見出し画像

デザインと言語化とゲームと。(自己紹介)

はじめまして。井口陽介と申します。

小さい頃から「それはなぜか?」と考えることが好きで、なんやかんやとぐるっと回り道をしながら、いま、広告・販促分野のグラフィックデザインを中心とした会社の代表をしています。

ものごとをや課題を言語化し、もやっとしたものをわかりやすくする。そしてその言語化したものを「コンセプト」とし、よりわかりやすく、伝わりやすく、表現の力を用いてデザインしています。

さて「いぐち」というアウトラインは、下記の通りです。もうすこし詳しいものを、一番下に書きました。物好きな人だけ見てください。こっ恥ずかしいので…

まずはぼくの内面のディティールが伝わりそうなことを、自己紹介として書かせていただきます。(ちなみにヘッダーのイラストはよめさま作です

それにしても自己紹介を書くということは、世界と向き合うマインドセットを作ることだなと思いました。

1/ゲーム

小学校に入る前にファミリーコンピューターと出会い、以来ゲーマーです。ちかごろは意識改革(Twitter)で、かなりプレイ時間は減りましたが、最近まで1日1時間以上は嗜んでいました。

一番没頭したゲームは、スプラトゥーン。1と2をあわせて2000時間を超えたようです。

プレイステーションの発売を機にいったん任天堂から離れていた青春時代だったんですが、おじさんとなり、親となり、スプラトゥーンで戻ってまいりました。改めてそのすばらしさにびっくりしてます。そして下記は名著です。

UIUXはもちろん、グラフィックデザインにだってゲームから学べることがたくさんあります。だからゲームは勉強。ともかくFF7のリメイクが完結するまでは死ねません。

ちなみにスマホゲームはあまりやりません。これはぼくがゲームの世界へ没入したいタイプだからで、ゲームとしての優劣はないと思っています。

2/サッカー

大学まで部活でプレイヤーをしていたので、どちらかといえばプレイするほうが好きです。(競技年数のわりにとても下手くそ

このところ加齢による衰えとストレートネックの悪化でプレイ不可状態が続いてます。もちろん観戦も好きで、戦術的なことをブツブツぼやきながら観ています。なのでひとりで観戦したいタイプかもしれません。

ちなみにTwitterアカウントの@toysleftは、サッカーが下手くそすぎて、利き足じゃない「左足のキックがおもちゃみたい」と評されたところから来ています。

3/キャンプ

毎週いきます、みたいなガチなキャンパーではなく、年に2〜3回程度のライトキャンパーです。でもちゃんと好きです。ちいさなリビングを作り、料理したり、ハンモックでくつろいだり。これは大人のままごとだと思っています。

画像1

適度に物欲を満たせるし、なんせ焚き火がいい。下の娘が2歳半を超えたので、今年からもっと積極的に行きたいなと思ってます。コロナの影響でさらに流行しそうなのが、うれしくもあり混みそうでもあり、複雑です。

ちなみにわが家のテントはレイサ6という芋虫っぽいテントです。めちゃんこかわいい。


4/車

もはや車なんてシェアでいいじゃんというのはわかります。そっちのほうがスマート。でもぼくは所有したいんです。そしてオンボロポンコツがすき!

【VW/ヴァナゴン】いま乗っている車。毎夏クーラーが壊れます。でも乗り心地はけして悪くなく、図体の割にきびきび動いて運転もしやすい。燃費はアレだけど。フォルムも乗り心地もいろいろ気に入ってます。

画像2

【ランドローバー/ディスカバリー2】一つ前に乗っていた車。これはそこまで古くないし、4WDなのに乗り心地も最高。遠出もたくさんしました。燃費はアレです。ただ、これは個体差だと思いますが、ややこしい故障が多かった…。

画像4

(写真は下記からお借りしました。購入店舗です。しかしいま見てもかっこいいな)

【トヨタ/ランドクルーザー60】東京で最初に乗った車はランドクルーザー60。最終的に雨漏りしてたけど、そんな笑えるちいさなトラブルたくさん、でも毎朝エンジンをかけるのがたのしみな車でした。燃費はアレでしたが。ちょっと揺れがひどくて、よめさまの妊娠を機に乗り換えました。可能ならまたいつか乗りたいなと思う、そんな車です。

