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リフォーム大工とNPOの理事をやっているぼくが、子どもたちに伝えたいこと

はじめまして、「NPO法人三徳」で理事をやっています、上北と申します。
普段は代表の豊崎くんが経営している会社「三光ホーム」でリフォーム大工として働いてて、よく豊崎くんに嫁さんの弁当を食べられたりしています 笑


弁当を食べられてる方がぼくです 。

豊崎くんとは20年以上いっしょにやってきているので、彼が大変だった時期もうまくいってる時期も全て見てきています。

そのつながりで、豊崎くんがNPOを始めるときに理事の誘いをいただきました。

このnoteも、豊崎くんに「NPOの理事や会員みんなにも発信をしてほしい」と言われて書きはじめたものです。
ちなみに、文章はうちの「代筆広報Sくん」が書いています。ぼくは彼に記事のテーマについて話をして、それをSくんが編集して執筆しています。

ぼくらのNPOは、児童養護施設(以下:ホーム)の子どもたちが自立する力をつけて、安心して社会に出られるようにすることを目的としています。

だから、この記事も子どもたちに向けて書こうと思います。

ぼくらが高校生の頃もそうですが、世の中にどんな仕事があって、どんな仕事を選べるのかってあんまり分からないですよね。
ぼくも、大人になってから知った職業のほうが断然多いです。

色んな仕事を知って、「こういう選択肢もあるんだ」って思ってもらえれば、子どもたちの将来への不安も減らせるんじゃないかと思って記事を書いています。

もし、誰か一人でもこの記事を読んで、将来に対する不安が少しでも軽くなってくれたら嬉しいです。

リフォーム大工になるまで

高校を卒業して、最初にはじめた仕事は美容師でした。もともと、母が美容師になりたかったといっていて、小さい頃から母の髪を切ったりしていたことがきっかけです。

でも、半年で辞めてしまいました。

髪を切るのは好きだったんですけど、お客さん相手にしゃべるのがあまり得意じゃなかったみたいです。

そこから友達に誘われて、建築の世界に入りました。最初はALCと呼ばれる、スーパーや工場の外壁を貼る仕事を2年やってましたが、友達とうまくいかなくなって退職しました。

次に、工務店に入って大工を始めました。豊崎くんと知り合ったのもこの工務店で、彼は僕が入ったあとに入社しましたが、毎日のように「俺は社長になる」と言い続けて1年後に独立していきました。

そのあと、ぼくは7年くらい修行して、大工として独立しました。
※建築の世界では、「一人親方」といって、会社に所属せずに仕事をする職人がいます。

ですが、独立して1年が経つころ、豊崎くんから毎日のように「ウチで働かないか」と誘いをうけて、根負けするかたちで豊崎くんの会社で働き始めました。

仕事についていけなかった2年間

豊崎くんの会社で働きはじめましたが、最初の2年間は本当に大変でした。。

ぼくも7年以上、大工として経験をつんでいましたが、豊崎くんとは仕事のレベルが違いました。
彼は15歳から大工として修行していましたし、仕事に対するこだわりが強く、最初は彼のもとめるレベルについていけなくて大変でした。

そもそも、仕事に対する思いが足りていなかったと思います。
いままで何か一つのことに真剣に取り組んできたこともなかったですし、美容師を辞めたのも、美容師の仕事に対して真剣じゃなかったからだと思います。

真剣に大工の仕事と向き合って、他の大工の倍くらいの仕事をやって、ようやく彼の仕事についていけるようになって、周りにも認められるようになりました。

あのころの苦労があったから、いまも大工を続けていられるんだと思います。

突然の講師デビュー

豊崎くんは昔から、いきなりビックリするような事を始めます。そして、唐突に「明日これやって」と、いままで全く経験がないことをやらせたりします。

彼はリフォーム技術で特許を取っていますが、ある日、その技術を人に教えていくと言いだしました。

そこで僕に「講師をやってほしい」といってきたのですが、当然、講師の経験なんてありません。

そもそも、しゃべるのが苦手で美容師を辞めてますしね 笑

それでも自分がやらないと他にできる人間はいません。

テキストもなかったので、まずは自分なりに写真を撮ってまとめあげて、当日なにを喋るかの段取りを決めて。それでも当日はガチガチに緊張しながら、なんとか講習を終えました。

凄く緊張しましたが、普通に大工をやっていただけではできない、貴重な経験でした。

予想外を楽しむ

ここまでの話をSくんにしたところ、Sくんから「破天荒な芸人さんの相方みたいですね」と言われました 笑

この例えは凄くしっくりきています。豊崎くんがいきなり新しいことを始めて、ぼくがそれについていく格好です。

NPOの件もそうです。今まで大工しかやってこなかったので、これからどうやって運営していけばいいかなんて全くわかっていません。

でも、なにごともやってみないと分からないものです。

先日、NPOの総会がありました。そこには豊崎くんのやろうとする事に共感する人たちが集まりましたが、それぞれの本業は全く違います。
福祉関連の仕事をしている人もいますし、ITの仕事をしている人もいます。ホームで暮らす子どもも参加しています。

大人になってから、他の業界の人たちと関わる機会はなかなかないので、こういう交流も凄く面白いなと感じてます。

ぼくは自分から動いて新しいことを始めるのが苦手なタイプです。だからこそ、自分にやってきた新しい役割を大事にしていきたいと思ってます。

なりゆきでNPOを始めたけど

ぼくがこのNPOで理事をやっているのは、豊崎くんに誘われたことがきっかけです。言ってしまったら、なりゆきで理事を始めた感じです。

でも、子どもたちと関わっていくなかで、この子たちをなんとかしたいという気持ちが強くなってきました。

ぼくらの会社はホームから建物の修繕のお仕事をいただくこともあります。自然と、ホームの子どもたちと関わる機会も増えます。

あるとき、ホームの仕事を終えて、帰る準備をしていました。
4歳くらいの子が手を繋いできて、「一緒に帰ろう」といってきました。すごくかわいらしいですよね。

でも、そんな子どもが親の虐待を受けてここにいるんです。

そう思うと、胸が締め付けられるような気持ちになります。

ウチでアルバイトをしている子たちも、みんないい子たちです。

そんな子たちが、将来に不安を抱えて日々を過ごしている。大人として、なんとかしたいと思うのも不思議じゃないですよね。

大人にできることは意外と多い

これからこのNPOでどんな事をやるか決まっていませんが、ぼくは子どもたちとの交流ができたらいいなと思っています。

ぼくは趣味で畑を借りて、野菜づくりをしています。

そこに子どもたちを呼んで野菜づくりを体験してもらうのもいいですし、嫁さんに料理を教えてもらってもいいと思ってます。

ぼくはホームの子どもたちのように虐待を経験したことはありません。でも、子どもたちより多くの大人を見てきています。いい大人もいるし、そうじゃない大人もいました。

だからこそ、子どもたちより人生の選択肢を知っているつもりです。

子どもたちと関わるなかで、それを伝えていけたらと思っています。

ぼくは今年で44歳になります。そろそろ、自分の人生をどう終えるかを意識しだすころです。

これはぼくの勝手な願望ですが、人生の最後のときに、いままで関わった児童養護ホームの子どもたちに泣かれたいみたいな気持ちがあります 笑

人生を終えるとき、「ああ、よかった」と思えたら最高ですね。

文/代筆広報S

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