アメリカ横断34日目プリマス・ストーンとメイフラワーⅡ号


2023.07.09 アメリカ横断34日目。ニューヨークの観光も終え、いよいよ最終目的地ボストンに向けて走り出したと言ったが、搭乗する飛行機まではまだ4日間、頑張って今日も楽しむぞ。マサチューセッツ州にある尖った半島ケープコットから今度は、プリマスへやって来た。


プリマスとは、「アメリカ発祥の地」あるいは「アメリカの故郷」とも呼ばれているのも、1620年、イギリスからメイフラワー号に乗った清教徒が新大陸アメリカに上陸、その地をプリマスと名付けました。


美しい自然と豊かな海に恵まれ、博物館が数多くあり、アメリカ初期の風景や多くの史跡が保存され、毎年多くの観光客が見学に訪れる有名な所なのです。プリマスの核心地にやって来た。ここは、ピルグリム・ファーザーズが入植した地プリマスには、ギリシャ風の建物が建てられていた。


その中には、ピルグリム・ファーザーズたちがアメリカの地に降り立ったと際に最初に踏んだと言われる岩で、降り立った年である1620という文字が刻まれています。元々は海面に突出していた岩だったため、1774年に引き上げたが、岩の上部だけが割れてしまい、1834年からしばらくの間はピルグリム・ホールに置かれていましたが、1880年に海岸に戻される際に年号が刻まれました。


目の前の港にはメイフラワー2世号の現物大レプリカが係留されている。母国イギリスで宗教的迫害を受けた清教徒102名は信教の自由をもとめて180トンの帆船メイフラワー号でイギリスのプリマス港を船出し、二カ月後に北アメリカ大陸にたどり着いた。


船は、凄く綺麗と思ったら2020年のピルグリムの新大陸上陸後400年記念式典用にお色直しされていた。



このインディアン像は、Wampanoagsの酋長であり、入植したピルグリムファーザーズに農作物をの栽培方法を教え、食料を与え、生活する術を教えたとされるMassasoitの像が作られていた。


この像は、プリマスコロニーの統治者であったWilliam Bradfordで、1620年メイフラワー号に乗ってオランダを出発。プリマス植民地建設に貢献し、とくにインディアンとの友好、産業の振興に優れた力を発揮した。


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