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膝一体化計画(膝祭り特別編)

「膝枕一体化計画」これは2021年11月13日土曜日に開催した膝祭りの中で今井雅子さんの「膝枕」と外伝「膝枕ダービー(やまねたけし作)」「占い師が見た膝枕~ヒサコ編(サトウ純子作)」「占い師が見た膝枕~宅配の男編(サトウ純子)」「運ぶ男(下間都代子作)」を合体させて朗読した特別脚本です。

【実況】依然として細かい雨が降り続いております、東京レース場です。12年ぶりに不良馬場《ばば》で行われる秋のクラハ賞。今年はなんと出走13膝中13膝が関西膝。4年連続して今回の盾も箱根の関を超えて関西へ渡るんでしょうか。実況は〇〇でお送りします。早速、出走膝をゼッケン番号順に紹介します。1《いち》枠1番〈ポッチャリヒザ〉。体重増もなんのその。
1枠2《ふた》番〈ハハノミミカキ〉。遠い日の思い出が蘇ると話題です。
2枠3番に2番人気の〈ヴァージンスノー〉。一気に前に出ると誰もその膝を触ることができない。
2枠4番〈ワンオペイクジ〉。子育てに奮闘するみなさんを応援します。
3枠5番〈ネオチロウドク〉。今日は國男か漱石か。
3枠6番に3番人気の〈スタンドバイニー〉。格上相手でも恐れはしない。
4枠7番〈ダンスオブワニ〉。その走りは踊るようだと人気です。
5枠8番〈ミスターアグラ〉。ワイルドなすね毛が一部界隈で大人気。
不動の一番人気はこの膝。|春秋<はるあき》連覇がかかる5枠9番〈ヒザゲリクイーン〉。
5枠10《とお》番には我らがアイドル〈ウラナイシーチャン〉が入ります。
6枠11番〈ハシレテツアツ〉はこれが最後のレース、有終の美を飾ることができるか。
6枠12《じゅうふた》番〈マクラバクシンオー〉。外からのスタートだが、先手を取りに行きたい。
最後に6枠13番、雨とは相性がいい〈ヌレソボロ〉。
まとめますと、1番人気、関西の9番〈ヒザゲリクイーン〉を2番人気の3番〈ヴァージンスノー〉、6番〈スタンドバイニー〉が追う展開。
さて、コースと聞きどころを抑えておきましょう。

ピンポーン

「なんだよ、今から出走ってとこなのに」

【語り】休日の朝。独り身で恋人もなく、打ち込める趣味もなく、その日の予定も特になかった男は、チャイムの音にしぶしぶ立ち上がった。
ドアを開けると、宅配便の配達員がダンボール箱を抱えて立っていた。オーブンレンジでも入っていそうな大きさだが、受け取りのサインを求められた伝票には「枕」と書かれていた。

「枕」

【実況】ゲートが開いて秋のクラハ賞、各膝一斉にスタート。7番の〈ダンスオブワニ〉がちょっと後手を踏みました。好スタートを見せたのは4番〈ワンオペイクジ〉。さあここからが大変第2コーナーまでの先手争い、先陣争いですが、外から9番〈ヒザゲリクイーン〉が行った。外から、なんと〈ヒザゲリクイーン〉が先頭に立っていこうと、蹴っていこうとしています。しかしインコースから〈ヴァージンスノー〉、3番〈ヴァージンスノー〉も前に行きました。3番〈ヴァージンスノー〉と6番〈スタンドバイニー〉。この2膝のせめぎ合い。思わぬ展開になりました。〈ヒザゲリクイーン〉は今三番手。人気3膝が前を行っています。

「枕」

男の声が喜びに打ち震えた。

「受け取ってもらって、いいっすか?」

配達員に急かされ、男は「取扱注意」のラベルが貼られた箱を両腕で受け止めると、お姫様だっこの格好で室内へ運び込んだ。
はやる気持ちを抑え、爪でガムテープをはがす。カッターで傷をつけるようなことがあってはいけない。箱を開けると、女の腰から下が正座の姿勢で納められていた。届いたのは「膝枕」だった。ピチピチのショートパンツから膝頭が二つ、顔を出している。

