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15-15(フィフティーン オール)

 夜の繁華街、メインストリートに面したこの8階の建物のテナントはすべて飲食店で占められている。いわゆるスナックやバー、メンバーサロン、割烹などであり、火曜の夜とはいえ、どこもまあまあの客入りに見えた。
 景気が少し上向きだというのも単なる“まやかし”ではないかもしれない。
 僕らは先ほどから、この建物の5階にある店で酒を飲んでいる。夜の10時過ぎに仕事を切り上げて、部下を一人従えてオフィスを出た。

 部下は僕より8つ年下で、今週末に企画のプレゼンテーションを控えて連日企画書と資料作成に取り組んでいる。そろそろ独り立ちさせたいという意図で、僕は今日まであまり助け船を出さなかったのだが、どうも最後の詰めのところで迷路に入り込んでしまい、何が良くて、何が悪いのかという判断があやふやになったらしく、行き詰まっていた。

 本人はかなり前向きに取り組んでいるものだから、僕は思いきって仕事を切り上げさせ、彼を夜の街へと半ば強引に連れ出したのだ。気分転換のきっかけは自分ではなかなか作れないものだ。

 最初は軽く生ビールを居酒屋で飲んで、あれこれ適当につまみながら一応仕事の継続という感じで相談に乗ったりアドバイスを与えたり雑談をした。

 もうそろそろ日付が変わるという時間に1軒目を引き上げて、今いる店にやってきた。居酒屋から今いる店が入ったビルまではワンブロックほどですぐ着いた。エントランスの奥にあるエレベーターホールには他の店のホステスやママが客を送ったり迎えたりで賑わっていた。

「よく来るんですか?ここ」

「前に1回だけ来た。春にキャンペーンやったじゃん。あの連中と。」

 エレベーターの前に立つと、そこにいたストレートヘアで黄色いワンピースを着たスリムなホステスが上向きの矢印を押してくれて、エレベーターはすぐに扉が開いた。僕らは一緒に乗り込んで、彼女がドアを閉めてくれた。

「どちらですか?」と黄色いワンピース。

「5階」手のひらをパーの形にして僕が答えた。

 しばらくの間、乗組員達は押し黙って天井を見つめていた。香水がきつい。エレベーターが5階へ到着して、僕たち2人は無酸素状態から脱出した。

 よかったら、あとで寄ってみて下さいと黄色いワンピースは言い残して更に上の階へと登っていった。行ったらきっと窒息する。

 この店はエレベーターを降りた所がすでに入り口であり、僕は部下に先に進むよう促した。

 彼はドアを開けるとすぐに僕を振り返って「ここですか?」と少し驚きつつ言った。

 そうだよ。さっさと入れ。

 店内は奥に向かって細長い。一番奥まったところに大きくて座り心地が良さそうなソファーとテーブルがあり、入り口からそこまでは長いカウンターが続いている。間接照明のみで構成されているから落ち着く感じだ。

 カウンターの中には洋酒の瓶が並び、天井から吊下がったモニターはNFLのゲームを無音で流してBGMは多分有線放送だと思われる洋楽だった。 カラオケシステムはない。これだけならちょっと洒落たバーであるが、彼が一瞬入店を紬著したのは店の女のこたちのコスチュームのせいだった。全員がバニーガールなのだ。

 最近東急ハンズや雑貨屋なんかで売られているようなチープなものではなく、本格的(なにが本格的かはわからないが)なバニーガールで、肩ヒモはなく、極端なハイレグでおしりはほぼ丸出しだ。

 奥のソファー席は予約のみで通常はカウンターに座る。勿論僕たちはカウンターに座っている。本格的(?)なバニーガールが6人いた。この店の特徴はこのバニーガールだけだ。特別なサービスはない。カウンター越しだからバニーたちも安心しているのかもしれない。客に対しての警戒感のようなものがない。だからお互いリラックスできる。

 僕の部下はどちらかといえば純な男だったから、少し目のやり場に困ったのだろう。気後れをしていた。

 仕事で煮つまった男の治療に、僕はあえてこの店を選んだ。風俗みたいなところではヤツはきっとカッコつける。それより彼が乗り切らなければならない仕事は頭脳をフルチャージさせる仕事だ。そのためには単なる快楽より、非日常的なストレスを与えるといいかもしれないという無責任な上司の実験も兼ねているのだ。

