この金庫から東京タワーは永遠に見えない

先生お元気ですか?小説を出版されると聞いて手に取りました。先生が東京で就職し、また地元に戻ってきたお話、今でも私の胸に突き刺さります。少し私にも自分語りをさせてください。

この金庫から東京タワーは永遠に見えない。

日本を代表するグローバル企業を金融の力でサポートする。そんな、私の想像した華々しい銀行員としてのキャリアは無知な田舎娘の幻想でした。

地方の片田舎に育ち、ヤンキーやギャル以外に人権はない、そんな少女時代を送りました。教室の隅で興味もない小説を読むふりをしながら気配を消して過ごす休み時間、いじめの標的にならなかったことだけは幸運だったと思います。スクールカースト底辺組、陰キャ、それらの言葉が私のような人間を指すことを知ったのは東京に逃げ出して随分経ってからです。

先生もご存知の通り、私は必死に勉強してなんとか関東の国立大学に進学しました。結局は学校と下宿先の往復ばかり、サークルにもバイトにも馴染めず、仕送りと奨学金だけで慎ましく過ごしていました。何か良い思い出はないか海馬の中を探し回りましたが、モノクロームで感情の伴わない記憶が朧げに浮かぶだけ、家賃五万ちょっとの1Kの部屋が唯一鮮明に思い出せる光景です。

就活が始まる前に帰省すると多くの同級生は就職していました。カップルあるいは夫婦でミニバンに乗り、近所のイオンタウンを闊歩し、狭い田舎の人間関係の中で上手くやりながら、楽しそうに生きていました。彼らを見下すためにこの町を抜け出したのに、本当は自分が除け者にされただけで、ここにお前の居場所はないのだと言われているような、そんな気がしました。もう戻れない。私は東京で生きるしかない。この帰省が私の決意を固めたのだと思います。

大手の銀行なら商社や広告代理店ほど派手ではないけれども、それなりに稼ぎも良く世間的なステータスも高い。私でもなんとかやっていけそうで、田舎の連中の鼻を明かすような仕事はこれしかないと思いました。大したガクチカもない私は、就活でも苦戦しました。私立文系陽キャが場を支配するグループ面接では会話の輪に入ることさえ難儀しました。それでも業界のことを調べ、支店でパンフレットをもらい面接に持ち込んで熱意をアピールしつつ、とにかく知りうる限りの専門用語(だと自分で思い込んでいたもの)を使って質問をしました。なんとか一社だけ受かったのが今の私の銀行です。

初期配属は都内の支店でした。就活パンフレットに書いてあるような海外だの、流動化だの、ファンド組成だの、そんな華々しい案件と関わることは一切ない、個人相手の仕事ばかりをしました。いえ、仕事らしい仕事をさせてもらえたのも一年経った後でしょうか。お茶出し、飲み会の幹事、宴会芸、伝票の綴じ込み、コピー、最初は雑用ばかりしていました。飲み会の座席表づくり、精算表と傾斜配分で何時間も悩みました。机の上に放置した印鑑をお局に何度も隠されました。

支店の中で私の好きな場所がありました。金庫です。辛いことがあるとパンパンになった書類のファイルを整理すると言って、よく金庫に逃げ込みました。ひんやりして湿気を帯びたカビ臭い空気の中にいると、カビみたいに小さくて惨めで地元からも支店の皆からも愛されないただ邪魔者でしかない自分が同化していくような気がしました。とても落ち着くのと一緒に、とても悲しくなって涙と嗚咽が自然とこぼれました。涙を通じて感じる自分の体温になんだか救われる気がしていました。

今は本部に異動してしまい金庫に行くような機会は無くなってしまいました。ここは若手も少なく、相変わらず一番下っ端ですが、他愛もないけれどそれなりに仕事をやらせてもらっています。ようやく社会人になれた、そう思うんです。もちろん辛いこともあります。それでもあのじめっとした埃とカビが混ざり合った匂いを思い出すと少し落ち着いて、また頑張ろうって思えるんです。

先生の著書、この部屋から東京タワーは永遠に見えない。私のような東京で虚無を感じながら生きる人間はそれぞれの主人公にどこかシンパシーを感じたり黒歴史を見ているような感覚を覚えたりするのではないでしょうか。



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