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魂(たま)散歩6.5歩目。淑女さんの人生の振り返り。

●淑女さんの人生の振り返りについて

「私は物語に出てくるような、情熱的な恋をしてみたかったとか、悲恋についてあこがれたことはありません。あれは、物語だとわかっていて、自分に関係がないから楽しめるものだからです」

「ただ、それをいかにも私があこがれている、という風に勘違いしたり、考えている、と決めつけている家長が、本当に嫌いでたまりませんでした。本当にあこがれているなら、『あなたに抱かれるなら死にます』くらいは言ってやれたのに、と思っています」

「(次兄)に対しての思いは、創作された物語に書かれているような、あんな底のない平たいものではありません。もっと崇高で、尊い感情にあふれているのです。だから、(次兄)とはきっと魂を分け合った、ジョカとフッキのような神聖で誰も引き離せない、一対の存在なんだと信じていました」

「おねえさま方(恐らく第一夫人と第二夫人)の家長への嫌悪や、相手にすることの辛さは、すぐにわかりました。私だってその立場ならきっとそうするし、どうにか避けられるなら避けたいと思って過ごすと思います。でも、実際に避けて良いとは思ってなかったので、正直、あんなのズルいとずっと思っていました」

「私がなぜあの生活を我慢することが出来たのか…それは、夜のお世話さえ大人しく勤めていれば、他のどんな家事や面倒な親戚づきあいなどからも解放されたからです。そして、好きな時に寝て、好きなものを食べて、好きなように過ごすことが許されたためです」

「家長のおかげで、男性の肉体を求める気持ちにはちっともなりませんでした。それよりも、自分の興味や好奇心が満たされるような情報や知識が欲しかった。(次兄)はいつもそれを持っていて、(次兄)と過ごす時間が、私にとっては本当に満たされる時間だったのです」

「女性の身体をギラギラと欲したり、身体を舐め回すように見つめる男性には嫌悪感を感じます。キュウケイ(?)にあったとしても、そういった欲望を手放すことが出来ないケダモノのような男性がいると知った時は、(次兄)以外の男性とは屋敷から出ないことを誓いました。なので、私にとっては外に出されることは死刑を宣告されることと同義だったのです」

「実際に、家長のけがらわしい妄想と執着で、(次兄)と私は外に出されることが死刑となってしまいました。でも、そのまま子どもを抱えて(次兄)と生きてゆけ、と言われても正直困ったので、(次兄)には感謝していますし、申し訳ないとも心から思いますが、結果としてあの時で終わるべき人生だったのだと思っています」

「纏足は『美人の必須条件』とか言われてたけど、その自分の足が気持ち悪くて大嫌いだった!」

…ということでした。
一通り話し終えた後、履いていた靴を脱ぎ捨てて、裸足の状態でしばらく大きな庭園のような場所を散策した後、ガセボのような場所で嬉しそうにお茶をしながら、降りてきた光に包まれて消えていかれました。

当時の美意識を幼い頃から押し付けられながらも、ご自身で不自由な生活の中に「楽しみ」を見出したり、独特の感性を持ちながら、貞淑で在り続けようとしたのでしょうか…

彼女の魂が安らかに休めますように。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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