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新しい扉が開くのは、今までがあったから

この記事は、京都ライター塾アドバンスコースの課題「エッセイを書く」で書いたものです。

 PUNK IPA(パンク アイピーエー)というビールがとても好きだったのに、あるときから苦手になった。そもそもビール自体が好きな私にとって、このビールは特別なものだっただけに、苦手になったことがとてもショックだった。
 PUNK IPAと出会ったのは、大学の先輩が急性白血病で30代前半で亡くなってしまったことがきっかけだった。先輩が副業として働いていたバーで、有りし日の先輩の話をバーの人たちから聞きながら、先輩が好きだったビールだと教えてもらったPUNK IPAを飲んだ。ほんのりとバナナのような香りがするけれど、飲むとホップのバシッとした強い刺激がある。後味はグレープフルーツのような爽やかさと苦みを感じるビールで、がぶ飲みはできないけれど、ホップの刺激にしびれる感じが心地よい。
 PUNK IPAと出会ったことで、私はビールに対して少しこだわりを持つようになった。
 お店で「PUNK IPAが好きなんです」と切り出すと、会話が盛り上がることも多く、PUNK IPAを好んでいた先輩のように、かっこよく、楽しく話せている気がした。
 だから、年齢を重ねるにつれて、PUNK IPAの刺激に弱くなり、飲み進められなくなっても、PUNK IPAが苦手になってしまったとは、なんとなく認めたくなかった。
 ある日、ビールを移動販売している「ビアバス」に出会った。
ビールを缶で販売しているのではなく、注文を受けて、プラスチックのカップに注いで販売する「ビールバー」
夫が仕事でお世話になった方のようで、しばらく雑談をした後、せっかくなら何か飲んでみようと、メニューを見ていた。
案の定、お店の方から「普段ビール飲まれますか?どんなのが好きですか?」と聞かれる。
そこまでの雑談で気が緩んでいたのか、私は無意識に「PUNK IPAが好きだったんですけど、最近は飲みづらく、少し苦手になってしまったんです」と答えた。
そして、すぐに「失敗した。気まずくなるかな、困らせるかな」と思った。
今まで「PUNK IPAが好きなんです」と切り出したことはあっても「飲めていたけど、今は苦手なんです」とは話したことはない。相手を困らせてしまうかもしれないと思った。
同時に「はずかしい」という気持ちも出てきた。
私には「PUNK IPAを飲めることは、かっこいい」という思いがあったからだ。
お店の人と、ビールについて話せることは、なんとなく、かっこいいし、PUNK IPAを好んでいた先輩自身も、かっこよかった。
私にとって「かっこいい」の象徴であるビールを苦手に感じるなら、それは「かっこわるい」に変換する。
そして、どことなく、寂しさと後ろめたさが出てきた。
「PUNK IPA」を苦手と言ってしまうことは繋がった、たくさんの人との出会いや思い出を否定してしまうような気がした。PUNK IPAを好きなままでいられたら、これから出会える人もいただろうという見えない出会いとも離れてしまう気がしたからだ。
そんな私の思いをよそに、お店の人から返ってきた言葉は「ホップを堪能したんですね。じゃ、次は麦芽を好きになる段階かもしれません。だいたいは、ホップの刺激に飽きたら、麦芽に興味を持ち、麦芽に飽きると、酵母に、こだわるようになるんですよ」
お店の人の顔は、話応えがあると思ってくれてるような、私がこれから何を好きになるのかを楽しみにもしてくれてるように見える笑顔。
気まずくなるどころか、次から次へとおすすめのビールを紹介してくれて、話は盛り上がりやっと買ったビールは「コーヒーのような黒ビール」
香りも味も、PUNK IPAとは正反対のよう。香ばしい麦の香り、後味の刺激は控えめ。
ビールだけど、コーヒーのように、ゆったりしながら楽しめる。きっと、以前の私なら興味を持つこともなかった。そもそも黒ビールは見た目からあまり好きではないので、選ばなかったビール。
それを「おいしい!」と、はしゃぐ私に、私自身が驚いた。
好きなものが苦手になってしまっても「嫌い」になったわけではないし、「終わり」なわけではない。
好きだった経験から、道が出来て、苦手に思う気持ちから、次の扉が開いただけだった。
次の扉が開いたなら、そこにはまた新しい出会いがあって世界は広がる。
私はこれまでの出会いも先輩も置き去りにしたわけではなく、持ったまま、次の場所に行けたんだと安心した。
寂しさは消えていて、これまでの思い出に感謝の気持ちと、これからどんな出会いが生まれてくるのか、とてもワクワクした。
これからは自信をもって、「PUNK IPAが好きだったんです」と言えそうな気がした。

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