「カタログで見た写真より色白なんだね」

男が声をかけると、膝枕は正座した両足を微妙に内側に向け、恥じらった。
「箱入り娘」の商品名に偽りはなかった。恥じらい方ひとつ取っても奥ゆかしく品がある。正座した足をもじもじと動かすのが初々しい。一人暮らしの男の部屋に初めて足を踏み入れた乙女のうれし恥ずかしが伝わってくる。

「よく来てくれたね。自分の家だと思ってリラックスしてよ」

強張っていた箱入り娘の膝から心なしか力が抜けたように見えた。この膝に早く身を委ねたいという衝動がこみあげるのを、男は、ぐっと押しとどめる。強引なヤツだと思われたくない。気まずくなっては先が思いやられる。なにせ相手は箱入り娘なのだ。

「その……着るものなんだけど.……」

男は裾がレースになっている白のスカートを箱入り娘に着せてみた。

「いいね。すごく似合ってる。可愛い……もう我慢できない!」

男は箱入り娘の膝に倒れ込んだ。マシュマロのようにふんわりと男の頭が受け止められる。白いスカート越しに感じる、やわらかさ。レースの裾から飛び出した膝の皮膚の生っぽさ。天にも昇る気持ちだ。レースの裾・・・レース・・・レース・・・レース?!

【実況】第2コーナーの坂を下ります。さあそれから膝差3つ、四番手には早くも13番〈ヌレソボロ〉、内からは2《ふた》番〈ハハノミミカキ〉。四番手集団で向正面に差し掛かります。膝差2つ後ろに10番<とお》〈ウラナイシーチャン〉中段の位置になりました。あとは後方から 8番〈ミスターアグラ〉、あるいは内をつきましてゼッケン12じゅうふた番〈マクラバクシンオー〉中段の位置かなり縦長。膝差4つから5つ離れて11番〈ハシレテツアツ〉が追走して、1番〈ポッチャリヒザ〉、7番〈ダンスオブワニ〉、後方から4番〈ワンオペイクジ〉が続いていきました。最後方に5番〈ネオチロウドク〉。縦長になって残り1200メートル。

「この膝があれば、もう何もいらない。」

俺は箱入り娘の膝枕に溺れた。
仕事でイヤなことがあっても、箱入り娘に語り聞かせるネタができたと思えば、気持ちが軽くなる。うつ向いていた俺は胸を張るようになった。顔つきに自信が表れ、目に力が宿るようになった。

「こんなに面白い人だったんですね」

職場の飲み会で隣の席になったヒサコが色っぽい視線を投げかけてきた。俺の目はヒサコの膝に釘づけだ。酔った頭が傾いてヒサコの膝に倒れこみ、膝枕される格好となった。
その瞬間、作り物にはない本物のやわらかさと温かみに魅了された。

「好きになっちゃったみたい」

【実況】第3コーナーのカーブにかかりました。先頭は依然6番〈スタンドバイニー〉、〈スタンドバイニー〉頑張っている。膝差2つリード。そして3番〈ヴァージンスノー〉が二番手の位置。さらにこれをマークするように、9番の〈ヒザゲリクイーン〉、〈ヒザゲリクイーン〉は三番手。その3膝が1つになりそうであります、ひとかたまりになりそうです。前の3膝を追って、2《ふた》番〈ハハノミミカキ〉、13番〈ヌレソボロ〉、怖い怖いこの二膝が徐々に差を詰めにかかりました。外からじりっじりっと8番〈ミスターアグラ〉でしょうか、上がっていきました。その直後に12番〈マクラバクシンオー〉も上がってきました。内から7番〈ダンスオブワニ〉、すぐ後ろ10《とお》番〈ウラナイシーチャン〉、外から4番〈ワンオペイクジ〉が固まっていく。後方から1番〈ポッチャリヒザ〉、シンガリ5番〈ネオチロウドク〉。先頭集団は残り800メートルを切りました。

