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大学章句

この秋は、四書五経「大学」を読む!

東洋古典の根幹を成すものは、道教、いわゆるタオの道。
儒教の生活規範と、仏教哲理。

歴史の時間軸で捉えるとこの3つが、神道のような、各国の独自の思想が形成されたようだ。

「これから自分はどうなるのか。」という個人の問題も、

「これから日本はどうなるのか。」
「これからアジアはどうなるのか。」
「これから世界はどうなるのか。」
「これから地球はどうなるのか。」

と、個から空へと視点を変えることで、

「これから自分は何をすべきか。」が見えてくる。

それには、

「今までの人は何を考え、どうしたのか。」という、
過去を学ぶことで未来を考察することが大切だ。

故に、当協会はボランティアによる毎朝15分間のオンライン東洋古典勉強会を開催している。

この勉強会の特徴は、様々な人達が様々な視点から解釈すること。

そして、「私は専門家でないから、拙くてすみません。」という後ろ向きな考えは捨て去ること。

3000年の歴史の前では、「わずか100年足らずの人間」など、みな素人。
「海の事なら何でも知っているか」というのと近い感覚。
確かに、漁師や船乗りなどは、陸にいる人達より遥かに知っているだろうが、広い海の事を何でも知っている人などおらず、海が好きだから知ろうとしているのと同じこと。

東洋古典が好きだから、それを伝えたい。
それにより、古典知識だけではなく、論理性・プレゼン能力が構築され、毎日15分ずつ前進できれば良いと願っております。

『大学』を読み始めましょう。

まずは序章から

大学章句 (朱熹)
大學之書、古之大學、所以敎人之法也。蓋自天降生民、則旣莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟、或不能齊。是以不能皆有以知其性之所有、而全之也。一有聰明睿智、能盡其性者、出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性。此伏羲・神農・黃帝・堯・舜所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也。
三代之隆、其法寖備。然後王宮・國都以及閭巷、莫不有學。人生八歲、則自王公以下至於庶人之子弟、皆入小學。而敎之以灑掃・應對・進退之節、禮・樂・射・御・書・數之文。及其十有五年、則自天子之元子・衆子、以至公卿・大夫・元士之適子、與凡民之俊秀、皆入大學。而敎之以窮理正心、修己治人之道。此又學校之敎、大小之節、所以分也。
夫以學校之設、其廣如此、敎之之術、其次第・節目之詳又如此、而其所以為敎、則又皆本之人君躬行心得之餘、不待求之民生日用彝倫之外。是以當世之人、無不學、其學焉者、無不有以知其性分之所固有、職分之所當爲、而各俛焉以盡其力。此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也。
及周之衰、賢聖之君不作、學校之政不脩、敎化陵夷、風俗頽敗。時則有若孔子之聖、而不得君師之位、以行其政敎。於是獨取先王之法、誦而傳之、以詔後世。若曲禮・少儀・內則・弟子職諸篇、固小學之支流・餘裔。而此篇者、則因小學之成功、以著大學之明法、外有以極其規模之大、而內有以盡其節目之詳者也。三千之徒、蓋莫不聞其說。而曾氏之傳、獨得其宗。於是作爲傳義、以發其意。及孟子沒、而其傳泯焉。則其書雖存、而知者鮮矣。
自是以來、俗儒記誦・詞章之習、其功倍於小學而無用、異端虛無・寂滅之敎、其高過於大學而無實。其他權謀・術數、一切以就功名之說、與夫百家衆技之流、所以惑世誣民、充塞仁義者、又紛然雜出乎其閒、使其君子不幸而不得聞大道之要、其小人不幸而不得蒙至治之澤。晦盲・否塞、反覆・沈痼、以及五季之衰、而壞亂極矣。

天運循環、無往不復。宋德隆盛、治教休明。於是河南程氏兩夫子出、而有以接乎孟氏之傳、實始尊信此篇、而表章之。旣又爲之次其簡編、發其歸趣。然後古者大學敎人之法、聖經賢傳之指、粲然復明於世。雖以熹之不敏、亦幸私淑、而與有聞焉。顧其爲書、猶頗放失。是以忘其固陋、采而輯之、閒亦竊附己意、補其闕略、以俟後之君子。極知僭踰無所逃罪。然於國家化民成俗之意、學者修己治人之方、則未必無小補云。淳熙己酉二月甲子、新安朱熹序。


これから皆様と一緒に読む『大学』の本とは、その昔、古代中国の王朝、夏・殷・周の時代に設けられていた子弟教育機関である『大学』にて施された教育指針をまとめたものである。

天がこの世に人間を生み出してから、人間には誰しも、
仁義礼智という本性を付与されているのではないかと思う。
しかし、一人一人の気質はそれぞれ異なっているので、この仁義礼智という共通した四つの徳が備わっていることを知りながら、それに気づかず、充分発揮できないのではないだろうか。

そのため、素晴らしい叡智に恵まれて、この四徳を発揮できる人物が登場したら、天はその人物を全ての人民の指導者にし、人々の教化にあたらせ、人々がみな、本来所有している仁義礼智の本性に気づき、発揮できるように、指導させたのである。

