2015年1月の「ヒット曲研究会」(その4)

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 「その3」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 外山は96年から97年にかけて、〝ヒットチャートから時代状況を分析する〟という主旨の座談会シリーズ「ヒット曲研究会」を主宰し、そのテープ起こしを単行本化した『ヒット曲を聴いてみた』(駒草出版・98年)をカルチュラル・スタディーズの知られざる金字塔であると『全共闘以後』(イーストプレス・18年)でも自画自賛している。
 以後、同様の試みが2010年と2015年にも(座談会メンバーを完全に入れ替えて)おこなわれたうちの後者、福岡での2015年1月29日のそれを公開する。『人民の敵』第5号に掲載された。
 座談会参加者は外山の他に、例によって福岡での対談や座談会企画の常連である極右天皇主義者の藤村修氏、そして「九州ファシスト党〈我々団〉」党員の東野大地、および「教養強化合宿」の第1期生でこの座談会当時は「西南学院大学アナキズム研究会・議長」を称していたM君である。

 第4部は原稿用紙換算28枚分、うち冒頭14枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその14枚分も含む。
 ( )内は『人民の敵』掲載時にもともとあった註、[ ]内は今回新たに付け加えた註である。[ ]内は字数計算には入れていない。

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 芸術性と政治性の両立は可能か?

外山 音楽がある種の何らかの反体制性を帯びることがあるとしても、それは〝結果〟としてそうなることがありうるという話で、音楽に限らないけど、既存の社会秩序からはみ出してしまうタイプの人がさまざまな〝表現〟に向かう場合がパーセンテージ的には多いから、そういうこともたびたび起きる。もともと既成の社会秩序とうまく折り合えないタイプの人が〝表現〟の世界でその人なりに自然に振る舞った結果、その〝作品〟が〝表現〟の世界を超えて影響を及ぼす場合があるんであって、たかがミュージシャンふぜいのアタマの中で意識的に組み立てられた〝政治的メッセージ〟それ自体が社会を変革することなんかない(笑)。

東野 ジャズでもロックでもヒップホップでも、〝音楽をやる〟こと自体が政治性を持ちえた時代があったと思うんですよ。そういう道を選べばまずフリーターみたいな生活を送ることになるんだし。だけど今はむしろフリーター的な存在形態が〝標準〟であって、〝正社員〟だってフリーターと本質的に何の違いもないんだから。後進国ならまだ辛うじて〝ロックをやること〟それ自体が反体制性を帯びることもありうるんでしょうけど。

外山 いや、ぼくが云おうとしてるのは逆で、〝表現〟の道に進むことそれ自体に政治性があるんじゃなくて、既成秩序と折り合えない奴が〝表現〟に進む場合が多い結果として、たまたまその人が選んだジャンルがロックであれヒップホップであれ、政治性を強く帯びてしまう場合が往々にしてあるってこと。そのことがますますそのジャンルの秩序を活性化してしまうというもどかしい面もあるにしても、エミネムだってレディ・ガガだって、さまざまの物議をかもしてるじゃん。

東野 〝成功した起業家〟みたいなものですよ。

外山 だけど彼らは〝物議をかもそう〟と意図して物議をかもしてるというより、もともとどんな世界に身をおいたとしても次々に問題を起こすような人たちだと思うんだ(笑)。だからそれ自体は良い悪いではないと思う。ただ問題は、ロックやヒップホップといった領域でそういう人たちが多少暴れたところで、それをすっかり手玉にとってむしろ自身の利益に変えてしまうような手練手管を資本主義の側がすっかり身につけてるってことだね。

