死を受け入れて行く過程と、悟りの過程
人は、自分の寿命を知らされたとき、それを受け入れるための段階があるのだそうです。
①否認 ②怒り ③取引 ④抑うつ ⑤受容
(「臨終の七不思議」 志賀貢著 より)
私の母は、数年前にガンで亡くなりました。思い返すと亡くなるまでの間「段階」があったように思います。
余命数か月です、と宣告されたときは、「そんなはずはない、まだまだ元気だ」と言っていました。①の否認です。
その後、体調の悪い日と良い日がある中、時々「まだ若いのにそんなはずあるか」と時々怒りが出るようになりました。②の怒りの段階だったと思います。
そんな中、抗ガン剤治療をどうするかという選択をするときが来ました。
良くなって行くかも知れないと、治療を決めました。③取引、がこれに当たるのかなと思います。
温泉が好きな母でしたので、調子の良いときに、家族で温泉へ行くことにしました。
温泉に入って、「気持ち良かった」と言っていた日の夜、心境を話してくれました。
「お湯に入っていたらね、このままズブズブズブって、沈んじゃおうかと思ったよ」
と。
「自分からは逝かないでね。今はこうしてここに居るし、いつか死ぬのはみんな同じだから。私だって同じだから。」と話しました。
④の抑うつ、に当てはまるのかなと思います。
ある日吐血をして、その日から入院になりました。
入院してからも、調子の良い日は元気でした。「このまま良くなる気がするわ!」と機嫌の良い日もありました。
ベットで横になったままの日が続くようになたとき、
「明日は、○○(息子の名前)も来るからね」と言ったら、次の日、息子と病室に入ったとき、母がベッドの上で座っていたことに驚きました。
ニコニコと元気だったときのような笑顔で、座って、そこに居ました。
孫に元気な姿を見せておきたかったのだろうと思います。亡くなる数日前のことでした。
この時には、死を受け入れることができていたのではないかと思います。
⑤の受容です。
今日のような、12月の寒いときでした。
死を受け入れる段階というのは、「今」を受け入れる段階と似ているな、と感じます。
「今の現状」が嫌だ!と感じて(①否認)
なんで自分にこんなことが起こるのだ!と腹を立てて(②怒り)
何とか良くしよう!と「これをすれば良くなる!」と思うことをし始める(③取引)
それでも起きてくる、大変な日常の出来事に気持ちが沈んでくる(④抑うつ)
良いと思えることも、悪いと思えることも、自分の基準で捉えていただけだということに気づき、起きることはただ起きているのだと言うことを受け入れられる(⑤受容)
これは悟りの段階と似ているのではないかな、ということを思いました。
来週、母の命日がきます。
昨夜の夜空、星がきれいでした。
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