その昔、伏羲・神農・黄帝・堯・舜という、三皇五帝が、天の意志を受けて、司徒(教育担当の大臣)や、典学(音楽担当の大臣)という職を設置し、人民の教化にあたらせたのは、そのためだったのだ。

夏・殷・周の中国古代王朝が栄えると、教育制度はよりしっかりとしたものに強化され、小学・大学が整備された。
首都や地方都市はもとより、田舎の村落に至るまで、学校のないところはなかったと言われている。

誰もが、8歳になると、王や諸侯の子弟であろうが、庶民の子弟であろうが、みんな小学に入り、掃除や挨拶の仕方、立ち居振る舞い、さらには世の中のしきたりや音楽の演奏、弓矢や馬の御し方、読み書き、算数を学んだのである。
そして、15歳になると、王や諸侯や重臣たちの長男、及び、庶民の中からも優れた子弟を選んで大学に入れ、道理を窮めて心を正し、自我を抑え、人を治める道を教えたのである。

このように、小学と大学を分けて指導することで、しっかりとした人間教育を施していたのである。
今(宋の時代)から、約1000年前の、その当時を振り返ってみると、これほど広く学校が設けられ、小学から大学へという教育の進め方や、各機関で学ぶべきことの詳細について、詳しく定められていたのは驚きでもある。

何を教えたかというと、君主が自ら実践した中で、会得したことを踏まえたものを規範とし、それはとりもなおさず、人々が日々の生活の中で守るべき人としての規範、倫理的なものだった。

君主から庶民の子供に至るまで、一人として学ばない者はなく、この規範を学ぶことにより、生来備わっている道徳的気質をそれぞれが自覚し、自分に課せられた役割を理解して、その責任を果たそうと、力を尽くそうとしたのである。

3000年以上前の時代に、後世の人達が遠く及ばないほどの善政が行われ、人々の心が豊かだったのは、このためであり、倫理教育は必要で重要なものではないだろうか。

漢王朝以降になると、儒学といえば、いたずらに暗記を強制したり、巧みな詩文を作る、「官僚になるための受験科目」となり、志の低い学問に堕落してしまった。
それに割く労力は、かつての小学教育の二倍にもなるが、その割には、現実には何の役にも立たない学問になってしまった。

仏教などの異端の教え(中国からみると、インドからの教えなので外来宗教)や、無為自然を唱えた道教の教えは、一見「大学」以上に深くて高尚なように思われるが、内容はいたって空疎である。
(注 あくまでも朱熹の意見です(^^)/)

更に、諸子百家の時代に興った、功名のための権謀術数(孫子の兵法や縦横家の説)や、仁義を無視した訳の分からない術を使って、人々をたぶらかす自称賢者という人たちが現れたが、その結果、不幸にも為政者たちはあるべき道を歩むことが出来ず、庶民も安心して心豊かに暮らすことができず、混沌とした世界から抜け出すことが出来なくなってしまった。

このような真っ暗闇の中で、仁義の光が見失われ、救いたがい世の中となり、多くの民族が殺し合う五代という分裂時代の末世に至り、混乱はその極に達したのだ。

しかし、天の営みは常に循環し、終わったかと思うと始まり、始まったかと思うと終わる。つまり、陰陽繰り返すのため、混乱の時代も極に至ると、平和な時代を引き寄せるのである。

混沌とした殺戮の時代が終わると、素晴らしい徳をもった宋王朝が誕生し、立派な政治が行われるようになった。

このような時代背景の中、河南の地に、程明道・伊川の二程氏という両先生が現れて、孟子の伝統を受け継ぎ、その昔、曽子がまとめあげた「大学」篇に注目して、そこに書かれている意義を明らかにすると共に、分かりやすいように解釈を加えて編纂されたのである。

これにより、古の時代に大学で行われていた教育内容が再現され、我々が学ぶことが出来るようになったのである。

私(朱熹)は大したことがない人間だが、この偉大なる程先生方に傾倒し、その学説に触れることができた。
ただ、この「大学」という本にも、まだ少し欠落していた箇所があると思われたので、学識が乏しいことも忘れて必死になって資料をあつめ、私の考えで補足し、編纂したがこの「大学」の書である。

私のこの編纂が良いか悪いかは、後世の人達の批判を待つことにしたい。
身の程知らずの大変僭越な振る舞いであることは、よく承知しているつもりであるが、これから国をあげて倫理教育を行い、人間作りを行う上でも、また、人々が己を修めて人を治める道を学ぶ上でも、少しは役立つのではないかと願っている。 

by 朱熹

3000年前に、このような教育制度が施行されていたことは驚きだ。
そして、ここに書いてあることは、今の時代も色あせることなく私たちの心に届いてくる。
国を造るのは民であり、本来持っている素晴らしい質を発揮させるのに必要なことは、教育だ。
この書を読み解くことで、これからの教育をどのようなものにすべきか、考えて行きたいと願っている。

山脇史端

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