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山羊さん郵便

昔、5年付き合っていた人とは遠距離恋愛だった。
就職した彼の配属先が地方だったからである。
お互い就職したばかりでなかなか会うことも難しく、接点を持つとすれば夜に電話するくらいだった。

相手はどうか知らないけれど、就職したてで恋人と離れてしまった私の方は忙しく満たされない毎日を送っていた。長々メールを書いたところで返事もなく、電話できる時間も限られている。

だから気が向いた時に葉書を送ることにした。
早く会いたいこと、仕事のこと、他愛もないことを書いてポストに入れると彼が気が向いた時に電話で感想を話してくれた。
出してから届くまで時間差があるので、私にはすっかり過去の出来事になっていることなのに、彼が今知ったことのように感想を話してくれることが面白かった。
楽しい出来事ばかりでなく、いつまで遠距離が続くのか仕事のやりがいや将来のことなど不安なことも綴ったはずである。
それについてはのらりくらりしていた彼は、希望の会社に入社して忙しくそれどころではなかったのだろう。

休みの時は観光がてら会いに行った。
彼の会社の寮は山も海も近かったので色々なところに連れて行ってもらった。
今、振り返れば遠距離恋愛の醍醐味をそれなりに楽しんでいたのかもしれない。
それでも私達は離れていることですれ違い、将来についての考え方の違いですれ違った。

1年後、私達は別れた。

彼からは時々葉書が来た。
会いたいこと、一人暮らしを始めたこと、その頃までには結婚したいと私が言っていた27歳になったこと。

私は細かくは読まずに捨てた。

山羊さんから お手紙着いた
黒山羊さんたら 読まずに食べた

あの歌に出てくる山羊達は届いた手紙を読まずに食べ、内容を聞く手紙を延々と送り合う。
手紙の中身もお互いの気持ちも知りもしないのに、関係は続いていく。山羊達にはどこかほのぼのとした愚かさがある。

彼らよりほんの少し小賢しかったばかりに、私達は自分が伝えたい時に読んでもらえない手紙を返事もないのに送り続けることができなかった。
欲しい時に欲しい言葉をもらえなかったやるせなさをなかったことにはできなかった。
結局私達は欲しい時に欲しい言葉を交わせず、お互いを見ることができなかった。
いや違う。
「私達が」ではなく「私が」そうだった。


さっきの手紙のご用事、なあに?

悪びれずに聞けたら関係を続けられたのかもしれない。でも、私にはそんなおおらかさもなかった。
今でも手紙を書くのは好きだ。
でもあんなにポストのお世話になったのは、あの頃しかない。


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皆様、日曜日いかがお過ごしですか。
今回は全くの作り話を投稿してみました。
とはいえ今の遠距離恋愛事情とは違うと思うので、自分の世代の影響は少なからず受けているとは思います。
春は別れと出会いの季節なので、眠れない夜に読んでいただければ幸いです。

『やぎさんゆうびん』の作詞は、まどみちおさんです。