見出し画像

第6回「実録ルポ!さまよう男たち これが個人買春の実態だ」

 こんにちは。タイトルは、売春女性ばかりを煽情的にクローズアップするマスコミ風の見出しのミラーリングとしてみました。

 私が26歳ごろで個人売春を開始するのにはそれほど大きな決意はいりませんでした。直接のきっかけはバイトのシフトを充分に入れてもらえず、生活費に困った事でしょうか。年上の友人に経験者がいて、話を聞かせてくれたことがあります。彼女の時代はテレクラ売春で、時はバブル時代、なんと本番一発五万円が相場だったらしいです。
 私の時代はもうテレクラは廃れ、出会い系サイトが主流になっており、私もそれを選択しました。

 ホテル代別で本番二万円から一万円まで、だいたい一万五千円が地元札幌でのその頃の相場でした。もちろん相場はその後下降し続けています。
 知らない男と待ち合わせるのは最初は大変緊張し抵抗がありました。地元では女を金で買う余裕のあるだいたいの男は車を所有しているので、車で迎えに来てもらうのが定番です。しかし最初は知らない男の車に乗るだけでも冷や汗ものでした。小さい頃から親・教師からは「知らない人の車にだけは絶対に乗っちゃダメ」と言われて育ったのです。その大タブーを破るのです。
 皆さん、出会い系サイトで買春する男というのは一体どんな人種なのか、興味津々といったところでしょうか? 私なりの感想を書いていきます。
 いきなり本番行為は恐ろしかったので、初めては「五千円でパンツ買います」というおじさんとアポを取りました。
 その時間、その場所にやってきたのは身長160センチほどの小さい矢沢永吉で、車にも永ちゃんのステッカーがベタベタ貼られ、カーテレビで永ちゃんのライブDVDを流していました。
 生脱ぎパンツを買うだけの話だったのに、「いいから、いいから」と永ちゃんは言って車をどんどん走らせ、気がつくと私は札幌から小一時間ほど遠く離れた国道沿いのラブホテルにあれよあれよというまに連れ込まれていました。自力では帰れない距離です。
「いま五千円しか無いけど、残り五千円は次に会ったときに持ってくるから、お願い」と私はレイプされそうになりました。いえ、実際挿入されたので、未遂ではありません。恐ろしくなってとにかく「痛い、痛い」と大声で泣き叫んだら、相手は怖じ気づき、すぐに中止になりました。
 五千円はもらった記憶があります。小さい永ちゃんにレイプされてこの金額です。もちろん次などありません。
 射精に至らなかったことで、愚かな私はなぜか相手に悪いことをしてしまったような自責の念に駆られていました。

 私には体を売るのをやめる選択肢はありません。バイト2つ掛け持ちは体力的にすぐ挫折したので、短時間で高額を稼げるこの仕事以外に考えられない状況でした。次々とアポを入れていたのでこの後息つくヒマもなくいろんな男たちと会うことになります。
 のちに私を取り調べた刑事が「すごく不潔そうな変な男が来たらどうするの?」と興味本位の質問をしてきましたが、不思議と皆わりと小ざっぱりとしてました。でも、さっきの永ちゃんのように小さい男がすごく多かったな。それと多かったのは車を使う営業職の男が、平日昼間に迎えに来るパターンです。世のお父さんたちって、帰ってきたあとは仕事で疲れた疲れたが口癖なのに、実際はサボって女買ってるんだってなんか衝撃でした。お父さんは疲れてるんだ! ってウソだったんだなって思いました。女性の社会人が仕事を中抜けして男を買って戻ってくるのは、ありえない話ですから。
 大半の男たちが気さくでよくしゃべりました。それも自分のことばかりえんえんと機嫌よく。それが一番想像と違って驚いたことでしょうか。彼らはたいてい私にそれほど興味ありません。今からセックスする女に興味を持てないというのは完全に予想外でした。しかし激しくしゃべり倒しまくり、相槌を要求するところは、あたかも私たちが自由恋愛で出会った男女であるかのよう!
 彼らは要求しない限りけして前払いをすることなく、たいてい終わり間際に気まずそうにそっとお札を渡してきました。黙って私のバッグに代金をねじ込む輩までいて驚きました。お金ずくの関係じゃなくて、商売女ではない、シロウトの女を対等に出会っているという幻想こそを買っているように思えてなりませんでした。
 そういえば「ワリキリ希望ですが、そういうことで生活しているような女性はお断りです」とプロフィールに明記している男を見て、あきれた記憶があります。玄人ではない普通の女性と納得ずくのセックスをしているのだ、と言い聞かせたいばかりに、性風俗店に行くのではなく、わざわざ出会い系サイトで「シロウト」という名のわずかばかりの処女性を買い求めている。欺瞞にもほどがあります。

 もちろん実際に飛び込んでみて、「お姫様みたいに(それ以上に)ちやほやされる、愛される」という幻想など一瞬に壊れ去りました。でも男性は自分が売春婦になることはできないからか、ずっと幻想を抱きつづけていて哀れです。いまだに一部の男性たちは遊郭の花魁や芸者、または現代の風俗嬢など、金で男に身を任せる女性にやたらとロマンティシズムを投影しています。その身勝手で都合のいいロマンティシズムが有害なのは間違いのないことです。それを真に受けた私のような無力で愚かな女がこのような道を選ぶのです。
 会ったばかりの私相手に恋人どうしのような親密な会話を求める筋違いの客たち。私は友達でも恋人でもなく、その関係性は非対称です。そこは密室です。その会話に「私はそうは思わない」などとイエス以外の反応を返すだけで、ぶちキレられて殺されるのではないかという恐怖が常につきまとい、正直な受け答えなど絶対に出来ません。彼らはそれに無頓着ではなく、うすうすそれを自覚していたのかもしれません。

 子どもや女性への暴力の研究者であるフィンケルホー博士は、性的虐待の加害者になぜ男性が多いか、その理由のひとつをこう説明しました。
「女性は性的な愛情関係と非性的な愛情関係の違いをはっきりと区別させて学ぶのに対して、男性は性行為なしで愛情を表現する機会を持たされてこなかった。故に男性は愛や親密さといった情緒的欲求を性行為を通して満たそうとする傾向が、女性に比べて強い」
 人との繋がりに飢えた孤独なオッサンは、女体を気軽に金で買える社会であるからこそ、自分の人生に起こっている本質的な問題と向き合うことができません。本当に必要なのは対等に愛し愛されることなのに、それに気づくことができません。
 フィンケルホーは男たちの意識を変えるために「男同士の友情、子どもたちの世話のような、性によらない愛情関係を持つこと」の必要性を指摘しました。
 彼らが腹を割って話せる友人を持つ努力さえしていれば、女体は必要なかった。
 しかし男同士の友情の最大の障害はホモフォビアです。「男なんだから、男相手にベタベタしてられるか! オカマじゃあるまいし」というわけです。ホモフォビアの本質は「男が女みたいに女々しくてはダメだ」というミソジニー(女性性蔑視)です。
 男たちがそれを自覚しない限り、喉の渇きを癒すために海水をがぶ飲みするような筋違いの買春をやめることができないでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?