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不自由に幸あれ。

僕の動画制作はレゴからはじまった。レゴを使ったコマドリアニメ。もしレゴじゃなくて粘土だったら、イラストで作る本物のアニメだったら、あれほどハマりはしなかっただろう。

物理的な制約が大好きだ。

レゴはブロックだから、1つのパーツは真四角だ。綺麗な曲線は描けない。だけどその分、不器用でも大体の形を造形できる。詳細さを犠牲にして、実装の処理が大幅に簡単になる。
 僕がコマドリを始めた理由は、ミニフィグを使えば人の絵を描けなくてもアニメが作れると気付いたからだった。ミニフィグは関節も表情も乏しい。だからこそ簡単に動かせる。アルゴリズム行進の各ポーズをするミニフィグが並んだ写真を見て、動画にしてみようと思った。案の定面白がれるものが作れて、誰に見せるでもなく作るようになった。そしてストーリーを考え、効果音をつけるようになっていった。技術が上達することよりも、表現したいものが表現できることの方が全然楽しかった。だから、アニメの質は始めた時からほぼ横ばい。デジカメで撮った写真はブレブレ、fpsは10にも満たない、編集ソフトはWindows ムービーメーカー。それでよかった。完成度が高いことより自分の作ったものがそれっぽく見えることの方が大切だった。

遊びってそういうことなんだと思う。公園に行くと、ある遊具は決まってて、生えてる木も住んでる虫だって決まってる。5時の鐘がなったら家に帰らなくちゃならない。それでも毎日のように公園に行って遊ぶ。新しい遊びがどんどん生まれる。もし公園がディズニーランドなら、あんなに遊びを生み出せていなかった。

最初の導入にやれることなんて大してなくていい。なんとなく形になればいい。「ここがもっとこうならば、こんなことも出来るのにな」って思わせるくらいがちょうどいい。そしたら、それが出来るようになった時のことを妄想して、ちょっとずつ出来るようになっていく。最終的にコンピューターにでも触り始めてしまえば、あとは何でもできちゃう世の中だ。
 だから、簡単に作れること。その上で、ある程度完成度が高くてそれっぽく見えること。そんなものを届けたいなって思うんです。自由な世界に浸りたいのはもちろんあるけれど、それより先に何となくでも形にできることが大切。枠が与えられるからこそ、僕はいきいき遊べます。シンプルなものを、機能が少ないものを、自信を持ってオススメしようじゃない、なんて。

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