッションに立ち返りましょう。

僕のミッションは「すべての子どもを人生の主人公に」です。これは到達目標ではなくこのような状態を目指して頑張ろうという類の、行動目標的なものです。

このミッションを想定した時に、二つ確実にいえることがあります。

一つ目は理論(抽象)なくして実現は不可能であること。

二つ目は実践(具体)なくして実現は不可能であるということです。

だから、自動的にピラミッドの両極端である「野生のカンを武器とした教師」「研究室に籠る研究者」は選択肢から外れます。

じゃあ、あとはどっち寄りで生きていくかということです。今確定する必要はないと思いますが、自分のミッション実現に近いのはどっちかを冷静に考えて方向性を打ち出してみましょう。



考えてみましたが、結論どっちでもいいことが分かりました。理論と実践という区分も曖昧で、どの位置から見るかで理論か実践かは変わります。例えば教育学は現場から見たら理論だけれども、哲学から見たら実践なわけです。

だから、ピラミッドのどの位置にいても何かしらの理論は生み出さないといけないし、実践は行わないといけないのでしょう。

となれば考慮すべきは、自分の適性と興味です。

学会に行って再確認しましたが、僕は学会に参加している人たちのように賢くありません。

ただ、現場の中では比較的理論に興味がある方ではあると思います。なので、カテゴリーとしてはあくまで僕は現場の人間。だけど理論の世界にもたまに顔を出す。くらいが妥当なのかと思います。


 


大学教授と出会ったのも、研究員ななったのも、今回学会に導かれたのも、校長先生から「あまり学術的になりすぎるな」とご助言を頂いたことも、なんだか全て僕が抽象側に流れていることの表出なのでしょう。

結局僕は抽象の世界も好きなのです。

常に自分が今ピラミッドのどの辺にいるのかを意識しながら、自分に為せることを見極めて、少しでもミッションに近づけるよう行動していきたいなと思います。


先輩方はピラミッドのどの辺に位置していますか?(当然どこだろうと上下はない。それぞれ成せることが違うだけ)。よければ教えてください!ここまで読んでくれてありがとうございました😊


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