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食の速度感

前回はそのまま大切に保存についてお話しました。
今回は「食の速度感」について。

前回お話ししたモヤモヤに対する速度感と似ているのが、食の速度感です。「早食い」というお話でも無く(結局は通じるかも)食の背景に広がる世界観のお話です。

食する・食べるの違い

感覚的な話になるのですが「食する・食べる」。そこには違いがある気がします。
【食する(蝕する)】という言葉には「食べる」という意味と「一つの天体の一部または全体が他の天体に隠れて見えなくなる」という意味もあります。記憶に新しい月蝕の様な状況ですね。

食という現象を、私が主語になる単体の動詞(行為)として捉えるか、大きな流れの中の一つの状況として捉えるかで、同じ食の背景に見えるものが変わります。

食の主役は誰?

振り返ると、食を私の行為として捉えてた時には全てにおいて「より効率的に」という世界観がベースにあったと思います。一食あたりの栄養素、1日の中の時間効率など。自分が日々こなすこと、行うことの中の1つという感覚です。喜びや幸せもありますが、あくまで主役は人間です。

一方、食するという世界観で捉えた時は、生きるも死ぬも、捕食も被捕食も、その境界線がとても曖昧に思えてきて、そこに一つの大きな流れを感じます。

食の中には、たくさんの生命と繋がりが存在しています。
たくさんの生命が存在している分、時間も存在します。その全てが繋がることが食であり、生命なのではと感じます。

この雄大な流れの中に、モヤモヤも痛みも、喜びも楽しさも、当たり前に同等にある。

そんなこんなをモグモグと噛み締めながら、今日も美味しいくいただきます。
次回は「相互循環の本当の目的」についてお話しします。

豊田玲子(遊びたい、身体大好き)
理学療法士 パーソナルトレーナー
2012 IFBB World Chanpionship Body Fitness 日本代表

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