藤村 いつの時代であれ、その時代のさまざまなコードを編み変えようとする表現者や表現は存在する。そういう政治的な力を実際に発揮してしまう表現はそもそも非定型な無秩序に向かうエネルギーを持ったものだから、どんなものであれ何らかの綱領的な体系性つまり秩序を有する〝政治運動〟とは本質的に折り合いが悪くて、意図して政治的に利用しようとした場合には必ず変質をこうむってしまう。その政治運動が〝反体制〟であろうが〝革命〟を目指すものであろうが、それが〝政治運動〟であるかぎり、そのために〝表現〟を利用しようとすれば、必ず〝表現〟を変質させる。
 〝表現〟を何らかの政治運動に意図的に利用しながら、その〝表現〟が〝表現〟そのものとしても優れてあり続けること自体が、そもそも不可能なんじゃないか。逆に政治的に有効な〝表現〟というのは、さっきのキヨシローの例で示されていたように、純粋に〝音楽〟として評価しうるかと問われれば疑問符が付くようなものであるしかないんじゃないか。
 だけど外山君や東野君たちファシストは、芸術性と政治性を両立させたいわけでしょ。それはかなりの難問で、実際に歴史上のファシズム運動がそうであったように、どこかの時点で政治性を優先して芸術を変質させ、劣化させてしまうことが避けられなくなるんじゃないか。

東野 避けられないですね。

藤村 それがファシズムに対するぼくの批判。

東野 その批判はまさにおっしゃるとおりだと思います。

藤村 とても困難な道だと思うけど、頑張ってください(笑)。でも福田和也も云うように〝失敗するファシズム〟が一番カッコいいのかもしれないけどね。

東野 〝政治の美学化〟としてのファシズムは、たしかにもう不可能だという気がしてます。

藤村 そういう原理的な話はオレの手には負えないんで、千坂(恭二)さんか絓(秀実)さんに相談してほしい(笑)。

東野 共同性を政治的に再建しなきゃいけないと思うのはたぶんインテリだけで、人民は放っといてもそれなりの共同性を勝手に形成するんですよね。さっきのヤンキーの話(録音に失敗した、湘南乃風とヒルクライムを聴いての[「その3」での]議論)でも云ってたとおり、〝共同体が崩壊してる〟と思ってるのもインテリだけで、人民は実際に共同体を形成してたりする。インテリが提唱するイデオロギー的な共同体は、人民には支持されないでしょう。

藤村 だからこそ可能なのは党派的な同志的結合だけで、必然的に〝我々団〟ってことになるんだろうけど(笑)。


 椎名林檎「ニッポン」は〝ナショナリズム賛美〟なのか?

 ……ヒット曲を聴いてませんね(笑)。

藤村 そうそう、〝美学的な共同体〟を論じるにふさわしいヒット曲の一群があるじゃないか。……AKB(笑)。まさに〝美学的共同体〟の対極にある敵でしょ?(笑) ヒット曲研だから必ずAKBとか、アイドルの話をすることになるだろうと思ってたんだけど。

 アイドルの話は全然してませんね。

藤村 予習しとかなきゃと聴きたくもないのにAKBのCDを借りてiポッドに入れてきたんだけど、やっぱり聴きたくないから聴いてない(笑)。

東野 ここで聴いたらいいじゃないですか(笑)。

藤村 アイドルの話もしてないけど、紅白の話もほとんどしてないし、紅白といえば椎名林檎の話もしなきゃいけない。……そうそう、外山君に訊きたいことがあったんだ。オレは最近あんまり椎名林檎をチェックしてなくて、ネットとかでは〝イタくなってきてる〟って声をよく見かける気がするんだけど、どこがどう〝イタい〟ってことなの?

 まさに紅白で歌ってた「ニッポン」(14年のiチューンズ年間チャート19位)とかのことを云ってるんじゃないですか?

藤村 あの曲は〝イタい〟?

椎名林檎「ニッポン」を流す
歌詞

藤村 (曲が終わって)この曲にはすごく賛否両論あるでしょ。この曲は今の〝危険なナショナリズム〟の風潮に乗っかるものだという批判が一方にあり、〝いや、椎名林檎は皮肉でやってるんだ〟と擁護する声もある。

 ぼくは〝何じゃこりゃ〟って拒絶反応を覚えました。

藤村 オレの理解では、この曲は〝ナショナリズムのクール・ジャパン化〟

外山 あ、それはよく分かる。

藤村 つまり内容的にはまったく何も云ってないでしょ。〝フレー、フレー、ニッポン〟としか云ってなくて、あとは全部なんかテキトーな、〝生きる力がワーイ!〟みたいなもんで(笑)。

外山 そもそも何かのテーマソングなんだよね?

