終わりの始まり

大好きだった(と思い込んでいた)彼氏に振られた。

でも、今考えると、私はずっと振られるのを待っていたのかもしれない。

好きになる努力をして、時間をかけたから、「大好き」なのだと自分に暗示をかけていたようにも思える。

出会いは、運命でもなんでもなく、合コンだった。
男女4-4の飲み会。その中で、見た目に関して、1番ないなって思ったのが、彼だった。

でも、その時、特別好きな人がいたわけでもないし、ちょうど出会いを求めていたし、何度かデートを重ねたら好きになれるかな、と思って一緒にいる選択をした。
私をいつも1番に考えてくれて、優しくて、許してくれる。
なのに、なんで好きになれないんだろう。
ずっとモヤモヤしていた。

私は散々追いかける恋愛をしてうまくいかなかった経験から、愛される幸せを感じようとしていたのかもしれない。そういう恋愛を彼に求めていた。

たしかに、幸せだった。と、思う。
2人の時間を重ねて、ゆっくりじわじわ、オーブンのように彼に対する私の感情は熱されていった。

でも、自分が冷静である時間が多かった分、彼の嫌なところばかり気になっている私がいた。
大事にしてくれるし、こんなに条件もタイミングもいいのに、彼の粗探しをしてしまう自分のことが嫌だった。
彼のことは大切なのに、不思議なことに彼の良さは、他の人と比べないとわからなかった。




そして、その半年後、私は振られた。





絶望。


失うと、思い出は美化される。
わかってはいるけれど、私はとんでもなくいい人を失ったのではないか、と思って泣いた。
どうして、もっと大切にできなかったのだろうかと。

でも1週間経って、気づく。
私、彼に執着していただけだったのかもしれない。


だって、好き、という感情は努力ではなくて、自然に動く心なはず。
なんであんなに頑張って好きになりたいって想ってたんだろう。

イケメンが好きなわけじゃない。
見た目で人を選んでいるわけじゃない。
自分のこと棚に上げて、人の見た目のことを言いたいわけじゃない。
そうじゃなくて、大切なことのひとつに、
自分にとって、魅力的な見た目であるかどうか、があるということ。

「人は見た目じゃない。ただ、中身を知りたいと思える見た目である必要はある。」


まさしくそうだった。

どんなに優しくても、どんなに私のことを想ってくれていても、自分にとって、タイプの顔ではないと、恋愛感情を持ちにくいのかもしれないと気づいたのである。
少なくとも、私は、そういう女だった。



自分の感情を思い通りにコントロールすることも、人の心を操ることもできない。
だから、恋愛は難しい。
それなりの年齢になって、それなりに経験してきたのに、まだこんなところでもがいているなんてね。
恋愛って、
計算できない、理性じゃどうにもならない、心の問題なんだなあ。


だから、面白い。
とか言ってね(笑)



そうやってポップに俯瞰する余裕があれば、もっと人生楽しめるのだろうか。

人生、何があるかわからない。
何かを手放したら、新しいものが入ってくるとは言うけれど。
早めに手放してくれてありがとうね?
いつか、あんなこともあったなあって笑える日がきますように。
まずは、
時間がこの傷を癒やしてくれるまで少し待ちますか。


27歳。今日も闘ってます。



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