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40-40(デュース)

*これには前半があります。まずはそちらからどうぞ*

 クルマのトランクには、常にテニスラケットが入っている。
 数年前まではゴルフクラブのセットと靴が入っていたのだけど、なんか急にカッコ悪く思えてしまって、今では滅多に積まれることはない。
 スポーツセットと呼んでいる使いなれたデイパックの中には、Tシャツとハーフパンツとソックスとタオルが入っている。いつもジムに行くときに持っていくセットだ。これと、お気に入りの黒のナイキシューズを持って、日曜日の夕方に出かけた。

「日曜の夜7時に、ミスドの前で」という約束を、ある女性としたからだ。

 自宅から、クルマで約20分のところに、その“ミスド”がある。 実は、日曜日が完全にオフなのは1ケ月ぶりだ。だから、本当は片付けなきゃならないことが沢山あったんだけど、約束しちゃったんだから仕方ない。

「そんな、常連でもない客との約束なんか、しかも飲んでるんだし、行くだけ損ですって」などと、その約束の場に居合わせた僕の部下は、ゆうべ仕事が終わって別れ際に悔し紛れにそう言った。

 そうだな、確かにいい加減な約束といえばそう言えなくもない。だってこれがどこかの居酒屋か何かで、偶然隣のテーブルにいた初対面の女性と、たまたま話すきっかけができたとして、その勢いで次の休みにテニスをしようと言ったって、うまく事が運ぶなんて事はないし、その相手がまったくテニスをやったことがないとなればなおさらだ。
 しかも僕は「ラケットを買って来い」とまで言い放ったし。

 昨日は1日中雨が降っていた。公休日の土曜の午後に片付けてしまわなければならない仕事のためにオフィスで作業をしていた僕は、彼女が待ち合わせ場所にやってくるのか?と思った。
 ここが判断の難しいところだ。

 例えば、彼女はやってこないとしよう。

 そっちに分があるとするなら、何も忙しい最中に1日とれたオフを有意義に過ごしたほうがよいに決まっているから、あえて出かける必要はない。
 しかし、テニスはしたい。テニスはゴルフと違って、時間が空いたからと一人で打ちっ放しに行く訳にもいかない。壁打ちという方法もあるが、そんな壁がある広場はなかなかないのだ。だから、相手が必要になる。
 以前からクラブに入ろうかと何度も考えたが、僕の仕事は時間が不規則であるし、ジムみたいにフリーで気が向いたときに行ってなんとかなるものでもない。 だから、久々にテニスをしたかったのは本心だ。ましてや約束の相手は実に素敵な若い女性だ。(1回しか会っていないけど、こういうのは直感でわかるものだ)

 彼女が約束通り待ち合わせ場所に来たとしよう。

 もし僕が半信半疑で出かけて、彼女と会っても、すぐその場でできるものではないのがテニスである。 てことは、やっぱコートを確保しとかなきゃならない。予約するのは簡単だ。
 だけど、結局キャンセルすることになるかもしれないしなあ。

 とりあえず保険で誰かをキープしておくべきかな?と思ったが、僕が飲み屋の女の子をテニスに誘ったことはお喋りな部下のおかげで周知の事になっている。う~ん、癪だ。
 などと思いながら、待ち合わせ場所から一番近いコートを電話で1面予約した。 もし彼女が来なかったら、1人でサーブの練習でもしよう。どうでもいいけどさ、雨だしなあ。止むのか?・・・ああ、僕は小心者だなあ、と思っていたら、部下が「そんな、常連でもない客との約束なんか、しかも飲んでるんだし、行くだけ損ですって」と言った。

「うっせえなあ、じゃあさ、明日もし来たら、てめ、月曜日飯おごれよ」と言い返して、彼女のバニーガールスタイルを思い出した。

 雨は昼過ぎに上がった。

 コートは全天候タイプだから夜使うのにはまったく支障ないだろう。 あとは、彼女がラケットを持って現われることだけ期待すればよい。
 いや、ラケットは最悪なくても、なんとかなるだろう。明日の昼飯は結局僕が奢るのかなあ、、、

