見出し画像

第2回「ああ!素晴らしきグルーミング被害」

 ラジオ番組『テレフォン人生相談』でおなじみ、社会心理学者の加藤諦三先生がこんなことを言っていました。

「学校のいじめは、家庭から始まる」

 家庭で親にいじめられている子どもは、常に無力感を叩き込まれます。衣食住を依存しているのだから、親に反抗したら生きてはいけません。いじめに耐えるしかないのです。
 その結果、学校で不当な目に遭っても、「それはおかしい」と立ち向かっていく戦意がわくことがありません。だからいじめを甘受してしまうのです。
 幼稚園の頃からずっと休みがちで、小6ごろには、ほぼ完全に不登校になりました。異様に人の顔色をうかがうわりに、常にどこか周りから浮いているおかしな子でした。教室にいるだけでいつもとても疲れます。お布団に包まれて本を読んだり空想にひたったり、ノートに小説を書くときだけリラックスできました。
「幽☆遊☆白書」のイケメンキャラ、蔵馬が私を追いかけ回す恋愛物語を盗み読んだ父が、
「おい、楽しみにしてるからな、早く続き書けよ」
 とからかってきたときの、地獄のどん底に突き落とされたような絶望を忘れることができません。
 あの時はこのアニメを見ていない子どもはおらず、男子も女子も教室じゅうが「蔵馬派」か「飛影派」に分かれていましたね。
 同年代の皆さん、どちら派でしたか?

 体も心も早熟な子どもだったと思います。初潮が9歳で来て、身長の伸びが止まりました。
 小2の頃にはもう、よく寝る前に自分の平たい胸を揉みまわしていた記憶があります。早く大きくなってほしかったんです。
 私は性的に欲情されたかったのです。
 大の大人になっても、性的に求められることを、愛され必要とされることとイコールだと錯覚している女性はよくいます。前述の『テレフォン人生相談』をよく聴くのですが、定期的に、セックスレスに悩む妻からの相談が取り上げられます。でも彼女たちは、愛されている実感に飢えているという本質の問題を、セックスの有無にすりかえていることがほとんどです。

 家の中にも外にもどこにも居場所がない、孤独な子どもは、おそらく数限りない漫画やアニメの影響でしょうか、男たちのしかけた罠にみごとにハマっていきました。子ども向けの漫画、アニメにも、スカートめくりや風呂のぞきなどの性暴力がギャグタッチでカジュアルに描写される時代でした。
 心の底では女を見下しているくせに、女の性的価値を称揚してみせる男たちの政治的ポーズを、真に受けてしまったんです。

「男は醜い。でも女は美しい」
「女の魅力の前に男はなすすべがない」

 誰も教えてくれないことですが、これらのウソをウソと見抜けるかどうかは、女性の人生にとって大変重要な要素だと感じています。

 時はブルセラブーム、そのあとは援助交際ブーム。
 少女たちの「性的自己決定権」についての議論でメディアはさかんに沸いていました。
 未成年の少女にも主体的に性を謳歌する権利があるのだ!
 私にはひどく魅力的な話でした。何ひとつ自由になるものがない、主体性を奪われた子どもだったからでしょう。
 小6で私は、パソコンソフトの同人サークルを主催している大人と知り合い、「付き合いたい」と言われました。
 彼は性的同意年齢についての知識がありました。「12歳までは、合意があっても強姦罪(当時)扱いだ。13歳になったら、しよう」
 その日は、13歳の誕生日でした。
 愛されていると思っていました。でも、愛のかたちを借りた支配でした。
 しかしこれはたったひとりの異常なロリコンによって行われた犯行では、けして無い。当時はそんな言葉もありませんでしたが、これは性的グルーミングと呼ばれる手口です。でも社会全体が少女をグルーミングしています。子どもの恋には性行為はいりません。大人と子どもが恋愛することはありえません。そのありえないことを、素晴らしいことのように称揚する男たちが後を立たないのです。

 暴力のしわよせは、弱いものへ弱いものへたどりつく。父は母をいじめました。母は私に依存し、親子の役割は逆転して、私が母をなぐさめる精神的保護者になりました。
 実兄と、父の連れ子の義兄による性的虐待もありました。特に後者は父の目前で行われたのに、彼が全くの無視で私を守らなかったのが衝撃的な体験でした。
 末っ子長女、体の小さい私は、精神的下女であるとともに、家庭の歪みを一身にひきうけるサンドバッグでした。
 ご存じでしょう? 社会は、つけいる隙のある弱者を放っておくことはけしてしない。犠牲者を探している彼らは異様に鼻がききます。弱いものを支配して吸い上げるだけ吸い上げてやろうとエサに飛びつく姿は、ほとんど本能的です。ハイエナのようです。
 ひとりの女性が生涯に何回ものレイプを体験することはめずらしくありません。
 私は「逆・雪だるま式」とか「逆・進研ゼミ」とか呼んでいます。進研ゼミは放っておくと、どんどんたまっていきます。
 しかしすりへった自尊感情は、なんの手も打たないと、ハイエナたちの手によってさらに奪われていき、マイナスになるのです。

 ところで「毒親」「毒母」といった言葉が昨今トレンドです。フェミニストを名乗る方のなかにも、男が性犯罪に走るのは、母親の育て方が悪かったからだ、小さな彼氏扱いしたからだと母親叩きに走る人が一部ですがいます。自分自身の母親への不満の投影なのでしょう。
 しかし毒親問題の本質とは夫婦問題です。根底には夫婦間のディスコミュニケーション、特に夫(父親)の無関心の問題で、妻が過剰に子に依存してしまう構造があることを無視してはならないと思います。

 グルーミング被害を受けていたときの素晴らしい全能感は、大変に印象深いものです。
 やっと私は支配する側にまわることができた、という満足感と高ぶりで、もう頭がおかしくなりそうでした。まるでドラッグです。家庭でも学校でもバカにされて見下されている私の体を求めて、大の男がかしずいている! 傷ついた少女のプライドをこれほど満たすものはありません。
 最初の男は12歳上で、次は14歳上でした。18歳の頃には、20歳上でした。
 社会的にそれなりに地位がある男に求められて交際して、まるで自分まで偉くなった気持ちでした。居場所が見つかった、必要とされている! 安心感でガンギマリでした。
 私の対人関係は、人を支配するか・それともされるかの、二択しかなかったのです。欲情されているときだけ、私は女帝のように男をコントロールできました。彼氏以外の男、教師などもみんな見下していました。偉そうなことを言って、私が裸になればセックスしたがるくせに。
 私に欲情しない男など今までひとりもいなかった! 父も、兄も、義兄もみんなそのまなざしを向けてきたのだから!

 その全能感とつかの間の安らぎのすべてが欺瞞であることは、私の体が気づいていました。私はつねに体調が悪くて寝込みがちで、いつでも死にたくてたまりませんでした。

 愛されない女に価値などない。
 しかし愛されようと男に媚びる『メンヘラ』どもにも価値がない。

 世の中はつねに矛盾したメタメッセージを発しています。これに過剰適応するとどうなるか? 性的存在でいるしかできないのです。それ以外の自分の姿がありえるなど、まったく信じられなくなるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?