モグモグ朗読「蜘蛛の糸」芥川龍之介
朗読のポイント
・語り手は誰ですか?
・地獄と極楽の違い
・目線の先になにが見える?
朗読といえば「蜘蛛の糸」と言われるくらい有名な作品です。では「蜘蛛の糸」を聴いたことのある人はどんな印象を持っているでしょうか。
わたしはもともとは「眠くなる」というイメージがありました。というのも、面白くなってくる前に、眠くなるので、最後まで楽しめなかった経験があったのです。
こんなに面白いし、美しい情景が綴られている小説なのにもったいないですよね。なんとかせねばと思いました。
自分で読み込んでいくうちに、色々と工夫ができるようになり、ドラマティックに朗読するために必要なポイントがわかってきました。
【語り手は誰ですか?】
色々な人が朗読している「蜘蛛の糸」なので、個性があまりありません。でも、語り手を誰ととらえるか?によって、少しオリジナリティが出てきます。
いつも言っていますが、ちょっとくらいアレンジしても罰は当たりませんし(笑)
語り手の候補は何人か考えられます。朗読者本人でやる以外に、第三者の誰か?と考えてみます。原作を読み取る中で工夫できる範囲で言うと下記のあたりでしょうか。
①極楽にいる誰か(例えば門番とか、お釈迦様の付き人)②太陽③蓮の花④蜘蛛
ほかにもアイデアはありそうです。ただ、お釈迦様本人という考えになると、主語が「お釈迦様」なので無理がありますし、原文をアレンジするにしても大改革するのは芥川さんに申し訳ないですね。それらを考えながら選んでみましょう。
誰が語り手なのか?で、視点がかわってきます。
私は今回は極楽の蜘蛛にしました。そして、この蜘蛛は、かつてカンダタが助けた蜘蛛だったりして!と想像を膨らませました。
自分の出す糸をお釈迦様が地獄におろしました。助けてあげたい気持ちが蜘蛛にはありました。ちなみに、蜘蛛の糸にはセンサーがついていて、糸の先が見える仕組みになっています。はい。これも妄想です(笑)
【地獄と極楽の違い】
語り手が蜘蛛に決まったところで、お釈迦様の朝の様子や、蓮池の美しさを表現していきます。
カメラワークを考えながら語ります。極楽の空気の清々しさや、蓮の香り。足元を映したり、引きの映像を見せたり、透き通った池の底に遠くに見える地獄を覗いたりしますが、極楽での展開の際は、基本的には穏やかな語り口で進めます。途中、カンダタの生前の話では変化させます。
一方、極楽のシーンでは緊迫感を常に持ち、静かというよりは「無」の中にある苦しみもがく声をしっかり聴きます(自分の中で)映像をありありとイメージすると、極楽と同じようなテンポや声のトーンでは自然といられなくなると思います。
【目線の先になにが見える?】
地獄の中ではカンダタの心理と行動が変化していきます。
語り手もそれに合わせて、客観的にカンダタを見たり、カンダタの気持ちになり代わって緩急を交えて伝えていきます。
ということは、目線の先に見えるものが変わるわけです。語り手目線なら、カンダタが見え、カンダタ目線のときには天井を見つめたり、遠くなった地獄の針の山を見たりします。見えるものに対しての距離によって、台詞の言い方も変わります。
さて、最後、もう一度極楽のシーンに戻ってきますが
このときのお釈迦様はどのような心持でしょうか。蜘蛛である私は、こう思います。
「今日もまただめだったなあ。まあいつものことだ」
お釈迦様にとっては極楽の日常茶飯事などたいしたことではなく、蓮の花もまたいつもと同じすまし顔であります。
そんなことを考えて朗読しました。
「迷ナレーターが紡ぐ朗読の世界」のLive音源です。
よろしければ聴いてみてください。
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