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号泣シュークリーム

「戸山さん家の文さん、この頃少し変よ。どうしたのかな」

そんな感じの歌があった。

「山口さん家のツトム君(作詞作曲:みなみらんぼう)」という懐かしい歌のこと。
最初は元気に歌えてもだんだん歌詞が曖昧になり、最後まで歌えないとわかった途端、仲良しだったツトム君が他人の顔をし始める。
ツトム君が女の子によそよそしかった理由は何だったのだろう。

「女3人、たまにはお茶でも」と呼び出され、私は会社の応接などに使われるフリースペースにいた。
直属の上司とさらに上の上司、テーブルには3人分の紅茶。
そして、しばらくしてから冒頭のセリフが出た。
2年前の8月の終わり頃のことだった。

「戸山さん、この頃少し変よ。何かあった?」
「特にないですよ。毎日がバタバタで」

なぜ呼び出されたのか、わからなかった。
短い夏休みは充実していた。
海と山に旅行をした。
鴨川シーワールドでシャチのショーを観た。
1泊の予定が帰りがたくて、私はホテルに延泊の問い合わせをした。突然の延長に娘達は喜び、夫は苦笑い。

仕事と子育てと。忙しいけれど、どうにかやれている。
我が家はいつもそんな感じだ。

上司は四六時中顔を合わせるお二人である。デスクで話せば良いものを、なんで応接スペースで。私は姿勢を正した。

私の職場は、強い女性が多い。
このお二人はその代表だ。
そんな方々が、身近な部下の私に営業用の柔らかな口調で話しかけてくるのだから居心地が悪い。来客用の紅茶のせいで、お二人がさらによそよそしく感じてしまう。

テーブルには、シュークリームも出された。出張のお土産だという。コージーコーナーのシュークリーム。
慣れ親しんだ味が、この空間で唯一の味方だった。

「最近の戸山さん、表情がかたいっていうか、何だか話しかける隙がないのよ」
「え、そうですか。」
「うん。なんか怖い顔してる」
「そうでしょうか」
「仕事以外のことでも、心配なことがあれば聞かせてって、声かけたのよ」
二人は笑った。

シュークリームの袋を開け、手が汚れぬよう半分だけ出し、食べる。暑さで生ぬるくなったカスタードクリームとゴワゴワした皮が口の中にまとわりついた。

仕事以外にも心配なこととは。
気持ちが家庭に切り替わる。
普段、出不精の我が家が、なぜこの夏2度も旅行に出かけたのか。
なぜ鴨川シーワールドで突然延泊の電話をしたのか。
延泊すれば帰宅後の翌日から仕事が始まる日程になるのに、休みの最後の日はのんびりしたいはずの夫が
苦笑いしながらなぜ受け入れてくれたのか。

それは、私達の間でいつも不安がちらついていたからだ。
口に出せば現実になりそうで、お互い黙っていたけれど
「これが最後の夏休みかもしれない」と。

馴染んだ味のおかげで緊張の糸が切れたのか涙がポロポロこぼれてきた。自分でもうろたえた。

「変じゃないです。変じゃないです」
号泣しながら、シュークリームを頬張った。

日常の隙間に入り込む異物は、見え隠れしながら生活を侵していく。気づかないうちに、少しずつ、少しずつ。

夫の仕事はここ数年で重たく忙しくなっていた。
疲れやすくなったのもそのせいだと思っていた。
胸がドキドキすると言われた時も、疲れているのかなと思うくらいだった。

けれど去年、運転中に路肩に車を寄せて動悸がおかしいと言い出してからは、ただごとではないと思うようになった。
テレビで観た心臓専門の検査所に申し込んだり、近所の循環器内科に行き、脈を測る機械を借りたりした。
夫は病院に行くのを億劫がり、機械をつけても結果、異常は見つからなかった。

病名がつけば、意識も変わる。
しかし、病名がなければこの不調は何なのだろう。
検査で異常がなかったのだから、夫は異常なしなのだ。

生活の雑音が慌ただしさが、小さな異変は見過ごせと言う。
ほら気のせいだった。そう思い込もうとする。
でも目立たなくても異変は異変で、少しずつ大きくなっていく。異変に慣れてしまうと、どこまでが普通でどこからが異変なのかわからなくなる。


「あなた最近、変よ」
人から言われたことで、ああ、やっぱり変だったんだ。
蓋をしていたものが、次々と顔を出した。

私は夫の体調のことを話した。
上司達は、ただただ聞いてくれた。

山口さん家のツトム君は、母親が田舎に帰り淋しい思いをしていたようだ。普段通り振る舞っていたかもしれないけれど、ツトム君の変化を女の子は感じとっていた。
私も、周りの目から見たら少し変だったのだろう。上司のお二人も良く気づいてくださったものだ。
まずい人ほど、全力で否定するし、自覚なくても十分変で、周りは心配みたいである。

ちなみにその時のツイートが以下です。


最後はお土産のイチゴの酸っぱさで終わる歌。
結局、私はこの歌の細部を思い出せなかった。

帰宅後、私はその日の出来事や、この頃感じていることを夫に話した。
それから夫は自分で病院を探してきた。
良いお医者さんと出会い、精密検査で不調に病名がつき、自分の体と向き合うようになった。

人を変えようと思うことは、それが善意でも傲慢なことだと思う。できることは、せいぜい変わるきっかけを作るくらい。どんなに腕の良いお医者様に診てもらっても、本人が向き合わなければ治療は始まらない。
私にできることは応援くらいだ。
真面目に応援しようと思う。

あれから2年が経った。
配置がえがあり、私は直属の上司と離れてしまった。
もう一人の上司は激務で、平社員の私とは話す余裕もない。
同じ職場ですら、変わらぬ日常の中で少しずつ何かが変わっていく。
小さな変化が大きくなり、そのうち日常をひっくり返し、やがてそれが日常になっていく。

号泣しながら食べたシュークリームの味も、いつか忘れてしまうだろう。涙と鼻水とカスタードクリームが混じり合った、あのシュークリーム。
でも、あの時気にかけて下さったお二人を裏切らないように働きたい。

(終わりに)
世の中には、色々なことで苦しんでいる人がいます。
その度合いは様々です。
でも、他人からすれば深刻ではないことでも、本人にとっては許容できないこともあります。
例えば、小さくても目にゴミが入ることは他人からすれば深刻ではないけれど、当の本人は全ての動きをストップして、涙を流すしかできなくなるように。
夫の不調を前に自分が悲劇のヒロインぶっていることも否定できないので、はじめはnoteで書くのを迷いましたが、生活の支障も不安も事実であり、心の整理のために書きました。

ちなみに、これまでもこれからも私が書く作文は心の中で一区切りついたものばかりです。この件も一応ゴールが見えつつあります。
もしも、良い結末の作文がお好みならば、続きのお話にもおつきあいいただければ幸いです。
また、名もない私にも、こうして書くことで自分の状況を見直す場があって良かったと思っています。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。

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