余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その8)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その7」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2009年(つまり都知事選の翌々年)に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想記は結局、現在に至るまで書いていない
 もともとサイト「外山恒一と我々団」(当時は「ファシズムへの誘惑」)で無料公開していたが、2011年6月、中川文人氏が当時やっていた電子書籍の版元「わけあり堂」のコンテンツの1つとして有料化された。
 その後、中川氏が「わけあり堂」をやめて、読むことができなくなってしまったので、2015年3月に紙版『人民の敵』第6号に全文掲載した。

 第8部は原稿用紙換算19枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその8枚分も含む。

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   いよいよ反応が増え始めて

 最初は書いた原稿[後註.「その7」有料部分に全文掲載した〝マジメな〟街頭演説の原稿。内容的には、反グローバリズムの文脈で市町村合併を批判するもの]を読み上げてたんですが、何十回もやってればそのうちだいたい内容と構成を覚えます。都知事選の政見放送と同じで、いったん丸暗記してしまえば、抑揚やトーンなどの演技も入り始めます。多少はアドリブも利くようになる。
 演説を始めた日の夕方には、もうかなり上手くなってたと思います。都知事選の政見放送とは違って、切々と訴えるような演説ですね。エモーショナルに、田舎モンたちの素朴な郷土愛を刺激するような演説。
 一度、住宅街で演説した時に、たまたま別の候補の選挙事務所がすぐ近くにあったようで、そこのスタッフに声をかけられて十五分かそこら、招かれてお茶を飲みました。
 選挙マニュアルの本とか読むと、そうやって毒を盛られることもあるから気をつけろって書いてありますけれども(笑)、まあ相手が私ですからね。私を本気で警戒している陣営なんてありゃしません。都知事選を経た現在ならともかく、当時はまったく無名でもありますから、ファシスト許すまじみたいな敵意からでも毒なんか盛られないでしょう。
 で、そこの事務所に詰めているオッサン、オバチャンたちから、口々に「いいこと云った」「感動した」とホメられる。もちろんそれでその人たちが私に投票するなんてことはありえません。すでにその事務所の候補の固定票の人たちですから。しかし彼らは別に私にオベンチャラを云っておだて上げているわけではない。どうせ落ちるに決まっていると思われてるだろう私なんかを相手に、そんな腹黒い意図は持っちゃいません。
 そういうこともあったぐらいで、原付で移動してるところを呼び止められて熱い支持を表明されるという場面も増えました。多くは年配の人たちでしたが、たまに若者にも声をかけられましたね。演説してると近くのモスバーガーの店員の女の子が出てきて、モスの皿にサインを求められたり(笑)。
 毎晩八時の駅前集会ですが、選挙戦後半にはポツポツ人が来るようになりました。最初に来たのは、地元で空手のマニアックな流派の道場を開いているという五十歳ぐらいのオジサンでした。かなり積極的な支持を表明してくれて、選挙の後にも何度か会ってます。
 二人組の老人がやって来たこともありました。印象としては、元組合活動家みたいな感じで、そんなに積極的に支持してくれてる様子ではなかったけれども、とにかく一度話をしてみたいと思ったとか。
 隼人には工専があって、そこの学生が三人だか四人だかで来ました。校門前にポスター掲示板があって、もちろんそこには派手な方のポスターを貼りましたから、〝何じゃこりゃあ!〟と校内で話題になってたそうです。といっても大半は単純に面白がってるだけでしょうけどね。世界水準でも最先端の政治パフォーマンスに、田舎の若者がそうそう正しく反応できるわけがない。
 当時つけてたメモを紛失してしまって、記憶だけに頼ってるんで、細かいことはもうほとんど忘れてしまってますが、選挙戦の後半三日間か四日間で、計十人が隼人駅前に集合したという数字だけは覚えています。初日に来てくれた劇団[後註.この前後の時期に中心メンバーの1人として結成から参加した鹿児島の劇団「その2」有料部分で言及]関係者とか、もともとからの知り合いは除いてです。
 選挙戦の終盤には、恥ずかしながらもうまったくフツーの候補者みたいになってました。演説の内容はともかく、原付で移動している最中にも、対向車とスレ違うたびに、頭を下げたり──手を振りさえしましたよ。思い出すと恥ずかしいったらありゃしない。


