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離婚を切り出されてから別居までの1ヶ月

こんばんは、豊宵みさです。
今日は、夫から離婚を切り出されてから別居をするまでの1ヶ月についてです。

1.離婚を切り出された夜

いつもと大して変わらぬ日常の中で、夫から唐突に「離婚を考えている」と切り出された私は、涙を流して戸惑いながら、それでいて、自分が離婚したいのか離婚したくないのかよく分からないまま、
「とりあえず、一度しっかり話し合おう」
「お互い嫌なところがあるなら、きちんと伝え合って改善していこうよ」
と伝えました。

そんな私に夫が放った言葉は、
「僕はもうその段階は終わっていると思っている。これまでにも何度かそれに近い話をしてきたけど、みささんは変わらなかった。だからもう無理じゃないかな?少なくとも、僕の離婚の意志はもう変わらないよ」
という、最後通告のようなものでした。

途端に、夫に対する不満が爆発し「私だって過去にこんなことをされて嫌だった。辛かった」と夫に数々の暴言を吐いて泣き喚いてしまった私。

そして、それを聞いた夫は一言。
「なら尚更、離婚した方が良いと思う」

そうしてその日の私たちの会話は終了し、別々の部屋で眠りに就きました。

2.翌日から2週間

次の日、自分が何をして過ごしたのか、夫と言葉を交わしたのか、今となってはよく覚えていません。
ただ、月曜日にひたすら無心で仕事をした後、夫に「今日は一緒に夕飯を食べたくない」とLINEをしたところ、その晩から夫が家に帰ってこなくなったことは覚えています。
正直、今でもこの時の行動を少し後悔しています。このLINEがなければ別居を避けられていたかもしれないから。

それからの日々は、どうするのが最善なのか分からず、毎日必死で仕事に集中し気が紛れることを有難く感じながら、あっという間に2週間が過ぎ、GW休暇前最後の金曜日を迎えました。
夫から「今日家に帰るから、少し話そう」と連絡が来ているのを見て、安心2割、不安と恐怖8割くらいで帰路に就いたのを今でも覚えています。

2週間ぶりに会った夫は変わらず、離婚の話を進めようとしてきましたが、私は私で、相変わらず自分の気持ちが分からないまま『でも、何だかよく分からないけど、このまま離婚するのは違う気がする』という想いだけを抱えて、離婚を拒否し続けました。

3.史上最悪のゴールデンウイーク

GW休暇に入って2日目の夜。家庭内別居状態で過ごしていた私の部屋に夫がやってきました。「やっぱり、この状態で一緒に暮らすのは難しいから、GWの間実家にでも帰ってくれない?で、その後1週間くらい猶予は設けるから、部屋を探しなよ」と。

頭をがつんと殴られたような気持ちでした。
当時住んでいた家は夫の会社の社宅だったので、私が家を出ていくという論理に納得はできたのですが、どんどん私を突き放してく夫が、1ヶ月前とは同じ人物には思えなくて、これまでも幾度となく喧嘩はしてきたけれど、「どうしてこんなに急に?」「何がきっかけで今回はこんなに?」と、泣きながら、答えの見つからない問いと戦っていました。

そうして、夫に言われるがまま、翌日早速、職場のある市内の不動産屋へ足を運び、その日の晩はネットカフェに泊まり、そのまた翌日実家に帰って両親に簡単に事情を説明してひとしきり慰めてもらうと、温かいご飯とお風呂とお布団に少しだけ気持ちが和らぎました。

そして、元々地元と東京で友人と会う予定もいくつか入れていたので、浮かない気持ちのまま足を運びましたが、無理して笑顔を作って過ごす時間は想像以上に辛すぎて、これまでの人生で一番最最悪なゴールデンウイークでした。

4.別居に向けて

実家に帰る前に一度不動産屋に赴き、凡その目星を付けていた私は、GW最終日に再び足を運んで何とか物件を決め、父親に保証人を依頼し、契約をしました。
営業の爽やかなお兄さん相手に「夫が急な転勤で、1~2年戻ってこないので、会社の近くに…」と嘘を吐き、ぐっと涙をこらえて作り笑顔をしている自分が惨めで仕方ありませんでした。

そうして一旦社宅に戻ると夫の姿はもうなく、その家自体では8ヶ月しか過ごしていないのに、それでも湯水の如く溢れてくる二人で過ごした思い出の数々に、連日涙が止まりませんでした。

その2日後、夫と仕事後に一度会うこととなり、既に物件を決めて引越し業者の手配もし、夫の提示した期日に間に合うよう着々と準備を進めていることを伝えると、さすがに少し驚いたのか「もう少し後でも大丈夫だよ」と言ってくれましたが、すべて手配済だったので「ありがとう」と言って断りました。

私が夫からの別居の提案をすんなり受け入れたのには、3つ理由がありました。

1つ目は、物理的に離れることで冷静さを取り戻してほしいということ。
2つ目は、今回の件の5年ほど前に一度、私発信で離婚を前提に別居をしており、その時に仮住まいで長期間過ごすことのストレスを嫌というほど味わっていたので、夫には元の家で少しでも快適に過ごしてほしいという思い。
そして、3つ目は、元の家で過ごすことで、少しでも私のことを考えて、離婚を思い直してくれないかという願いでした。

後に、この別居の選択が夫の中にとんでもない勘違いを生んでいたことが発覚するのですが、その話はまたの機会に。
今夜もお付き合いいただき、ありがとうございます。

豊宵みさ

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