 日本代表の応援ソング。

藤村 ワールドカップか何かの。

 そうそう。

藤村 でもこの歌じゃまったく応援になってない(笑)。

外山 そういうオファーだからって〝ニッポン〟なんてマンマなタイトルつけて、出だしがいきなり〝万歳、万歳〟って、明らかにワザとらしいじゃん。

藤村 完全にバカにしてるよね。

外山 全然ナショナリズムじゃない。むしろ距離を置いてる。

藤村 紅白のパフォーマンスで初めてこの曲を聴いたんだけど、やっぱりバカにしてるんだと分かって感心した。どこか外国の軍服みたいなのを着た人がバックで踊ってたり、椎名林檎自身も〝着物にエレキギター〟で。

外山 いかにも日本風のカッコをした上でそれに似つかわしくないことをやるというね。

藤村 まさにそれが〝クール・ジャパン〟の本質だけど。〝意味〟とか〝起源〟みたいなものを全部とっ払って無意味化するっていう。

外山 ぼく自身はオタク文化とか〝クール・ジャパン〟的なもの総体に否定的な立場だけど、椎名林檎のこのパフォーマンスは、そのテのものの否定的な側面を逆手にとって利用してるよね。〝あらゆるものを無意味化してしまう〟という〝クール・ジャパン〟の悪質な作用を、ナショナリズムに対して応用してる。

藤村 だからこれはまさに左翼的なものだよ。

外山 うん。そう思う。

藤村 反ナショナリズムだもん。いや、正確には〝反〟ではないけど。

外山 〝親〟も〝反〟も無意味化するような意味で〝反〟ってことだよね。

藤村 やっぱりそう解釈するのが正しいんじゃないかな。ツイッターで佐藤悟志さんが〝こうなったら東京オリンピックの開会式は椎名林檎に歌わせて、バックはみんなAKBとかのアイドルで固めればいい〟って書いてて、素晴らしい、その通りだと思った(笑)。ああいう今からでもイスタンブールに譲ってほしいような(笑)、くだらないイベントをもしどうしても日本でやるんなら、今は〝クール・ジャパン〟をウリにしてるんだし、安倍もたぶん〝クール・ジャパン〟なんか少しも理解してないだろうにそこは頑張って踏襲していくつもりなんだろうから。

外山 ぼくは〝クール・ジャパン〟を全否定してるし、90年代に入ってこのかた日本人こそ世界で最も劣等民族だと確信してるけど(笑)、そんなゴミくず民族が世界に何か貢献しうるとしたら、この頽廃を世界中に伝染させて滅亡に巻き込んでいくぐらいだよね。

藤村 中川(右介)さんもこの曲について〝頽廃〟って言葉を使ってた

外山 中川・兄の例の〝紅白実況ツイート〟ね[「その1」有料部分で言及]。さっきからの藤村君の感想にも近くて、〝頽廃〟することによってナショナリズムの猛威に対峙しようとしてる曲だと絶賛してたんだ。

藤村 オレは〝頽廃〟というふうには感じなかったけど、まあ〝クール・ジャパン〟を〝頽廃〟と見るならそうも云ってもいいかもしれない。今の日本が何か世界に誇りうるとすればそれだけなんだし、やっぱり佐藤さんの云うように、オープニング・アクトを〝クール・ジャパン〟的なもので覆い尽くして、東京オリンピックそのものを無意味化してしまえばいい。佐藤さんは〝AKB支持〟だから肯定的な意味で書いたのかもしれないけど(笑)。

東野 それで対抗できますかね?

