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古代の中国やローマの塩

塩は日本のみならず、世界で作られています。
しょっぱいという味覚は、そこで育った人間によって感じ方に差があるかもしれません。
今回は古代の塩にフォーカスしてお話していきます。



世界の塩

古代中国

中国の山西省運城市にある運城塩湖では、紀元前6000年には製塩所がつくられ、湖面に浮かぶ塩の結晶を採っていたといわれています。
また、紀元前450年頃にはある人物が塩を煮詰めるために鉄鍋を使ったという記録が残っており、塩づくりに鉄が使われるようになったことを示す初めての資料と考えられています。
日本でおなじみの醤油と漬物も、中国発祥とされています。
もともと中国では、塩をそのまま食品に振りかける使い方はせず、多種多様な調味料で塩味をつけていました。
中国でよく好まれた料理に「ジャン」があります。これは塩漬けにした魚を発酵させ、大豆を加えたもの。やがて魚を使わなくなり、「ジャンユ」という調味料になりました。これが醤油の始まりです。
そのほかにも、中国では塩と豆を使ってさまざまな調味料がつくられていました。乳酸発酵が知られるようになると、土器の壺に野菜と塩を入れ、石で重しをして漬物をつくるようになりました。

中国北部を東西に伸びる万里の長城ができたのは、塩のおかげといわれています。唐の時代、塩の製造も販売も国が取りしきっていました。
王朝は財政状況に合わせて塩の値段を操作することで、城の建造費を捻出することができたのだそうです。

万里の長城

古代ローマと塩

ローマ帝国は、その勢力を塩とともに拡大していきました。
イタリアやローマから広がる領土にはたくさんの製塩所がつくられ、その周辺に都市が築かれました。塩を各地に運ぶ目的でつくられた「塩の道」は、世界へと広がっていきました。
ローマ帝国の塩に対する考え方は中国のそれとは対極的で、塩は誰にでも与えられるべきもの、多くの人に行きわたらせたいものと考えられていました。

事実、庶民の食卓にも塩が置かれていたといいます。
兵士に対して塩を給料として支払っていたことから、給料を意味する「サラリー」という言葉が生まれました。また、兵士を意味する「ソルジャー」という言葉も、塩を意味するラテン語「サル」から生まれたとされています。
ほかにも、ローマ人が野菜の苦みを消すために塩を振りかけて食べていた様子から、「塩を振る」を意味する「サラダ」という言葉が生まれました。

ローマ兵士イメージ

ローマ人の食卓には塩が置かれていましたが、食卓塩として使われるほか、スパイスや保存料として利用されることも多かったようです。
特にハムやソーセージといった豚肉の加工品に使用することが多く、さらにはオリーブの実を塩漬けにして油を搾ったり、塩水を利用していろいろな野菜を保存したりしていました。

次回予告

食文化に言語化など、世界の塩の歴史もおもしろいですね。
次回も引き続き「歴史と塩」についてお伝えしていきます。
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前回までの目次

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