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荀子×運命学③ 異業種交流会で上手くいく相手

今回は、荀子巻第二 不苟篇第三を抜粋する。

不苟伝は、
成功者(君子)の心得伝だ

第三篇、不苟伝は
荀子の君子像について書かれてある。

荀子は李斯、韓非子の師匠であるが、法家ではない。
彼はあくまでも儒家である。
そのため、荀子の考える君子は、
弟子たちが考えた法家の君子像とは違い、
人間的な君子である。

君子の反意語は小人(凡人)であるが、
君子と小人の違いは、生まれや才能、能力の差ではない。
それでは何が違うのかみていこう。

君子の特徴とは何か


君子の特徴を、荀子巻第二 不苟篇から抜粋してみる。

困難な事業を成功させたり、
精密な数字を会話の中に織り交ぜて、頭の良さを誇示したり、
名前が売れることこそ大切だとし、行動する人は、
君子っぽく見えるが、君子ではない。

基本、能力は関係なく、
生まれつき頭が良く、天賦の才能が豊かな人なら、
自然に自分を上手に生かして、
自己を伸ばし、正しい道を進んでいくだろう。

だがそんな人など、ほんの一部であり、

大多数の能力のない君子たちは、
正直で律儀、礼節を誠実に守る人物だ。

そもそも、何をしたら良いか分からず、惑う人たちは、
どんなに頭が良く、才能にあふれていても、
小人である。

道義を中核とした伸縮変応力

荀子を読めば読むほど感じるのは、
日本という国は極めて荀子的な国だということだ。

荀子の唱える君子の特徴を続けてみよう

雰囲気的には、ゆったりしているが、
怠けることはなく、勤勉である。
正直で清廉潔白だが、
その厳しさで人を傷つけることはなく、
雄弁だが人と論争はせず、
明察であるが、厳しくはなく、
独立の気概はあるが、周りを押し退けてまでは行わない。

巻第二不苟より抜粋

従順で、もの腰が柔らかいが、
世俗に流されることはなく、
左に行くべき時には左に、
右に行くべき時は右に、上手くやるのが君子である。

この、左に行くべき時は左に行き、
右に行くべき時は右に行くことを上手にやる能力を、
道義を中核とした伸縮変応力と述べている。

日本人の特徴である「のらりくらり」能力だ。
これは荀子から言うと、理想的な君子の技であるが、
単に「のらりくらり」とするのではなく、
その中核には道義がなければならない。

幕末期の日本人の柔軟性など、
この道義的伸縮変応力と言えるだろし、
これから我々が発揮する政治力も、
この道義的伸縮変応力というお家芸かもしれない。

君子は両進し、小人は両廃す

君子は順境でも逆境でも前に進むが、
小人は順境でも逆境でも腐っていくという。
それは何故か。

欲惡取舍の權(はかりごと)。
其の欲す可きを見れば、則ち必ず前後其の惡むべき者を慮り、
其の利す可きを見ては、則ち必ず前後其の害とすべき者を慮り、
而して兼ねて之を權り、孰ら之を計り、
然る後に其の欲惡取舍を定む。是の如くんば則ち常に失陷せず。

荀子 不苟篇第三

君子は、良い話がきたら、それを選択する前に、
必ずその前後をふり返り、
逆の悪い条件を明らかにしながら熟慮する。

利益が得られそうな話がきたら、
投資をする前に、必ず前後を振り返り、
反対のマイナス面を列挙し、熟慮し、
プラスマイナスの両方を良く考えた上で、
やるかどうかを決める。

この「前後」とは時系列的「前後」であると捉えていいだろう。
歴史を学べば分かるという。

熟慮した上で、一度決めたら最後、
マイナス面の事は一切考えずに
突っ走るのが君子である。

だから君子は順境はもちろん、
逆境が来ても前に進める。

多くの小人は、良く考えずに「いい話」に飛びつくから、
走りながら、この話がプラスなのか、マイナスなのか
時系列の中で悩んでしまい、
行動(動作)が不安定になるため、
順境を味方に出来ず、逆境は猶更のこと腐っていくという。

後王思想


この篇のテーマは、後王思想だ。
後王思想こそ、孔子や孟子とは違う儒教的視点の一つであり、故に荀子が儒家の間で異端とされ続けた理由でもある。

孔子の唱えた儒教は、三皇五帝など夏王朝成立以前のほぼ神話の時代の古の王王(先王)の行動を、君主の理想像とており、同じ人間で(違うと思うが…)そうなれる要素があるのだから、そうなれるように頑張れ!と推奨している。
つまり、君子像の基準を神話化された王達にフォーカスしたのだ。

これに対し、荀子は、いちばん近い時代において現実に努力した王、つまり「後王(こうおう)」の定めた政策や制度を参考にするべきであるという、現実主義的な考えを述べた。

