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「マナーを守る」ことは、「芋虫を食べる」ことだと思う

エレベーターに乗る時のマナーってあるじゃないですか。「若手が〈開〉のボタンを押す」とか、「目上の人間を先に降ろす」とか。あれ面白いですよね〜。だってエレベーターができたのってせいぜい数百年前とかの話なんですよ。もしエレベーターが発明されていなかったら、あのマナーもこの世に存在していないわけですよ。

そう考えると、平安時代にはたぶん「官位が高い者から蹴鞠を蹴り始める」とか「牛車に乗る時は御者に一声かける」みたいなマナーがあっただろうし

逆に30年後には「上司のドローンの斜め下45°を1m程度空けて飛ばす」だの「VRゴーグルは目上の人から装着する」だのといったマナーが生まれてるんじゃないかと思うんですよね。それぞれの時代に、それぞれのマナーがあるわけです。

つまり何が言いたいかって、我々はついつい「マナー」というものに対して盲目的になってしまいがちなんだけど、自分が「当たり前」だと思っているマナーが、すぐ隣のある空間においては全くもって「非常識」かも知れない。そういった視点を常に持っておかねばならんと思うんですね。

そういう考え方を突き詰めてあえて極端な表現を使うと、「マナーを守る」ことって「芋虫を食べる」ことじゃないかと僕は思っています。

なんかテレビ番組の企画で、体当たり派の女優がアマゾンの奥地の村に一週間お世話になるやつとかあるじゃないですか。そういう時に、村長にでかい芋虫を食べさせられたりするじゃないですか。めちゃくちゃでかいカブトムシの幼虫みたいな、ウネウネしてるやつ。で、大体コメントは「意外とクリーミーでおいしい!」になるやつ。あれと一緒だと思うんです。マナーって。

…さすがに意味わかんないですよね。説明します。

村長は、貴重なタンパク源であり村ではごちそうとされている芋虫を、あくまでも友好の証として、快くも見知らぬ外国人に分けてくれているわけですよ。で、それを受けた女優はその芋虫を食べることで、あなた達と同じ文化を共有するよ、私は仲間なんだよ、ということを示すわけです。

マナーを守るってこういうことだと思うんです。

「こいつ若手のくせにエレベーターで先輩に何も言わず先に降りたよ、どうしようもない奴だな」と誰かがついつい思ってしまう時、その感情はすなわち「こいつ芋虫食わないのかよ」と同義なんです。ウチの村では芋虫を食うのが当たり前なので、芋虫を食わないなんて信じられないわけです。いやこいつアホか?普通に食うだろ。めっちゃうまいし。

一方で、エレベーターのマナーが守れない若手は、「芋虫を拒んで村長に渋い顔をさせてしまう女優」であり、相手の文化を尊重しない報いとして不届き者の烙印を押されてしまう。言うなれば「どっちもどっち」であって、どちらが悪いとかいう話ではないと僕は思います。

ともかく我々は、芋虫を食べられない来客を見せしめに殺すような村長になってはいけないし、「こんなもの食べるくらいなら死んだ方がマシよ!」とヒステリックに叫ぶ女優にもなってはいけない。そして何より、自分が村長であり、女優であることを自覚するべきなのです。そして、お互いを尊重して、理解しようと努めるべきなのです。

まあ、ここで言うのもなんですが、ちょっと芋虫は例としては過激でしたね。虫が苦手でどうしても食べられない人もいると思いますし、そもそも民族差別的な表現を含んでいるのであまり適切な表現ではありませんでした。すみません。キャッチーだったので、つい使ってしまいました。

とにかく僕が言いたいことは、マナーとか常識というものは、あくまで相対的なものであって、全世界で全時代におしなべて理解されるものではないのである、ということです。

みんながこう考えるようになれば、世の中はもうちょっと生きやすくなるような気がします。

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