その夜も、箱入り娘膝枕は、いつものように玄関先で男を待っていた。ヒサコの膝枕も良かったが、箱入り娘の膝枕も捨てがたい。

「やっぱり君の膝枕がいちばんだよ」

つい漏らした一言に、箱入り娘の膝が硬くなる。浮気に感づいたらしい。そこに「今から行っていい?」とヒサコから連絡があった。男はあわてて箱入り娘をダンボール箱に押し込め、押入れに追いやると、ヒサコを部屋に招き入れた。

【膝枕】女は毎日やってくるようになりました。
初めのうちこそ、彼は女が来ているときだけワタシを「箱入り娘」にしましたが、いつしかワタシが箱から出されることはなくなってしまいました。
ワタシは暗い小部屋から彼らがいるであろう方向に注意を向けました。もしワタシに目があったなら、壁に穴が開くほど見たことでしょう。むしろ本当に目力で壁に穴を開けたいほどです。
現実はそううまくいくものではありません。かろうじて、彼が女に膝枕をしてもらっていたことだけはわかりました。
ワタシという存在(もの)がありながら、他の女の膝をも手に入れようとするなんて。
女の方はワタシが放つ念に気づいたようです。部屋の方からかすかに話し声が聞こえてきます。

「ねえ。誰かいるの?」
「そんなわけないよ」
「ねえ。何の音?」

「気のせいだよ。悪い。仕事しなきゃ」
「いいよ。仕事してて。私、先に寝てる」

「違うんだ。君がいると、気が散ってしまうんだ」

バタバタと足音がしたかと思えば、急に部屋が静かになりました。
女の気配はもうありません。
彼はワタシを箱から出しました。
脛の擦り傷に手が当たり、膝をビクッを震わせてしまいました。
どさくさ紛れに彼の頬をはたけばよかったかしら。
ワタシは膝をこすりあわせていじけてみせました。

「焼きもちを焼いてくれているのかい?悪かった。もう誰も部屋には上げない。僕には、君だけだよ」

あなたの言葉を信じましょう。
ワタシは左右の膝頭をぎゅっと合わせました。それから膝をこすり合わせて彼を誘いました。

「いいのかい? こんなに傷だらけなのに…やっぱり、君の膝がいちばんだよ」

「最低!二股だったんだ……」

「違う! 本気なのは君だけだ! これはおもちゃじゃないか!」

【語り】男が思わず口走ると、「ひどい」と言うように箱入り娘の膝がわなわなと震えたが、男は遠ざかるヒサコの背中を見ていて、気づかなかった。

〜〜〜〜〜CM〜〜〜〜
【占い師】「今日のメインレースは、 3, 5でヒサコもあり?, 3, 5でヒサコもあり?(1)か。本命の9番は……」
習慣膝新聞に赤ペンで丸をつけると、私は広げたタロットカードを集めた。鑑定所の休憩室に置かれたテレビには『GⅠ レース秋のクラハ賞』に出走する膝たちがパドックを闊歩しているところが映し出されていた。東京レース場の天気は雨。さっきまでは晴れていたのに…

チャイム

そのとき、来客を知らせるベルが鳴った。

「あ、あのぉ観てもらいたいんですけどぉ……」

その女性には見覚えがあった。たしか先週占いに来たお客様で、付き合っている人がいるが、なかなか体の関係を持ってくれない。大事にしてくれていると思っていたのだが、さすがに少しおかしいと思いはじめ……。確か、そんな内容だった。
大きなため息とともに、ピタピタの黒のカットソーからはみ出ている胸の谷間が一緒に揺れる。
この、誘惑の塊のような身体を目の前にして、手を出さない男がいる、というのは、彼女にとっては最大の屈辱なのかもしれない。