 雨上がりの日曜日の夕方、道路が混んでいる。クルマを近くに停められるだろうか?
 目的のミスドの前にちょうど1台分のスペースが空いた。ラッキーだ。縦列駐車は得意だから、信号の変わり目を見計らって、ホイールベースがちょっと長目の愛車をすべりこませ、エンジンを止めた。ラケットをトランクから出しそうになって一人で照れた。ここでテニスをするわけじゃないんだから。
 このミスドは地下鉄の駅の真上にある。しかもいつも店内は満席だ。待ち合わせの場所としては不適切だったかな、と思いつつも店の奥のボックス席を見るといた!彼女だ。
 夜の店で間接照明の中、最小限のコスチュームで身を包み、夜の化粧をしていた彼女とは別人のような、むしろスポーティーなイメージだった。淡いオレンジ色のボーダーのTシャツとライトブルーのスウェットパンツに、ニューバランスのテニスシューズを履いて、髪をポニーテールに束ねていた。化粧っ気がなくても美人の彼女だからすぐわかる。自分の身体と壁の間には新品のテニスラケットが見える。文庫本を読んでいた。

「よお!来たんだ?」間抜けな挨拶だ。
「うん、約束したじゃん」そりゃそうだ。
「ラケット、買ったの?」
「そう!見て!教えてくれた通りにショップに行って店員さんにたのんだの」
「どれ、見せてみ」
「はい、あっ何かたのんでこようか?」
「うん、じゃあ、コーヒー。ブラックでいいから」

 彼女は、ラケットを買って、運動ができる格好をして、僕を待っていた。 ちょっと感心した。僕がこの前、初心者に適したラケット選びをアドバイスしておいたのをちゃんと聞いて本当に手に入れて来た。

「はい、コーヒーだよ」
「いくらだっけ?」
「いいよ、ちゃんと来てくれたお礼」
「そうか、じゃあ、これは遠慮なくいただいとくよ、サンキュウ」
 ミスドのコーヒーは、結構好きだったりする。
「いいラケット選んだな。色とグリップがいい感じだ」
「でしょ?あの次の日すぐ買いに行ちゃった」そう言って彼女は笑った。
「こういう色、好きなの?」
「うん、この前、こんな色のネクタイしてたでしょ?あれ印象に残っててね」
 お?ちゃんと見てるもんだなあ。
「今日は時間通りに上がれたの?」
 彼女は美容師で、ここから歩いて5分ほどの美容院に勤めている。
「上がれた、ってゆうか、上がった。テニスだもん。どこでやるの?」
「コートを予約しておいたんだ。そろそろ行こうか」
「うん、あっちょっと待ってて、お手洗い行ってくる」
 心底楽しみにしていたという事が伝わってきて、僕はちゃんとコート予約しておいて本当によかったと、この時思った。

 僕らはテニスコートへ向かった。
 15分ほどの道中彼女はずっとはしゃいだり緊張したりしていた。

「なんかさあ、こう、ドキドキってゆうか、ワクワクてゆうかね、ああ、こんなの久しぶりだよ」

 そう言ってもらうと、僕としても嬉しくなるね。
 コートに到着したときには、すでに周りは暗くなっていてナイター照明に照らされたコートが4面、浮かび上がって見えた。
 向こう2面を使っていた人達が片付けをしてクラブハウスの方へ談笑しながら歩いていって、入れ替わりに新しい利用者がコートへ出て行った。一番手前のコートは先ほどからベテランの男性が2人、真剣にゲームを楽しんでいる。僕もようやく久しぶりにテニスコートに立つ楽しさが湧いてきた。

「着替えてくるけど」
「私は、このままでOKだから」
「じゃあ、軽く身体ほぐしといて」

 着替えた僕は軽くランニングを始めた。コートの外周をグルグル回っていたら彼女が伴走してきて、2人で10周ほど走った。身体が暖まってきた。 筋を伸ばして、関節を回したところで準備はOKだ。さて、どうしようかな。
 まずは楽しませてあげよう。サービスエリアの中だけで軽くボールを打ち合いながら、ボールとラケットの感覚を感じてもらい、なんとなくテニスをしている気分を味わってもらう。慣れてきたところでコートを広く使って打ち合う。初心者にとって30分もやれば、いい加減腕が麻痺してくるはずだ。

 一休み。
「ボールに対する感覚がいいね。何かやってた?」
「バレーボール部」
「道理で反応と体勢の作り方がうまいはずだ」
「結構、いい線?」
「なかなかいいよ」
「ほんと?」

 これなら、案外僕も楽しめそうだ。
 5分ほど休憩して素振りを教えた。やはり基本は大事だ。
 彼女は真剣にやった。普通は飽きるものだが、もともとスポーツが好きなのだろう。額にうっすら汗がにじむまで続けた。その感覚を身体で覚えさせるためにコートのラインに立たせて、手加減せずにこちらからボールを打った。 打ち返させたら、ちゃんと僕のところまでワンバウンドで返ってきた。