 僕たち二人の前にバニーガールが2人座った。挨拶から適当な話題を探してお互いに相手のキャラクターを掴もうとする時間があって、僕はとまどう彼を少し放っておいた。話題はあっちこっちへ飛び回り、1時間くらいがあっという間に過ぎた。不器用な彼もリラックスしてきたようだ。まあ、ここは少しぐらい会話がなくても目を楽しませてくれる店だし。

 僕のところについてくれたバニーがユニークだった。6人の中で一番凛としていた。彼女は昼間は美容師らしい。接客とサービスが話題となって、彼女は自分は常にプロの自覚を持って、昼も夜も仕事をしていると言った。バニーの衣装は結構大変なものらしい。

 まずね、スタイルに自信がなくちゃダメなの。堂々としてないとカッコ悪いでしょ。それと、これキツイのよ、締め付けが。だから調子に乗って食べたり飲んだりするとライン出ちゃうし。ウチの衣装って本格的(笑い)でしょ下着なんか実はすごいのなんだ(笑い)じゃないとはみ出ちゃうから。それとこのカフスや蝶ネクタイもキリっとしてないとダメなの。襟や袖口が汚れていたり曲がってるなんかは論外。あとね、色んなお客様が来るから、いい感じの人も変な人もエッチな人も。でも、お金いただく訳だから、いい時間を過ごして欲しい。お客さんにとっていい時間だと私にとってもいい時間になるし、苦じゃないしね、その方が。わたし、この仕事はプライド持ってやってるよ。カッコいいでしょ。

「うんカッコいい。」(それにしてもなんていいプロポーションなんだ。)

 昼の仕事は、すでに4年目らしく、ずっと目指してきた職業だと言った。

「もっと勉強したいから外国へ行くの。その貯金のためなんだ。ここ。」

「美容とかエステとかの勉強?」

「それもあるけど、別なこと。ものになるかどうかはわからないけど」

「なに?」

「ひ・み・つ」

 酒を飲む店での女性と客との定石的台詞が飛び出して、僕らは笑った。

 僕の部下は彼女との話しを聞きながら、なぜだかしきりに感心していた。

「休みってあるの?ここは日曜定休だけど、美容院は休みじゃないよね」

 ネクタイをゆるめてほんのり赤くなった顔の部下が訪ねた。

 僕はこうした場所でも絶対にネクタイを緩めない。理由はない。

「ありますよ」

「なにしてるの?」

「プール」

「いいねえ」と僕。

「体動かすの好きなんですよ私。今ね、テニスしたい。」

「テニスできるの?」と僕。

「やったことない。周りにいないんだ」

「教えてやろうか」と、またしても僕。

「ホントですか?」

「いいよ。いいけどまずラケットを買え」

「はい!ええ!ぜったいぜったい!!ねえ、ほんとに教えてくれるの?」

「ラケット買ったら教えてやる」

「買う買う!じゃあ、いつにしようか」

「今週末の日曜の夕方、そっちの美容院が終わった頃は?」

「問題ナシ!!じゃさ、あの交差点のミスドわかる?そこに7時、いい?」

「7時にあがれるの?」

「うん、日曜は早番だから。じゃ、約束ね」


 僕の部下は単なるネタ振り役として短命に終わった。棚ボタはないのだよ。

 そのあと、しばらく彼女とラケット選びのポイントなどを話して盛り上がり頃合を見計らって店を出た。午前2時だった。

「どうだった?」

「いやあ、いろいろ勉強になりました」

「元気出た?結構、あの2人目のおねえちゃんと盛り上がってたじゃん」

「ええ、まあ。でも、おいしいとこ持っていきますねえ。さすが」

「なにが?」「日曜日、テニスでしょ。いいなあ」

「わかんねえって。来るか来ねえかさ、あっ俺このタクシー乗るから、じゃ、お疲れさん。明日遅れんなよ。俺遅れるかもしんないけど。」

「明日、朝9時に打ち合わせじゃないですか。だめですよ、また遅れちゃ。 お疲れ様でした。お気を付けて。今日はありがとうございました」

 タクシーのリア・ウインドウ越しに手を左右に2、3度振って前に向き直り少しだけネクタイを緩めながら(日曜までちょっと走っておこうかな)と僕はぼんやりそう思った。

・・・後半に続く→「40-40(デュース)」

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