「本日はどのようなお悩みでしょうか?」

女性は受付表を手に、虚ろな目で私を見た。
この上目遣いの感じ、そして受付票に書かれている名前。そうだ「ヒサコ」だ。

「当たっていました。私、二股かけられてました。それで、今日は人相を観てもらいたくて」

ヒサコはゴソゴソとバッグの中からスマートフォンを取り出すと、ネイルが剥がれかけた人差し指を、画面に向けて滑らしはじめた。

「きっと陰気な女に違いない。清楚なふりをしてミニスカート履いて。あーやだやだ。足で男を誘うなんて。ホント汚らわしい」

ヒサコはブツブツ言いながら、一瞬指を止めるとスマートフォンの画面を私に突き付けて言った。

「私、この女より美人ですよね?私の方が魅力的ですよね?」

その画面には、女の腰から下が正座の形で表現されているおもちゃのような物が写っている。
ヴァージンスノー膝が自慢◆箱入り娘膝枕……?
「人相……ですか?」

「どんな女か知りたいんです。きっと清楚で気品があって、守ってあげたいようなか弱さもあって、美しさと可愛らしさを両方持ち合わせているとか、天使のような笑顔を持っているとか。いいえ、案外妖艶な部分を持っているのかもしれない。そのギャップがまた、たまらない、とか。そうよね、そういうのもあるかもしれない。ああ、だったら仕方がない。せめてそう思いたい。あの人にとって、顔や胸なんて関係ないんですね」
『あの人にとって』の部分で斜め横に立てかけてあったブラックミラーが一瞬、雷を反射したような光を放ち、一つの映像を写し始めた。
ヒサコが、ノコギリで自分の腰を切ろうとしている姿だった。
私が驚いてヒサコの方に向き直ると、そこにヒサコの姿はなかった。

【実況】第3コーナーのカーブにかかりました。先頭は依然6番〈スタンドバイニー〉、〈スタンドバイニー〉頑張っている。膝差2つリード。そして3番〈ヴァージンスノー〉が二番手の位置。さらにこれをマークするように、9番の〈ヒザゲリクイーン〉、〈ヒザゲリクイーン〉は三番手。その3膝が1つになりそうであります、ひとかたまりになりそうです。先頭集団は残り800メートルを切りました。

【語り】男は、ヒサコへの愛を誓うことにした。

「ごめん。これ以上一緒にはいられないんだ。でも、君も僕の幸せを願ってくれるよね?」

身勝手な言い草だと思いつつ、男は箱入り娘をダンボール箱に納め、捨てに行った。箱からは何の音もしなかった。その沈黙が男にはこたえた。自分がどうしようもない悪人に思えた。ゴミ捨て場に箱を置くと、振り返らず、走って帰った。

真夜中、雨が降ってきた。箱入り娘は今頃濡れそぼっているだろう。迎えに行かなくてはという気持ちと、行ってはならないと押しとどめる気持ちがせめぎ合う。男はヒサコの生身の膝枕のやわらかさを思い浮かべ、自分に言い聞かせた。

「箱入り娘のことは忘れよう。忘れるしかないんだ。ヒサコの膝が忘れさせてくれる」

季節の変わり目は運送業にとって一番忙しい時期である。
「お疲れ様でした。お先に失礼します〜」

目まぐるしい1日を終え、俺は集荷場を出た。
22時を回り、すっかり冷え込んできたうえに、いつのまにか小雨も降り出している。
「やべぇ」俺は駐輪場にぽつんと残されていた自転車にまたがると雨の中、家路を急いだ。
だんだんと雨足が強まってくる。
近道で帰ろうと、大通りを曲がり裏道へと入った。
その瞬間、道の真ん中に段ボール箱があるのに気付き、急ブレーキをかけた。

「なんだよ、こんなところにあぶねぇなあ」

俺は自転車を降り、段ボール箱を蹴ろうとした、と、そのときガタガタッ!
突然、段ボール箱が動いた。
「え!」
濡れてぶよぶよになった段ボール箱が勝手に動き出したのだ。
俺は自転車をかたわらに停めると恐る恐る近づいた。
街灯の灯りがほんのりと段ボール箱を照らす。
蓋には配達伝票がついたままになっていた。

