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第5回「悪魔が笑うピタゴラスイッチ」

 売春婦という言葉を知ったのは、確か9歳ごろ、「プリンセスメーカー」というPCゲームからです。父や義兄がパソコン好きで生まれた時から家にあり、ファミコンよりもそれらをいじって遊ぶほうが好きな子どもでした。
「プリメ」はドラクエのような剣と魔法のファンタジー世界で、引退した勇者がとある孤児を養女として育てていくという筋立てです。本来はオタクの男が遊ぶような美少女育成シミュレーションで、10歳の娘の裸のCGすら出てくるような性的な要素もあります。でも母は単に少女マンガのような可愛い女の子が出てくるゲームとして解釈し、兄のおねだりでこれを注文して買ってくれたみたいで、なんだかすごい家庭ですね。
 娘を立派に教育し、王子様に嫁がせてお姫様とするのが目標なのでこのような題名なのですが、進路が売春婦なのは最低のエンディングです。これは娘のパラメータのうち色気の値だけが高いと見れます。こんな感じの文が表示されます。

 父親すらどっきりさせるような色っぽい女性に育った娘。しかし他には何のとりえもなく、無為にブラブラするだけの日々。やがて彼女はお金しだいで誰にでも身をまかせる夜の蝶となる。もう後戻りはできない……

 9歳の私は、一体どうしてこの文章から雷に打たれるような衝撃を受けたのでしょうか?! あの頃の自分を思い出すと、あまりにも痛ましすぎて涙が出そうです。たった9歳で私は「性的魅力しかとりえのない女性」を自分自身の未来だと感じました。愛に飢えていた幼い私は、大金を積んでまで私の体を熱烈に求めてくれる男性たちに囲まれたら、そんなに素晴らしい事などこの世にないと夢見ました。
 そんなステキな女性になんてなれないかもしれない。でももしかして将来は売春婦になれたら最高だ。お姫様よりもずっといい。
 このゲームの特集を組むPC雑誌には毎月、プレイヤーの娘である少女の投稿イラストが掲載され、オタク男たちが熱いファンコールを寄せていました。あの頃の自分にもし何か言えるならば、こうでしょうか?
 男は少女なんか全然好きじゃない。共通の話題で同性と盛り上がるのが好きなだけ。あるいは「無力で無垢な少女」に、オタクとして差別されている弱者である自分を投影して自己慰撫しているだけ。
 人は、愛しているものを大事にする。
 大事に扱わないのは愛していないということ。少女をオモチャ扱いし粗末にしているのは、愛していないということ。少女愛好家と世から目される男すら、少女なんて愛してなどいない! これが真実だ!

 通信制高校を卒業した私は実家から放り出されて予備校通いを始めました。別に大学にも予備校にも行きたいと言った覚えも、相談された覚えもなく、気づいたら勝手にそう決まっていました。この、当人に相談もなく全てが決まっていく感じは、私と似たような家庭環境の方には『あるある』として頷いてもらえそうです。
 両親は「聡子の人生だから、全て好きなように決めろ」と言いました。それは単に大人として適切な助言や指導をする能力が無いため、私と向き合う事から逃げていただけですが、私はこんなにリベラルで理解があって素晴らしい親など居ないと、いまだに彼らを崇拝し、支配されていました。私がすぐにろくに予備校に通えなくなって引きこもりのようになっても、彼らは何年にもわたってダラダラと大金を仕送りしてくれました。経済的依存も加わって、ますます親に疑問を持つことを許される環境ではありません。

 父は定年退職とともにストレスが無くなったのでしょう、酒量がぐっと減少。酔って暴れることもなくなり、母もまたストレスによる買い物依存がパタリと霧消しました。まるで玉突きかピタゴラスイッチのようなハッピーエンドですが、良かったと手放しで思うことが中々できません。お金を稼いでくる大黒柱ひとりの精神状態によって、家庭内の平穏がこんなに左右されるのはひどく恐ろしいことです。
 母は洋服を一度に20万円も買っていた事があります。そして服でなく彼女らの時間を買っているかのように何時間も店員さんと話し込んでいるのです、友達が1人もいないかわりに。まるで買春のよう。父が母を金で支配していたように、母もまた上客として他人を金で支配していたのです。
 母はいまは週3回のアルバイトでお金を稼いでくる実家暮らしの兄を「うちでは修史が一番エラいの、だって稼いでるのは修史だけだから」と絶賛しています。
 高校卒業前は過干渉によって緊張状態に置かれていた私は、飽きたオモチャのように放り出されて完全に気が抜けてしまいました。誰の助けもない独り暮らしで今度は社会と折り合いをつけて生活していかなければならず、別の緊張状態に置かれ、本当に完全に壊れていました。
 20代はずっとめちゃくちゃな状態で過ごしました。あらゆる他人が怖いから、他人の気配がない深夜帯が好きで、基本的に昼夜逆転で暮らしました。
 合計して3年にも満たない期間ですが、たまには非正規雇用で働いたこともあります。しかし全ての職場で私は即座に上司を性的に誘惑しました。尊重しあえる上下関係を築けず、とっさに性を使って優位に立とうとするのです。
 父親との関係との投影もあったのでしょう。私にとって人間関係は食うか食われるかの世界でした。働き方は非正規のくせに妙に熱心かつ強迫的で、働きぶりがいいと褒められる事は多いものの、すぐに疲弊して潰れることの繰り返し。他人からの評価がすべてで、他人の評価のなかに生きているから、自分自身が心から望んで人の役に立っていたわけではないのです。

 母の買い物依存は私が受け継ぎました。あたかも自分の性的魅力が持つパワーで男たちを屈服させたような錯覚をいだいていたのと同じように、私はお金の力で店員さんとのおしゃべりの時間や笑顔を買っていました。新しい服を買うと新しい自分になれる気がしました。理想の自分、今よりおしゃれな自分、そして、人から愛される自分になれる気がしました。買っていたのは幻想そのものだったのでしょう。この服さえ買えば、よりよい人生が待っているはずという幻想そのものを。
 精神的混乱とそれに伴う経済的混乱が、お待たせしました、いよいよこの連載のタイトルになっている売春婦の道へ私を後押ししていきます。先ほど、老後の母の平穏はまるでピタゴラスイッチだと書きました。こうして考えると、私が個人売春をはじめるにいたる道筋も、まるで悪魔の作ったピタゴラスイッチのようですね。

 醒めない悪夢のような20代でしたが、良かった事もあります。それは作家になることを夢見て何千枚と原稿を執筆した経験です。私はまだあの「マッチ売りの少女」のままでした。空想の世界が私の避難場所になってくれて、なんとか正気を保てていたと思います。作家デビューはできなかったけど、あの頃の文章修行のおかげで、占星術の鑑定文が読みやすいと好評をいただきます。
 来る日も来る日も一心不乱に小説を執筆したのに、私は挫折しました。自分の世界に閉じこもりすぎて、他者の理解を拒絶した物語世界だったのだろうと今では冷静に分析できます。
 でもあらゆるものを湯水のように無駄づかいしていた暗黒時代、執筆に時間と気力を注ぎ込んだのは、私にとって唯一といえるほど有益な買い物でした。

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