画像4

5/性格

ぼくが参加しているNサロン。これの第二期がきっかけでテストを受けてみたストレングスファインダー。これがぼくの結果です。

スクリーンショット 2020-05-27 10.41.57

(ストレングスファインダーとは自分を強みを知るテストで、なんぞやというのはココ参照)

かんたんに言えば「あたまでっかちで行動できない」タイプです。強みはある程度自覚的なところもあったんですが、実行力の特徴が上位にない。

「達成しなければ!」という達成欲に関しては最下位です。うける。(図の数字が若いほど、その特徴が強いということです)

加えてじぶんで認識している特徴に湿度の高さがあります。

画像6

どうやら人間が好きで、その可能性を信じたいタイプ。社員に対しても(古いとはわかりつつ)家族のように考えているフシがあります。

もちろん、無自覚なパワハラやめんどうに思われない距離感を気をつけているつもりですが…。なのでドライかウェットかといえば、滴るぐらいにウェットです。川です。

さらに、もうこれずっと付き合うんだろうな…という特徴が「マイペースさ」。

画像11

「じぶんがやりたいときにやりたいことをやりたい」と考えるので、そのペースを狂わされることがすごく苦手みたいです。かといって、ほっておいたら生産的なことをなにもやらない(ひどい)ので、どうやってじぶん自身を律するか、それにずっと悩まされ続けています。

6/強み

じぶんは凡庸であることがずっとコンプレックスだったのですが、いつからか、なんか思ったことを言葉にするのが苦痛ではないな、と気付きました。いわゆる言語化とか一般化。これは比較的強みであると考えています。

言葉にすることで目の前に新しい概念や解釈がぐわっと現れてくる感じが好きで、いまはここを強みに、クリエイティブに活かしていきたいと思っているところです。(そういえば模試で現代国語100点だったな、とか思い出しました。古文は20点

ちなみに文章を書くことは、嫌いではないし、好きです。仕事でコピーを書くことも多いです。しかしけして得意ではないので、文章を書くことを仕事の中心に据えようと思ったことはないです。

とりあえずまとめ

以上がぼくの、ぼくが把握する、ぼくの特徴でした。もし共通の興味関心ごとがあったり、業界いっしょだったり、なにか共鳴するところがあれば、ぜひなかよくしてください。Twitterでもなんでも、積極的にコミュニケーションとりにいきます!

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

そして以下は、最初目的もなくだらだらと書いていたぼくのアウトライン詳細です。それなりの文字数書いたので、載せます。もうおなかいっぱいという人はここで握手!さようなら!!

長崎出身|大学卒業後に専門学校へ

長崎県長崎市出身。爆心地公園のすぐ近くで育ちました。地方で多くの人がそうであるように、小中高と公立の学校に通い、大学進学をきっかけに地元を離れます。

画像7

大学は教育課程(兵庫教育大学)へと進学、先生になることを目指します。しかし大学在学中に「デザイン」というものに興味を持ち、進路を変更します。

教育大学にはさまざまな専門課程の教授・講師が在籍しており、美術系の講師にお話を聞けたことも後押しになりました。そして卒業後に上京し専門学校へと入学します。(バンタンデザイン研究所)

教育大学という、単科大学であるがゆえの高い同質性の中で過ごした大学生活のあと、異質で比較的年齢の幅も大きい専門学校のコミュニティに参加したことは、ぼくの価値観に大きな変化をもたらしました。

画像8

(いま思えば)多くの時間に囲まれていた大学生活では、思考することの基礎を得て、そして専門学校で過ごした時間は、価値観の多様性に対する受容度を高めました。ロジックだけではない感性や直感の大事さもまた、学んだ気がします。

専門学校でもっとも惹かれた授業は、ビジュアル制作よりも広告論のような「考え方」の授業でした。

単純に「かっこいい」「かわいい」だけで作っているわけではない。そこには一流であればあるほど、そのビジュアルでなければならないつよい理由が隠されている、ということを知ります。

