魂(たま)散歩2.5歩目。細工師さんの人生の振り返りについて
見てくださって、ありがとうございます。
昨日の細工師さんの人生の振り返りです。
●細工師さんの人生の振り返りについて
細工師さんに、ご自身の人生の振り返りについてたずねてみました。
「私は15歳の時に、生まれ育った故郷を離れました。その時の気持ちの高揚は、人生の中で辛いことがある度に『あの時の私に、今が最高に素敵だ!』って言えるように、最善を尽くす気持ちを思い出させるキッカケとして、最後まで私自身の心の支えになってくれました」
「愛しい人とは、見習いで働いていた服飾の工房で出会いました。誕生日と年齢が一緒で、性別も一緒…初めて知った時に『私達は魂は双子ね!』と言い合って喜んだのを覚えています。お互いに性格が真逆でしたが、得意なところと苦手なところも真逆だったので、補い合い支え合って行くことが出来て、本当に運命を信じるしか無い関係になっていったと思います」
「二人で工房から独立して、新しい土地でお店を構えるのに見習いの時を含めると10年近くかかりました。でも、独立したての時は、恋愛感情が伴わない親友同士だったのです。お店が10周年を迎えたお祝いを二人でした時に、彼女がこっそりと二人分のヴェールを作ってくれていて…私も二人でおそろいのブレスレットとリングを用意していました。その際に、お互いの気持ちが愛情で結ばれていると確認できたのです」
「他のカップルの愛情表現がどうなのかは比べたことがないのでわかりませんが、私と彼女は魂で繋がっていたので、よくある『性行為』と呼ばれるものはなかったように思います。少し回数が多めの挨拶のキスや抱きしめ合うような肌を重ねるだけの時間はありましたが、情熱的に激しく求め合うような気持ちはお互いにあまりなかったです」
「収容施設にいたのは、多分2年位だと思います。1年目の終わりに、愛しい人が堕胎手術の失敗が理由(だと聞かされました)で感染症にかかり、命を落としました。おそろいのリングなどは収容される時に没収されていたため、彼女が亡くなった後、そのリングに込められた思いや自分で作ったことを伝え、せめて彼女の分だけでも手元に欲しいことを訴えると『また自分で作れば良い』と笑われたことを思い出します。あれは本当に悔しかったです」
「今はもうその収容施設が無くなっていると聞いて安心しました。誰かを好きになること、大切に思うこと、助けたいと思うこと、どんな感情であっても、それが責められるような世の中では無くなっている、そんな方向へ進んでいっている…という状況になっていることを祈っています」
「私の最後は、自分で決めたのです。あのままあの女性を放っておいても、いずれ捕まって同じようにされたでしょう。それくらいなら、自分の心にしたがって動いた結果がそこにたどり着いた、少しでもあの女性の心に『絶望以外の何か』を生み出せた可能性があったことを考えられるのであれば、私はそれを誇りにしようと思っています」
…ということでした。
細工師さんは、一通り話し終えた後、生成り色の柔らかいドレスと花の冠をかぶり、嬉しそうにこちらへ手を振りながら、光の中へと溶けていかれました。
振り返りの間、辛かった時期の話よりも、ご自身の楽しかった時期や、大切な方との思い出についてをメインに話されていました。
彼女が明るい気持ちで、解放されてくれたことが、今回の霊視の中での私自身の救いになっている、と感じた内容でした。