「うまいよ」
「うわあ!気もちいい!今、いい音だったよね」飛び上がって喜んでいる。
 隣のコートでゲームをしていたベテランたちも休憩のタバコを吸いながら彼女を見ている。

「続けるぞ」
 僕のこの一言が結局時間がくるまで練習を続けることになってしまった。
 はあ、こんなに真剣に運動したのはいつ以来だろう。こりゃ、明日は筋肉痛だと覚悟した。
 彼女のTシャツは、アンダー・ウェアの形を残して汗を吸っていた。

「最高だね」
「だろ。筋がいいし勘もいいからすぐ上手になるよ」
「コーチがうまいからだよ。ほんとう、ありがとうございました」
「こちらこそ、君が相手で僕も楽しかった」

 僕らはそれぞれ、男女別々の更衣室で着替えた。
 僕が先に更衣室から出て、ロビーでタバコに火をつけた。なんか飲みたいという欲求は強かったが、ぐっとこらえた。ここで我慢しておくとビールが死ぬほどうまくなるからだ。うまいビールを彼女と飲みたいと、僕は考えていた。

「おまたせしました」と言って、彼女が出てきた。
 髪をほどき、着古したネイビーブルーのポロシャツに、ブリーチアウトの501だった。ポロシャツのボタンは留めていなかった。

「ジュース、我慢してたでしょ。わかるわかる。ビールだよね、やっぱ」

 こういう話しが早いところが、なんともいい。僕らは、フロントで支払を済ませて、クルマに乗り込みビールに向かって発進した。2人ともすっかりハイテンションで、ビールだ、テニスだと大騒ぎだった。彼女の住まいに近い駅を目指した。その辺りの居酒屋なら、飲んだ後に彼女を送るのも楽だと思ったからだ。
 適当な居酒屋の前にクルマを停めて、僕らは店に入るなり手でVサインを出し「二人!二人!生2つ!」と口々に言いながら、どかどかとカウンターに陣取った。おしぼりで顔と手を拭いて、ひゃ~とか、あ~とか、変な声を出してビールの到着を待った。
 乾杯して、ゴクリと一気に喉に流し込む。最高だ。
 空腹なのをやっと自覚して、いきなりお茶漬けだの、焼うどんだのピザだの、滅茶苦茶な注文をして、片っ端から平らげていき、3杯目のジョッキが運ばれてきてやっと落ち着いた。

「楽しかったよ」
「楽しかったね。なんかお礼しなきゃね」
「いいよ、お礼なんか。僕は十分に楽しんだよ」
「教え方がうまいよね。ついつい真剣になっちゃったもん」
「好きだからだよ、きっと。スポーツというか、真剣なのが」

 それからは上達のためのポイント指摘をいくつかしながら2人とも飲み物を変えた。僕はレモンサワーで彼女はウーロンハイだ。


 「あのさあ、いっこ聞いていいかな?」

 僕は、ずっと聞こうと思っていた質問を彼女に向けてみた。

「なんでOKだったの?」(野暮なのは百も承知。)

「え?ああ、今日のこと?だって、ずっとやりたかったんだもん、テニス」

「誘われたりするチャンスはいくらでもあるだろう」

 彼女なら例えバニーガールの格好をしていなくても誘われることはあるはずだ。

「あるよ。だけどさあ、みんな口ばっかなんだもん。結局、女の子とよろしくやることが目的だし、見え見えだもん」

「僕だって、そうかもしれないし、実際、下心がないと言えば嘘になるよ」

「でもさ、ラケット自分で買って来いって言われたの初めてだもんね、買ってやるってゆうのもやっぱ時々あるけどさ、なんか、お?って感じで」

 そうか、そういうものか。

「ねえ、また教えてくれますか?」

「いいよ、喜んで時間を作るよ」

「ほんとは、もっとちゃんとやりたかったんじゃないですか?」

「そりゃ、ゲームとかしたいけどさ、今日は今日でとても楽しかったよ」

「ほんと?それだけ気になってたんだよね、悪かったかなとか思って」

「ぜんぜん、気にすんなって。さて、送るよ」

「もう、帰る?」

 えーと、なんと答えよう、、、、

 答え1)「うん、明日も仕事だからね」

 答え2)「え?まだ帰らないの?」

 答え3)「帰らないよ」

 答え4)「(う~ん、思いつかない、、、)」

 と考える間もなく、彼女は言った。

「寄ってく?」

 コンビニじゃないよな。
 ラーメン屋でもなさそうだ。

「いいの?」はかっこわるいと思った僕は「うん」と答えた。

おわり

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