画像9

ああ、デザインはコミュニケーションなんだ。(グラフィックはとくに)一方通行ではあれど、見てもらう人のリアクションを想定しているんだ、という当時の気付きは、いまもぼくの根底に流れています。

そして専門学校卒業前に、小規模な広告代理店にグラフィックデザイナーとして入社します。(アルバイトでしたが)

社会人(アルバイト含む)

とにかく最初は必死にやってましたが、先輩方との実力差は歴然。かなり精神的にきつかったです。さらに協力会社のデザインなどを見ることもあり、あれ?これってかならずしもぼくが作る必要がないんじゃないか?と感じるようになります。

それよりもだんだんとデザインに乗せるメッセージやコミュニケーションとして成り立たせようとする試みがたのしく、そこに夢中になりました。(まぁやっぱり頭でっかちなんですよね)

画像12

例えば作ったデザインがクライント担当者の好き嫌いで取捨選択されることが認められず、効果の意図でもって選んでほしい!と、特に求められてもいない企画書を作ったり、もっと早めに攻めの提案をしたいと営業部の社員と仲良くなり、アルバイトのくせにクライアントに同行したりしていました。

また当時、先輩が一気に退職するタイミングがありました。力不足を自覚していたぼくは、社内クリエイティブ部署の信用が落ち、営業から外部デザイナーへの直接発注が増え、おもしろそうな仕事がなくなるのではないか?という危機感を持ちます。

そこでマネージャー会議に理由をつけて参加して、外部発注の手間をこちらで請け負うので、クリエイティブ案件はすべてうちの部署を通してほしい、などと社内政治を行いました。アルバイトのくせに。それでもこれは比較的うまくいき、結果ディレクションの楽しさを知ります。

これらのことは、いまでいう「越境」で、その自分ができる範囲以上のことにチャレンジすることで新しい経験、スキル、視界を得てきました。(一度退職勧告のような異動を命じられたりしますが、それもまたよい経験になりました。)

画像13

タイミングは忘れましたが、正社員に登用され、そして当時のプランナーが退職することにより、その役目がぼくに回ってきます。

前任プランナーの推薦もありましたが、当時の社長曰く「よく企画書作ってるから」という理由でした。浅い。これは既存のクリエイティブの仕事と兼任することを条件に引き受けました。

まぁしかし、よくぼくにやらせたなと思いますけど、コンセプトやものごとをロジカルに思考することが好きなぼくは、とてもその仕事が気に入りました。

ちなみに前任のプランナーは、年齢こそひとつしか違いませんし、友だちのような先輩でしたが、師匠として尊敬し感謝しています。

そしてこれは「越境」が「越境」を生むいいサイクルにいたんだな、と改めて思います。そしてその自由があった当時の会社、認めてくれた仲間への感謝を忘れてはならないなと思います。

そんな中、さまざまな理由(めちゃくそややこしい)でクリエイティブ部署を分社化させることとなり、いまの会社代表としての歩みが始まります。ここでもまた社長をやるという「越境」が生まれたわけです。

こうしたことから、「自分を過信し、あらゆることに挙手することで、自らを高めることができる(迷惑かけるけど)」というなんとなくの成功体験を得ます。これは、「自ら機会を創出し、機会によって自らを変えよ」というリクルートの旧社訓がぴったりはまることを後で知りました。

会社員時代のぼくのキーワードは、「越境」だったな、といまになって思います。

現在

グラフィックデザインを主にするデザイン事務所(現在13期目)の代表をしつつ、2児の娘の父親としてがんばってます。2020年5月27日現在41歳。四十肩とストレートネックがいちばんの悩みです。

そしていま、Nサロンというコミュニティに参加し、専門外へアンテナを広げようとしています。そしてこれが次の越境を生みだすきっかけとなることを狙っています。

おしまい

さいごに人生でもっとも派手でシュールな写真(数年前)でおしまいです。

画像10

(ここまで読んでくださったなら、ぜひフォローしてくださいw)


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?