コメントクラブ

「やあ、我らがコメントクラブへようこそ! 僕は部長の川坂です」
殺風景な部室で、私は上回生に囲まれて縮こまっている。新入生は自分以外にいないようだ。
「初めまして、新入生の豊田です。あの……新入生は私一人ですか?」
「ああ、今日は来ていないようだけど、先日の体験部会では2、3人くらい来ていたかな? まあ心配することはない、うちは初心者大歓迎だからね」
いや、そもそもコメント初心者って何なんだ。部室棟に貼られていたチラシを見て、つい好奇心で部会に来てしまったが、そもそもこの部活が何を目的としているのかさえ私は知らない。大学ともなると、高校までは見たこともない変わったサークルや部活がたくさんある。この「コメントクラブ」もその一つだが、色とりどりの掲示板に埋もれた汚い字の手書きポスターが妙に印象的で、頭に引っかかって離れなくなってしまったのだ。
「すみません、私何も分からずにここまで来ちゃったんですが、どんな感じの活動をされてるんですか? 部室にも特に何もないみたいですけど」
部長は部屋を見回して言った。
「ああ、ここ? ここはただ僕らがくつろぐために借りてるだけの部屋だよ。僕らの活動は基本的に外でやるし、道具とかも使わないからね」
「…………」
「あ、ごめんごめん活動内容だったね。まあ何と言うか、その辺のものに片っ端からコメントをしていくだけの簡単な活動だよ」
僕を取り囲んでいる上回生が揃って頷いた。
「コメントをしていく……?」
「ま、こればっかりは見てもらわないと仕方がないな。今から実際にやってみるから、見においでよ」
部長はそう言うと、靴を履いて部室の扉を開けた。上回生たちも僕を取り囲んだまま器用に靴を履きはじめたので、僕も自然と外へ出る他なかった。

