【小説】公正

ある賭場の小さなテーブルで、男が一人泣いていた。あんまり小さい背中を震わしてさめざめと泣いているので、私は奇妙な同情心に駆られて彼に声を掛けた。
「おい親父さん、あんた何で負けたんだい」
「え、ポーカーさ。俺はポーカーしかやらねえんだ」
「幾ら負けた」
「そんなこと知るかよ。言えばあんたが埋め合わせてくれるのかい」
「そりゃ勘弁だな。──まあ、元気出せよ。ポーカーは何と言っても時の運、それと精神力がカギだぜ」
すると男は顔を赤くして発憤した。
「何を言うんだ、お前。それじゃあ俺は何のために毎朝ボランティアしてるって言うんだい」
「え、何の話だよ親父さん」
賭場にはたまに頭のいかれた奴がいるが、この親父もその類かも知れない、と私は思った。そういうときは適当にあしらって、とっとと別のテーブルに移っちまうに限る。
「何の話ってお前、勝ち負けが時の運で堪るかよ。俺は知ってんだ。テレビスター、医者、弁護士、大資本家、そういう奴らは皆んなちゃんと努力して大金を稼いでる。勝つには努力が必要なんだ。運なんかで決まって堪るかよ」
「いやね、そりゃ確かにそうだけど、ポーカーに努力は意味ないと思うぜ。そんじゃ俺は向こうのテーブルに行くからよ、後で会ったらよろしくな」
「待て、兄ちゃん。俺と一戦してくれや。もう最後の一戦になるかも知れねえ。俺はあんたと一戦したい……」
なるほど、見たところこの男はカモだし、一戦するくらいなら良いかも知れない。私は一戦だけだと断って、テーブルに着いた。2人交互にカードを混ぜ、手札を5枚引く。私のカードは弱いワン・ペアだった。私がチップをテーブルに乗せると、男は強ばった面持ちで勝負に乗ってきた。
「何だい親父さん、いいカードを引いたって顔じゃないな」
私はからかうように言ったが、彼はただじっとカードを睨みつけて、何かぶつぶつと独り言を言っている。私は手札を3枚交換し、運良くスリー・カードを作ることができた。一方の男は、1枚を除いた4枚全ての手札を交換した。
「さあ、勝負だ兄ちゃん」
そう言って男は手札をパシンと叩きつけた。6のワン・ペア。何だ、俺の勝ちじゃないか。
「スリー・カードだよ。悪しからず」
「クソっ、なんでだ」
その後もゲームを進める度、男のチップはどんどん私に吸い取られていった。私は段々と妙な気分がしてきた。まず、男は絶対にゲームを降りない。手札を全て交換するような悪手でもゲームを降りず、こちらがチップを上乗せしても必ず乗ってくる。そして、男はほとんど毎回4枚か5枚の手札を交換した。素人よりも酷いプレイスタイルだ。これで勝てる訳がない。結局、男の掛け金はあっという間に底を尽き、ゲームは私の勝ちに終わった。男は落ち着きのない子供のように地団駄を踏み、また丸くなって泣き始めた。そんな男を放っておくこともできたが、私は先程の男の言葉が気になって声をかけた。
「おいあんた、何事も努力が大切って言ってたよな。あんたがポーカーに勝つためにいつも何をしているのか、俺に教えてくれないか」
男は最早力なく、急に老けたような顔をこちらに向けてむにゃむにゃと喋り出した。
「毎朝ゴミ拾い。海岸の掃除。恵まれない人たちに募金もしてる」
「そいつはあんたの趣味か?」
「趣味なもんか! 俺がいつゴミを拾いたくなったんだい。全部ここで稼ぐために毎日やってることさ。それなのに…………」
「あんた、神様でも信じてるのかい」
「俺は宗教なんぞ信じねえよ。あんなものは心の弱い奴らの下らない幻想郷さ。現実の世の中には、ただ現実があるだけ。だから俺は毎日努力を欠かさず、自分を磨き続けてるのさ。俺は夢想なんかに浸らねえ。着実にやるべきことをやってるのさ」
「そうかい……」
私は呆気に取られてしまった。
「……親父さん、あんたどうしてポーカーをするのさ」
「え、ポーカーが一番俺みたいな人間に報いてくれるからだよ」
「どういうことだ」
「俺がチェスでも打ってみろ。戦略もろくに知らねえ、すぐ負けちまうよ。それとも腕相撲で勝負するか。これもダメだ、俺の身体はヒョロヒョロさ。俺は頭も悪ければ、腕っ節も貧弱なんだ。でも、ポーカーなら運命だけで全てが決まる。技も力も関係ない。だからさ」
「それなら、どうして真面目に勝負しない」
「俺は真面目にやったさ! お前も見ただろう。今日のラッキーナンバーは6だから、俺は6のカードをずっと待ってた。だが、結果はこれさ。世の中はもう狂っちまったんだ。俺みたいな善人に報いず、どこの馬の骨とも知らん奴らが世界の恩恵を受けやがる。これは不平等ってもんだ。──そもそも、ポーカーのルールってのは不平等じゃあないのか? 俺みたいな善人が勝てないってのはどう考えてもおかしい。朝にゴミを拾った奴は、カードを2回交換できるようにすべきだ、そうとも。良い事をせずに毎日生きてるような奴らには、手札を4枚しか引かせないべきだ。でないと平等じゃないだろう! なあ兄ちゃん、そうだよなあ」
男は唾を撒き散らしながら喚き立てたので、私はすぐさまその場から逃げた。男は追って来ず、やがて係員に担ぎ上げられてどこかへ行ってしまった。やれやれ、妙な奴に関わったもんだ。まあ、儲けられたからいいんだけどさ。

帰り道、ぼうっと俯きながら繁華街をぶらついていると、通りの向こうからいきなり叫び声が上がった。何事かと思って顔を上げると、巨大なトラックがものすごい勢いで眼前に迫っていた。人々のどよめきが遠く聞こえる。

──俺が何か悪いことしたか?

「いいや、何も」

俺はそのとき失笑し、刹那2トントラックが俺を下敷きにしながら近くのビルに突き刺さった。


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