「これ、、、あ、枕」

以前、若い男の家に配達しに行ったのを思い出した。
ふと見ると、今、自分がいるのは、そのアパートの前である。

「ってか、なんでコイツ動いてるんだよ」

俺は段ボール箱の蓋を開けてみた。

「うわっ!」

【膝枕】驚きの声と同時に光が差し込みました。男の人が蓋を開けたのです。
ワタシの姿にびっくりしたのでしょう。
無理もありません。なぜなら、ワタシは膝枕。それも膝から血を流した膝枕なのです。

「だ、大丈夫か?」「おいおい!怪我してるのに、ダメだよ飛んじゃ!」
そのとき、俺の目にアパートの錆びた鉄骨の階段がぼんやり浮かび上がった。
「も、もしかして、お前、この階段?」
「そうです」というように両膝を合わせパチパチと鳴らす。
なんともいじらしい。なにが入っているのかわからないまま運んだが、こんなに可愛い膝が入っていたとは。

「枕って、膝枕だったのか」
この階段を上り、あの男の部屋にこいつを運ぶ。俺は運送屋だ。しかし…

〜〜〜〜〜CM〜〜〜〜〜

「あのぉ、すみません。少しだけ相談に乗ってもらえませんか?」

【占い師】この声に、私は聞き覚えがあった。段ボール箱を抱えている姿を見て、いつも荷物を届けに来る宅配の人だと気付いた。
かき上げた髪の先からポタポタと雫が落ちる。宅配の男はびしょ濡れだ。私は慌てて扉を開けると、側にあったハンドタオルを渡しながら中に通した。
雨というのはいろいろなものを運んでくる。おまけに突然降り始める雨というのは、招かざるものを連れてくることがあるので特に注意が必要だ。

「本当にすみません。こいつが元の場所に連れて行けって言うもんだから」

こいつ、というのは、隣に座っている、いや、バスタオルの上で正座して座っている、女の腰から下しかない、おもちゃのようなモノのことだ。正座した足をもじもじと動かしている。

「膝枕」実物を見るのは初めてだった。

「こいつ、捨てられてたんですよ。箱の中で膝をにじらせて、こんなに傷だらけになって。びしょ濡れの箱の中で転がってたんです。こんな雨の夜に、女の子が一人で、ですよ? 信じられない。おまけに箱に閉じ込めるなんて。
男は、目の前にあった水をグイと喉に流し込んだ。
「まったく普通の人がやる事じゃない。頭がイカれてる。わかるか? アイツはそういうヤツなんだよ」

左右の膝をかわるがわる椅子に打ちつけ、膝枕が抗議する。

「それなのに『あそこに連れて行け』と、暴れて、飛び跳ねて……それで、カードはどう出てますか?」

「痴話喧嘩って出てます。一回、購入者のところに届けてみてはいかがでしょう?
それでまた、捨てに行くようでしたら、その時こそ連れて帰るとか」

膝枕が膝頭をパチパチと合わせながら大きく弾んだ。

「お前もそうしたいのか?」

男に向かって「お願い」と手を合わせるように、膝枕は左右の膝頭をぎゅっと合わせた。
男は、乗り出していた体を背もたれに戻し、大きなため息をひとつつくと、膝枕用に出してあったもう一つの水を一気に飲み干した。

「幸せになれよ。幸せにならなかったら、許さないからな」

男は再び膝枕を抱きかかえると、雨の中を去って行った。

【実況】先頭集団は残り800メートルを切りました。《スタンドバイニー》頑張っている。《スタンドバイニー》のリードは膝差1つにつまってきた。その後ろに4番《ヴァージンスノー》、9番《ヒザゲリクイーン》この2膝がほぼ並んで行きまして、3膝並んで600メートルの標識を通過して行きます。その後ろから2(ふた)番《ハハノミミカキ》と13番《ヌレソボロ》も上がってくる。第4コーナーを曲がってさあ直線コース。11万人の大歓声が13膝を迎えている。先頭の《スタンドバイニー》リードはわずか。《ヒザゲリクイーン》と《ヴァージンスノー》がすぐ後ろにつけている。