どこに連れて行かれるのかと思ったが、中央図書館前の広場に差し掛かったところで部長は足を止めた。
「それじゃ、まずは僕がやってみるからよく見てなさい」
それから彼はスウーッと息を吸い込み、吐き出すと、暫くピクリとも動かなくなった。
「えっと、これは……」
何の儀式なのか、と上回生に聞こうとしたが、彼らの表情を見て私はぎくりとした。部員たちはみな身を乗り出し、目をカッと見開いて今か今かと部長の"コメント"を待っているのだ。あまりに一心不乱なので、私は仕方なく部長の方を向き直った。ほどなくして彼はぶつぶつ呟き始めた。
「…………草が、ある〈事実〉」
なるほど、確かにこの広場には草が生えている。
「…………草は、緑だ〈評価〉」
実際のところそのようだ。
「…………ちっちゃいバッタがいて、可愛い〈感想〉」
うーん、私の目には見えないが。
「…………ベンチが、ある〈事実〉…………石でできていて、固い〈評価〉…………汚そう〈評価〉…………多分、税金で作られてる〈感想〉」
この調子で、部長は広場を徘徊しながらぶつぶつと呟き続けた。すると、周りに佇んでいた上回生たちも何やら一斉にぼそぼそと喋り始めた。
「…………めちゃ天気がいい〈評価〉」
「…………寒い〈感想〉」
「…………鎖、が長い〈事実〉」
「…………ヘ眷ケÄが螟鬢い〈井ㅂ〉」
「…………人が、いる〈事実〉」
私は何だか気分が悪くなってきて、たまらず部長に叫んだ。
「な、何なんですか貴方たち! こんな風に、ぶつぶつとよく分からないことを言うのが『コメントクラブ』の活動だと言うんですか?」
すると部長は動きを止め、腰を気遣う老人のようにおもむろに背伸びをして、言った。
「いや、違うんだ。人によって色々と変わるんだよ……。まあ、どうせここまで来たら見てもらわないと帰すわけにはいかない。次、石田やりなさい」
先程まで友好的なオーラを纏っていたのが嘘のように、部長の表情も声色も冷たいものに変わっていた。私は怖くなったが、逃げ出そうにも部員たちは私を囲って逃がそうとしない。
「今は怖いだろうが……まあ、時間の問題だよ。ひとつ覚えておいてくれ。僕は『主観的に見たものを客観的に分析しないと世界を見ている気がしない』んだ。さて、石田はどうかな?」
石田と呼ばれた上回生は、やはり深く息をしてからしばらく静止し、ぼそぼそと呟き出した。
「…………地面がタイルでできてる」
彼は図書館に向かってうろうろと歩き出した。
「…………枯れ枝が赤い」
小さな池の前に立ち、
「…………水が暗い。…………小さなゴミが浮かんでる。…………めちゃくちゃカラフル」
そのとき、私は妙に思った。確かに池にはゴミが浮かんでいるが、腐った枯葉やくすんだガムの包み紙ばかりで、カラフルには見えない。
「カラフルというのは、よく分かりませんね」
部長にそう漏らしたが、彼はギンギンに目を見開いて、食い入るように水面を見つめている。
「…………見えないのかい、君には」
「え?」
すると、またもや上回生たちが一斉に口を開いた。
「…………雲が、黄色い」
「…………下の……方が、すごく暗い」
「…………繧?酋がヒい」
「…………髪の毛が明るい」
「これは一体何なんですか?」
部長に問うが、
「いいから見てなさい。どうせ説明なんて意味無いんだよ」
と顔色ひとつ変えない。今度はまた別の上回生が指名され、同じように"コメント"をし始める。
「…………=蜻スは蟆翫>」
もう何が何だかさっぱりだが、上回生たちはまたも口を開き始める。
「…………シ韣芉s膌돣」
「…………?o0De?0`」
「…………ワsオ瀕さ耳い」
「…………サッ逋ス縺?°繧」
「…………モもヶ噇タh」
私もいい加減に飽きてきて、
「あの、そろそろ用事があるので抜けてもいいでしょうか?」
と部長に言った。しかし彼は頑なだ。
「……見えるだろう君には。ちゃんとやってみたのかい」
「ちゃんと……何をやるんですか? 正直、あんまり面白い活動には思えません」
「彼だよ。彼の名前は権藤。五感がものすごく鋭敏で、『感じたものを形容するために自作の語彙を使う』んだ。そんな彼だが、日常生活は実に普通に上手くやっている。そして今は部活動の時間だ。君は、彼の"コメント"を真面目に分かろうとしたのか」
「どうやって?」
「彼をじっと見つめるんだよ」
私は、権藤と呼ばれた妙な男を見つめてみた。他の部員がやっているように、食い入るようにじっとだ。すると、頭の中にぼんやりと「ボ畚◎」が浮かんできた。
「……ダメです。今『ボ畚◎』が見えそうでしたが、結局権藤さんが言い表しているものと、僕に見えかかった『ボ畚◎』は全く別のものだと思います」
「いいんだ。それでいいんだよ。僕たちだって、結局お互いが見、聞き、感じているものを本当の意味で共有することなんでできないんだ」
部員たちは、意味の分からない言葉を呟き続けながらどこか必死そうだった。
「じゃあ、権藤さん以外の人たちには結局何も見えていないんですか? 権藤さんに共感するようなポーズだけ取って」
「いや、彼らは本当に見ているんだ。権藤の見ているものとは全く違うとしても、真似し、分かろうとすることで確かに見えているんだよ。君には分かるだろう」
その瞬間、上回生たちが一斉に私の方を向いた。
「さあ、次は君の番だぞ、豊田くん」
「ほ、本気ですか?」
「無論だ。やりたまえ、君の"コメント"を──」
もはや部員たちは、私を取り囲んでいない。部長の視線は真っ直ぐ私に向けられている。
「見えるんですか? 貴方たちにも……」
「今は見えない。だが、豊田くんが今ここで"コメント"してくれれば、僕たちはそれを見ようとすることができるだろう」
「でも、それは──」
「君が見ているものとは全く違う。それを僕たちの中で勝手に解釈し、ねじ曲げ、模倣しただけの紛い物だよ。だが、それでも僕たちは見ることができる。君の目に見えた何ものかを模造しようとする、君の方を見ようとする、その第一歩になるんだ」
私は固唾を飲んで、ゆっくりと深呼吸をした。周りの目には見えないから、自分にも本当は見えていないのだと思い込んでいた。私は目を閉じ、それからゆっくりと見開いて、言った。
「…………"ユウちゃん"が、いる」
部長が僕を見つめている。石田さんも権藤さんも、その他の部員たちも、みな食い入るように僕を見守っている。
「…………"ユウちゃん"が言ってる。『久しぶりだなァ』って……こんなに小さかったっけ? "ユウちゃん"」
「…………〈評価〉」
部長は、いたく愛おしげな様子でぼそりと呟いた。

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