まだ捨てたんもんじゃない。

4時に起きたんだ。イングランドとスコットランドの試合を見るために。だけど見たのは虚無だった。イングランドはやっぱり虚無だった。朝6時。雨が降ってる。とりあえず散歩でも言ってサウスゲイトの処分を勝手に考えたいと思う。

朝から課題をやってなんだか疲れた。頑張ったつもりだけどなんだか進んだ感じがないし、疲れただけになってる。将来のことを考えなきゃいけない。重い。恋か。

がんばらなかった平日の後の週末だからがんばろうとしてしまうんだけど、これって良くない気がしてる。決まった時に休む方が習慣を守ることに対してはそっちだよなぁ。めんどくさいことがたまらないように、生きていくのは難しい。

YouTubeのライブ配信見てるときよくコメントするけれど、ひとりごとの感覚だから反応されるとビビる。ビビリなところが出ちゃう。それが自分のコメントに対して否定的だと余計に。たぶんここ最近反論されたり、逆の意見を言われることに敏感になって、ものすごい苦手になってるんだと思う。心が弱い。自分の意見言いたがりではないんだけど、いざ勇気を出して言ったことに対して雑な言葉で、なんの愛想もなくバカにされ反論されると、ちょっと滅入っちゃうな。弱い。なかなか治らないと思う弱み。強みに変わることなんて絶対ない弱み。

梶井基次郎の「檸檬」を読んだ。中学か高校の授業で読んだ以来だから数年ぶりで、少なくとも4年ぶりではある。おもしろいくらいに情景が浮かんで、文字に色が付いてる。本当に不思議。ものすごい力を持っているのだ、文学をおざなりにしてはならないと本気で感じた。

ただ引っかかることがあって。京都丸善はいまどうなってるんだと気になったから「檸檬 梶井基次郎」で検索するとたくさん結果が出てきた。現代は素晴らしい。京都丸善は数年前に復活したみたいで、記念に檸檬を置くスペースまで設けられるほどらしい。行ってみたい。しかし、検索サジェストに「檸檬 レモンを置いた理由」だとか、「檸檬 丸善を避けていた理由」だとか。所謂授業のため、テストのため。そのための検索がすごく多くて、少しだけげんなりしてしまった。

確かにテストは大事で、自分も国語のテストは苦手で常に不貞腐れてた。ただ、ただこのような名作から、文豪による作品から学校の授業やテストのせいで離れるなんてことがあって欲しくない。絶対に授業のせいで本が嫌いになる人がいるし、もう本なんて読みたくないなんて人、本を読んでも国語のテストを思い浮かべながら読んでしまうという人がいると思う。後者はまさに私。文学作品を読むと「この文章の意味は何か。」だとか「このときの筆者の気持ちを〇〇文字以内で書きなさい。」だとか、そんな文を思い浮かべてしまう。苦しい。せめて学校はすべてのきっかけであってほしい。そう思った。(こんなに語ってしまった。意外と自分はいろんなことを考えてるみたいだ。)

コーヒーを飲むか悩む時間がもったいないとやっと気づいた気がする。さっさと湯を沸かしてさっさと豆を挽けばいい。なのにできない。シャワー浴びるのと同じ感覚。どちらもうまくできるとものすごくいい時間なんだけどな。

速報です。コーヒーを淹れることに成功しました。美味しいです。グアテマラ産の豆。今までは深煎しか飲んでなかったけど、最近はバランスの取れたミディアムローストがお気に入り。酸味のほうが強くてもいい感じ。好みは変わっていくもんだ。

課題が一つ終わりかけている。あと数行感想のような気付きのようなものを書けば終わるのにかけない。残しちゃう。遠慮のかたまり何だと思う。遠慮なんてするんじゃない。

色々考えた、6/19

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