【語り】眠れない夜が明けた。男が仕事に向かおうと玄関のドアを開けると、そこに見覚えのあるダンボール箱があった。狭い箱の中で膝をにじらせ、帰り着いたらしい。箱に血がにじんでいる。


「早く手当てしないと!」

男が箱から抱き上げると、箱入り娘の膝から滴り落ちた血が男のワイシャツを赤く染めた。

「大丈夫? しみてない? ごめんね」

箱入り娘の膝に消毒液を塗り、包帯を巻きながら、男は申し訳なさとともに愛おしさが募った。

こんなに傷だらけになって男の元に戻って来てくれた箱入り娘を裏切れるわけがない。

そのときふと、男の頭に別な考えがよぎった。

「これもプログラミングなんじゃないか」

箱入り娘膝枕の行動パターンは、工場から出荷された時点でインストールされている。二股をかけられたとき、捨てられたときのいじらしい反応も、あらかじめ組み込まれているのだとしたら、人工知能に踊らされているだけではないのか。そう思うと、男はたちまち白け、箱入り娘がただのモノに見えてきた。

「明日になったら、二度と戻って来れない遠くへ捨てに行こう」
これで最後だと俺は箱入り娘の膝枕に頭を預けた。別れを予感しているのか、箱入り娘は身を強張らせている。箱入り娘の膝枕に頭を預けながらヒサコの膝枕を思い浮かべる。所詮、作りものは生身には勝てないのだ。

「ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」

夢かうつつか、箱入り娘の声が聞こえた気がした。

【実況】残り400メートル。懸命に頑張っている《スタンドバイニー》。《スタンドバイニー》頑張った。頑張って坂を登り切った。後ろから《ヒザゲリクイーン》が仕掛けに来た。《ヒザゲリクイーン》差しに行く。《ヒザゲリクイーン》抜けるか。完全に抜けた。《ヒザゲリクイーン》抜け出して膝差1つから2つのリード。二番手10(とお)番《スタンドバイニー》、外から2(ふた)番《ハハノミミカキ》、14番《ニシノカナタニ》。200メートルを切って、三番手から2(ふた)番《ハハノミミカキ》懸命に走る。14番《ニシノカナタニ》も外から追い込んできたが、しかし10(とお)番《スタンドバイニー》二番手で頑張れるか。外から14番《ニシノカナタニ》、それから2(ふた)番《ハハノミミカキ》が飛んできている。先頭完全に《ヒザゲリクイーン》。

【語り】翌朝、目を覚ました男は、異変に気づいた。

「あれ? どうしたんだ? 頭が持ち上がらない。頭がとてつもなく重い。横になったまま起き上がれない。」

それもそのはず、男の頬は箱入り娘の膝枕に沈み込んだまま一体化していた。皮膚が溶けてくっついているらしく、どうやったって離れない。

「これじゃあまるで、こぶとりじいさんじゃないか」
俺は保証書に記された製造元の電話番号にかけてみたが、呼び出し音が空しく鳴るばかりだった。
「なんだこれは? 商品をお買い上げのお客様へのご注意……?」
保証書の隅に肉眼で読めないほどの細かい字で注意書きが添えられていることに気づいた。
「この商品は箱入り娘ですので、返品・交換…」

【取説ナレ】「この商品は箱入り娘ですので、返品・交換は固くお断りいたします。責任を持って一生大切にお取り扱いください。誤った使い方をされた場合は、不具合が生じることがあります不具合が生じることがあります不具合が生じることがあります…」

【実況】残り100メートル《ヒザゲリクイーン》リードを膝差4つ5つと広げていく、ぐんぐんと膝を伸ばしていく。二着争いは10(とお)番《スタンドバイニー》、2(ふた)番《ハハノミミカキ》、14番《ニシノカナタニ》の3膝、誰が先に行くか。《ヒザゲリクイーン》楽勝でゴールイン!

【語り】いよいよ起き上がれなくなった男の頭は、ますます箱入り娘の膝枕に沈み込む。

「俺・・・当たった・・・」

かつて味わったことのない、吸いつくようなフィット感が男を包み込んでいた。

ピンポーン


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