外山 〝対抗〟ではないんだよな。世の中がどんどんマズい方向に行ってる時に、戦うという選択肢があって、もちろんぼくはそれを選ぶけど、〝生き延びる〟ことだけを考える選択肢もありうるんだ。もちろんそれも〝戦い方〟のバリエーションではあるけど、正面からぶつかるんじゃなくて、どんどん狭められていく世の中の〝隙間〟みたいな場所をどうにかして探して、可能ならそこを基点にこじ開けるように生息可能領域を拡大して、逆に潰されたらあっさりその場所は見限って逃げてまた別の場所を必死で探して、っていう。
 「どくんご」なんかがそっちの方向だと思うけど、この椎名林檎の戦略もそれに近いんじゃないか。強化されていくナショナリズムと正面から戦うというより、一見そっちに乗っかってるかにさえ思わせながら、やりたいようにやり続ける自由を確保する。実はナショナリズムをバカにしてるパフォーマンスなんだから、やってる本人も内心イヤイヤやってるわけではなく、むしろ徹底的に楽しんでるわけでしょ。

藤村 もちろん本人が本当はどういうつもりなのかは断定的には云えないし、もしかしたら主観的には本気でナショナリストなのかもしれないけど、実際にやってるパフォーマンスは〝ナショナリズムそのもの〟でないことは確かだし、ナショナリズムを脱臼させるような方向にしか作用しない性質のもので、〝素晴らしい〟とまでは思わなかったけど〝椎名林檎、健在なり〟と感心した。


 「ありあまる富」を〝返してもらう〟のが左翼運動

外山 ただぼくは以前、「ありあまる富」(09年のオリコン年間チャート79位、同iチューンズ年間チャート13位)でガッカリしたんだよ。あの曲は知ってる?

藤村 いや、知らない。

外山 雨宮処凛かよ、って感じの歌。

椎名林檎「ありあまる富」を流す
歌詞

外山 (曲が終わって)それなりに売れた曲で、オリコン年間チャートでも百位以内に入ってる。09年のチャートはトップ5を4位以外〝嵐〟が独占してて、翌年からはAKBが入ってきて、以来トップ10のすべてを嵐とAKBで独占するって状況が現在まで続いてる。だからこの09年は今のような〝オリコン年間チャート〟が始まった最初の年。

藤村 要は〝物質的な価値ではなく精神的な価値の方が大事なんだ〟と歌ってるだけだったね。

外山 グローバル資本主義の猛威と精神論で戦おうとしてるわけだ。あれを思い出すね、吉本隆明が初期キリスト教について〝底意地の悪い〟何とかっていう。

藤村 「マチウ書試論」

外山 資本主義に正面から戦いを挑むんじゃなく、表面上は従ってみせさえしながら、心の中で舌を出してるような。そういう意味では「ニッポン」と同じ手法でもあるけど……。

東野 椎名林檎にこういうこと歌われても説得力を感じないな。だってお金持ってるでしょ(笑)。

藤村 おれもタイトルを聞いて最初そういう曲なのかと思ったよ。売れて相当印税も入っただろうし、〝ぼくの手にした富は君には渡さないよ〟みたいな。

外山 この〝ありあまる富〟はアタシのもんだ(笑)。

東野 ぼくはタイトルから、もっと左翼っぽいことを云ってるのかなと想像したんですけど。

外山 云ってるじゃん。

藤村 だけど長渕剛でも云いそうな内容だよね。〝日本人は物質的には生活が豊かになったかもしれないけど、心が貧しくなって云々〟的な。そういうのと同じ。

外山 70年代以降の左翼もどんどんそういう方向に行ったでしょ。〝物質的な価値より精神的な価値を〟なんてことは本来は右翼が云うことなのに。

藤村 そうそう。だからこの曲はむしろ右翼っぽい。「ニッポン」を左翼っぽいと云ったけど、実は本当に右翼的な志向の人なのかもしれない。

外山 だけどこの歌を支持するのは左翼だろうし、一方で「ニッポン」みたいな曲をやれば左翼は反発するっていう。

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