   選挙は魔物

 えー、選挙は恐ろしいという話をします(笑)。
 選挙戦の中盤から、手応えが感じられるようになって、〝これはひょっとすると……〟という気持ちが芽生えてきたという話をしましたよね。
 それが最終日ぐらいになるともう、トップ当選しそうな気がしていました。
 すいません(笑)。反省してます。
 いやー、選挙は恐ろしい。
 とくに私の場合、反応が尋常じゃないわけです。フツーの候補と違って、支持を表明してくれる人はもう、とにかく熱烈な支持を表明してくれる。好感をもたれたというレベルじゃないわけです。
 これは都知事選の政見放送をただのお笑いやデンパ系にしか感じ取れなかったようなスットコドッコイには理解不能でしょうが、何度も云うように私はラジカル派の政治思想としては極めてオーソドックスなことを、ちょっと面白おかしく加工して云ったりやったりしてるだけですから、そこをちゃんと読み取れる人はもう、まっすぐに支持してくれる。しかもそんな人は普通、選挙になんか出ませんから、初めてこんな候補に出会ったとその支持は尋常でなく熱いものなんです。
 そういう反応に、選挙期間中に何十回も出会うわけです。何度か云ったように、そこらへんで呼び止められて。そうやって直接に熱い支持を表明してくれた人が何十人かいるんだから、その背後にはさらに十倍ぐらいの淡い支持層がいそうな気がするじゃないですか。目の前にカゲロってしまうじゃないですか、どうしても。
 完全に人が票に見えてきましたよね。
 まあ正直云って、この選挙戦の後半に陥ったような、堕落したフツーの選挙戦をですね(笑)、最初から──最初からというのは告示前の事前運動から含めての意味ですよ──ずっとやってればそりゃ通る可能性はあるんです。私の云ってることなんて要するに反グローバリズムですから、実はそれほど極端な、特殊なことを云っているわけではない。何度も云うように、むしろオーソドックスですらあって、そこを読み取ることができる人には熱烈な支持を受けるのも当たり前なんです。
 ただ、私の選挙スタイルとして、そこらへんが読み取りにくいようになってる(笑)。それを私は、一週間の選挙戦をつうじて、読み取っていただけたかのように誤認してしまった。
 貴重な勉強をしたと思います。
 というのは、オウム真理教がなぜあんなことになったかということが、自分で選挙を経験してやっと分かった。
 オウムが本格的にマズいことになったのは、選挙を経てからですよね。たしか九〇年の参院選かな? 比例代表で「真理党」として出て。選挙以前に坂本弁護士一家殺害はやってるけど、家族まで巻き込むのはともかく、共産党の弁護士なんか別に殺したって構やしません。〝本格的にマズいことになった〟というのは、要するに荒唐無稽な陰謀論に走るようになったのが、あの選挙後だったということです。
 オウムの選挙戦も、妙なカブリモノをしたりして、注目はされたわけですよね。単に面白がられた。そういう反応を、オウムは支持と勘違いしたんだと思います。手応えを感じた。
 ところがフタを開けてみると、選挙結果は惨憺たるものだった。そこで私のように社会科学的な素養と常識があれば、こっちが勘違いしただけなんだなと冷静に判断できますが、オウムにはそれがないから、〝開票が操作されたに違いない〟というマズい方向に行ってしまう。いったんそうなると、妄想はどんどん拡がって、あらゆる種類の陰謀論へと一直線です。
 オウムよりも多少は社会科学的な素養のありそうな、私が出たやつの一つ前の都知事選での石原慎太郎氏への対抗馬、昔はウーマン・リブの活動家だった樋口恵子氏だって、ボロ負けして〝票が操作された〟とか何とか、見苦しいこと云ってたでしょ? ボロ負けするってことは、誰が考えたって最初から分かってそうなもんなのに。
 とにかくそれぐらい選挙というものは、精神衛生上よろしくない。選挙戦は何よりも候補者本人の心を蝕みます。

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