余は如何にして東京都知事候補となりし乎(その2)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2009年(つまり都知事選の翌々年)に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想記は結局、現在に至るまで書いていない。
 もともとサイト「外山恒一と我々団」(当時は「ファシズムへの誘惑」)で無料公開していたが、2011年6月、中川文人氏が当時やっていた電子書籍の版元「わけあり堂」のコンテンツの1つとして有料化された。
 その後、中川氏が「わけあり堂」をやめて、読むことができなくなってしまったので、2015年3月に紙版『人民の敵』第6号に全文掲載した。

 第2部は原稿用紙換算28枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその7枚分も含む。

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    3.九州ファシスト党、始動!


   少数派は勢力を一地方に集中すべし

 では最初期の党員をどう集めるか。
 もちろんそれについても考えました。
 著作を出すのが一番いいだろう。これは過去の経験ですね。これまでに出した本のうち、『ぼくの高校退学宣言』『さよなら、ブルーハーツ』の二つは、それぞれ数千部を数ヶ月で完売し、前者は約二百人、後者も何十人かの読者からコンタクトがありました。前者の刊行時には反管理教育運動をやってましたから、これら読者をある程度有効に組織することができました。後者の刊行時は、これといって活動らしい活動をやっていない私自身の停滞期でもあって、それができなかった。総じて私の二十代、これはぴったり九〇年代と重なりますが、精神的にひたすら流浪していた感じがあります。しかし獄中でついに新たなビジョンを獲得したわけです。次に何千部か売れる本を出せば、その読者をファシスト党に有効に組織することができるだろうと考えました。
 ただし、もはや私は出版業界からほとんど相手にされていない現実があるわけです。流浪の二十代の時期にも、一貫してさまざまの原稿を持ち込み続けていましたが、とくに九〇年代半ば以降、まったく相手にされなくなりました。
 せっかく素晴らしいビジョンを得たというのに、これではどうすればいいのか。
 私は、福岡の出版社から新著を出すことに決めました。もちろん、それでは何千部という数字は望めません。しかし重要なのは部数ではなく、実際に書店に並ぶことです。逆に、店頭に並びさえすればある程度は売れるという自信がありました。というのは、過去に数千部売れた二冊の共通点は、いずれも大手出版社からの刊行であることです。前者は徳間書店、後者は宝島社です。これら以外にさらに五冊の本がありましたが、いずれもほとんどの人が聞いたこともないだろう零細出版社からの刊行で、それらはすべて何百部かしか売れていない。零細出版社の本は、なかなか流通しない、店頭に並ばないんです。とにかく店頭に並ばなければ出す意味がない。そして、店頭に並びさえすれば、私の本は少なくともまったく売れないということはないはずだ。
 さらに私のファシスト党構想は、活動区域を九州内に限るというものでした。これはヒトラーのやり口なんですが(笑)、圧倒的な少数派は、その貴重な勢力を、地域を限定して投入した方がいいんです。それも首都圏なんかは避けた方がいい。考えてもみてください。仮に私が何年かかけて、千人のファシスト党を建設することに成功したとしましょう。一億二千万人の中の千人ですから、圧倒的少数派です。十二万分の一です。この千人が、日本全国に散らばっているのと、他の地域には一人もいないが、九州には千人のファシストがいるというのと、どっちが衝撃的ですか。
 だから、最初期の同志を募るための著作は、九州内の書店にさえ並べばいいわけです。


   ファシズムの指導者を育てる現代の松下村塾を

 福岡の出版社から本を出せば、いくらか大きめのたいていの書店には郷土出版社のコーナーというのがあって、だいたいこれは〝九州内の〟という意味ですから、つまり九州内の書店にはまんべんなく並ぶ。地元出版社コーナーという枠があり、その枠内の競争で目立つ、売れ筋っぽく見えれば、その書棚では平積みさえ見込めます。私の才能をもってすれば、九州発の貧困なコンテンツの中で目立つのは簡単です。
 それなら初版千部でいい。千部が九州内の書店にバラまかれれば、コンタクトをとってくる読者は三十人くらいはいるだろう。うち熱狂的な反応を示した数名を、私のもとで徹底的に修行させ、ファシズム運動の指導者として育成しよう。彼ら数名が九州各地に散り、まずは他の二十数名を率いて具体的な行動を起こせば、その過程でさらなる同志が発掘されるだろう。そこからまた見込みのある者を私のもとへ派遣させ、指導者としての訓練をほどこす。訓練を終えたら、彼らもまた九州各地へと散り……とまあそういうイメージです。
 私はファシズムの指導者を育成する塾をやる。要は現代の松下村塾です。実は獄中で幕末史にもハマって、ちょっと感化されてしまってもいます。
 で、本の内容ですが、一から書くとなると時間がかかります。私はかなり焦っていましたからね。もちろんいたずらな焦燥感はもともと革命家に必須の条件でもありますが、獄中生活というのは焦燥感を極限にまで高める作用があります。とにかく出所したらすぐにでも動き出したい。ゆっくり原稿なんか書いてる時間はない(笑)。
 そこで私が考えたのは、私は十代後半から、もうかれこれ十五年くらい文章を書き続けてきたわけです。本になったもの、雑誌に書いたもの、ミニコミ誌で発表したもの、ネットで発表したもの、未発表のもの、とにかく膨大な量があります。それらをベースに、名言集のようなものを作れるのではないか。
 外山恒一語録ですね。
 時代順に並べれば、管理教育反対を叫んでいた素朴な戦後民主主義の段階から、次第にこじれて異端的極左活動家となり、ついにはファシストとして再生する過程をダイジェストで理解してもらうこともできる。これまでこういうことをやったり書いたり考えたりしてきて、それで現在の私がありますという、名刺代わりに使える本になる。
 しかもそれらの文章のほとんどは一台のパソコンの中に入っていて、そこから取捨選択すればいいだけですから、どうかすれば半日で原稿を準備できる(笑)。
 タイトルまで獄中で考えて決めた。『最低ですかーっ! 外山恒一語録』です。「最低ですかーっ!」というのはもちろん福永法源の「最高ですかーっ!」のパロディで、ちょっとネタ的には古いかなという自覚もありましたが、インパクトはあるだろうと。もともと入獄直前の時期に何度かライブハウスにミュージシャンとして出演したことがあって、そういう時に冒頭でツカミとして使ってたフレーズなんですね。
 獄中で構想したことは他にもたくさんありますし、今まで云ってきたことももちろん細部をかなりハショってるんですが、まあ大ざっぱにこういう構想を持って、二〇〇四年五月五日、ついに出所の日を迎えたわけです。

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