そのために、荀子の唱えた君子像は極めて現実的であり、周りにいそうな人たちばかりである。
この荀子の人間的君子のあり方は、伝統的な儒教の考え方に反していたため、異端とされ、注目されたのはごく最近(中国史からいうところのごく最近)、近世になってからである。

そうみると、どれだけ荀子が進んでいたか分かるだろう。

荀子は、文化文明がいかに発展しても、人間社会の統治法は本質的にはいっさい発展しないと考えた。
人類は物質的には成長しても、精神的に成長できないからであり、名誉・欲望の中から脱しきれないからだ。
確か荀子の説いたこの時代から、約2000年間、人類は精神的に成長出来ないでいると思う。

そのため、歴史を学ぶことで、かなりの部分未来が推測でき、何らかの論理性があるのではないかという。歴史的によく統治された時代も、悲惨な時代もあった訳で、成功事例や失敗事例を徹底的に研究し、統治術の原理を解明しようとした書こそ、今読み進めている「荀子」である。

あなたは通士・公士・直士・愨士?
それとも小人(凡人)?

通士なる者有り、公士なる者有り、直士なる者有り、愨士(かくし)なる者有り、小人なる者有り。
上は則ち能く君を尊び、下は則ち能く民を愛し、物至りて應じ、事起りて辨ず、是の若くんば則ち通士と謂う可し。
下に比して以て上を闇まさず、上に同して以て下を疾ましめず、爭を中に分ち、私を以て之を害せず、是の若くんば則ち公士と謂う可し。
身の長なる所、上知らずと雖も、以て君を悖まず、身の短なる所、上知らずと雖も、以て賞を取らず、長短飾らず、情を以て自ら竭す、是の若くんば則ち直士と謂う可し。
庸言は必ず之を信にし、庸行は必ず之を愼み、流俗に法らんことを畏るるも、而も敢て其の獨する所を以て甚しくせず、是の若くんば則ち愨士と謂う可し。
言に常信無く、行に常貞無く、唯利の在る所、傾かざる所無し、是の若くんば則ち小人と謂う可し。

荀子 不苟篇第三

通士とは・・・

上司(社長)を尊敬し、
部下(民衆)を愛し、
物事の変化に上手く対応して迅速に冷静に処理できる
そんなあなたは、通士である。

公士とは・・・

部下(民衆)と良く言えば、友だち感覚、
悪くいえば、嫌われたくないから、
馴れ合いの関係に陥り、都合の悪いことは上司(社長)の眼をごまかそうとするところがあるが、
上司(社長)の言いなりになって、部下を苦しめようとはせずに、上司と部下の間に身を挺して立ち、その間を私心(自分へのメリット)など一切考えずに仲介出来る人物であれば、
公士である。

直士とは…

自分の長所や手柄が上司(社長)に知られなくても
上司(社長)を恨まず、
自分の短所や失敗を上司(社長)が知らないで、
自分を出世させよとしたり、
ボーナスを支給するといっても、
潔く辞退し、その理由として、
自分の欠点(失敗)を公言出来る人。
自分の長所は隠し、
短所を自らハッキリ周りに言える人であれば、
直士である。

愨士とは…

常日頃、自分の言葉には信を置き、
その信頼を裏切らぬよう、
世俗の意見に惑わされぬように、
慎重に誠実に行動する。
かといって、自分だけの独善独行、
スタンドプレーをはなはだしくやりすぎない人。
そんな人であれば、愨士である。

小人とは…

言葉に信頼性がなく、裏付けもなく、
感覚的で、さも凄いというようにいい、
周りを惑わす。
その行動にもムラがあり、継続性がなく、
ただ儲かると思うところ、
メリットがあると思う所には積極的に顔を出す。
これが小人というべき者である

小人以外の4名は、種類は違うが君子である。
君子は、誰とでも表面的には友達になれるが、
親しくなることが難しい人だという。

君子は知り易くして狎れ難い。

荀子 不苟篇第三

君子は君子同志、
小人は小人同志しか、真の友達にはなれないという。

そのため、

自分が小人なのに、異業種交流会に行き、
成功者である愨士とお近づきになり、
一緒に事業展開をしたいと望んでも、
最初は話に乗ってくれても、恐らく短期間で終わり、
その話は尻切れトンボになってしまうだろう。

故に、小人であれば小人同志の関係を大切にし、
小さな世界を構築することで、満足するべきである。

どうしても君子と付き合って成功したければ、
自己の人間性を上げるしかなく、
そのために君子から学べと述べている。どんなに相手が年下でも、バックグラウンドがなくても、対等の意識ではなく師匠として遇すること。
それが出来る小人は、君子になる資格を有するのだろう。

一般社団法人数理暦学協会
山脇史端

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