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富山移住。鬱々とした毎日から私を救ってくれたのは

1-1 はじめに

みなさまこんにちは。
トネガワ フミと申します。
東京から富山に移住して5年目なります。

このブログでは、富山に移住したときの気持ちや、私たち家族の暮らしの話を綴っていきたいと思っています。

もし、今移住を考えていたり、将来についてなんとなく想いを巡らせたりしているあなたのヒントになることがあれば、とても嬉しいです。


1-2 こんにちは 自己紹介

私は東京都出身の40代。2人の女の子の母親です。
ライター、エッセイストとしてちょこちょこと文章を書いたりしています。
パソコン仕事ばかりだとカラダに悪いしつまらないので、家の近くでパートの仕事もしています。週に3日ほどです。このパートがまた面白いので、そのうち書きます(笑)

若い頃は、結構ハードに仕事をしていました。
仕事が楽しかったですし、その道のプロの方たちとお仕事をさせていただいたことは本当にありがたかったですし、感謝しています。
ただ、20代後半に結婚をしたものの、子どもが欲しいなと思いながらなかなか授からなかったこともあり、10年勤務した会社を辞める決心をしました。

そうして授かった子だからかどうかわかりませんが、今は富山での子育てがとてもエキサイティングで面白いのです。
子どもたちと一緒に遊び、驚いたり、感動したりすることは、自分も子ども時代をもう一度過ごしているようなワクワクした幸福感があります。また、家族4人で力を合わせてこの時代を生きているという冒険心のような感情もある気がしています。この冒険心のようなものは家族で移住したことも関係しているかもしれません。

私はもともと、自然が豊かな環境での暮らしに、憧れがありました。
子どもの頃の夢は「農家か牧場のお嫁さんになりたい。お嫁さんがダメならなんとかもぐりこんで、馬で野山を駆け巡りたい」だったようです。
(自分では忘れていましたが、最近姉から聞きました(笑))

残念ながら? 結婚した人はサラリーマンで、農家さんでも牧場経営者でもありませんでしたが。
その頃の夢は、今富山で暮らすことができるようになったことで半分くらいは叶ったような気がしています。

1-3 夫の転勤で来た富山

富山は、夫の転勤できました。

長女が2歳の頃、夫は単身赴任で東南アジアに駐在をしていました。
1年後、帰国が決まると次の赴任地が富山県。
そんなわけで長女が3歳、次女が生後3カ月の時に、家族4人で富山へ移住してきました。

「なまり色の空」
「まじめな県民性」
「食べ物が美味しい」
「北陸新幹線開通」
富山へ行きます、と言った時に知り合いや友人から聞いた情報でした。
ふ~ん、そうか。なるほどね。そんな感じなのですね。
と、その時は聞いていました。


2 出会ったのは運命の〇〇〇

2-1 1月移住。鬱々とした日々

イヤイヤよりはどちらかというとウキウキで移住してきたはずの富山でしたが、引っ越し後しばらくの私は、プチ鬱状態だったと思います。
生後3カ月の子と、3歳の子を抱え、知らない土地で身動きがとれなかったですね。
移住したのが1月だったというのも悪かったのです。
グレーの空は重く、びちゃびちゃした雪か雨が頻繁に降っています。
冬はスカッと抜けるような空の下で生きてきた関東人にとっては、この空模様は気分を落ち込ませるのに十分でした。

移住前は徒歩か自転車で生活していましたので、歩いて買い物に行けないということにも落ち込んでいました。
前と後ろに子どもたちを乗せるスタイルのママチャリも引っ越し荷物で持ってきていました。けれど、乗ろうとすると雨が降ってきたり、子どもの機嫌が悪くなったりして、なかなか買い物にも行けないでいました。

知らない土地で子連れでは大変だろうからと、移住してしばらくは夫が週末に買い出しをしてくれていました。

2-2 踏み出した一歩の先に出会ったモノ

そんな鬱々とした日々も、少しずつ春めいてきました。
私も子どもたちも、「よし!車に乗ってスーパーまで行ってみよう!」そんな気分になってきました。大げさに聞こえますが、車に乗るのは一大決心だったのです!(笑)。
5年経った今では、決心は散歩に行くときの方が必要で、車でブーンは気軽に行けるようになりました。

さてスーパーに無事到着。
入口で、カートに下の子を乗せると、自動ドアが開きます。

野菜を適当にカゴに入れながら進むと、突き当りに、ぱーっと光り輝くコーナーがありました。引き寄せられるように進んでいくと、「fresh」と表示があります。
そこは魚コーナーでした。

とにかく驚きました!

長い魚、小さな魚、大きな魚。
赤い魚、銀色の魚、シマシマ模様の魚。
イカ、カニ、貝。
お刺身、サク切り、昆布締め…。
とにかく、見たこともない種類の魚介類が所狭しと並んでいました。
パックには「氷見(ひみ)港朝獲れ」とか「新湊(しんみなと)」とか「滑川(なめりかわ)」など富山の港の名前が書かれたシールがペタペタと貼られています。
ひとつひとつが光を放つように、ジャーン!と効果音でも出しているような勢いでした。
とにかく存在感アリアリで並んでいたのです。
私は久しぶりにワクワクしました。

どれにする?と娘たちと相談。
娘たちも珍しいので、ショーケースを食い入るようにのぞきこんでいました。

その日は、はじめて見た細長い魚、「カマス」を購入してみることにしました。
理由は、形状がサンマに似ていたので、簡単に食べられそうだと思ったからです。
ついでに「地魚刺身盛り合わせ」も買いました。


2-3 出会いさえあれば、その後はなんとでもなる(笑)

家に帰るとさっそくクックパッドで調べます。
便利な世の中ですね。
はじめての食材でも、調べれば大抵レシピや下処理方法を教えてくれます。

次女がちょうどお昼寝をはじめたので、長女に「お魚触ってみる?」と聞いてみました。
「うんうん!触ってみたい」と言い終わるまでもなく、ツンツンペタペタ一緒にさんざん触りました(笑)。

「さわれた~!なんかお魚こっち向いてる~」とはしゃぐ娘。
「し~。お昼寝起きちゃうからね」と言いながら、私もワクワクしていました。
自分たちとしては大冒険だったスーパー行き。
からの、お宝ゲットです(笑)

「カマスの塩焼きレシピ」
① ウロコを取る。
② 包丁でハラワタを出し、水でさっと洗う。
③ 塩を振りしばらく置く。
④ グリルで焼く。

エプロンをしてクックパッドを見ながら、大仕事にとりかかります。
ウロコを取ると言われても、困ってしまいました(笑)
とにかく、動画を見ながら見様見真似でやってみるしかありません。
カマスにあてた包丁を横に動かしながら、ウロコをとります。
ハラワタを出すのには、包丁を突っ込んで掻きだしてみます。流水で洗いながし、バットに3匹並べて塩を振り、裏返してもう一度塩を振り、ラップをして冷蔵庫へ入れました。
家に帰ってから、ここまでで1時間はかかりました(笑)

バットに並べた魚たちの写真を夫に送り、「買い物行けました!夕飯楽しみにしててね」とメールを送りました。
夫は会社の帰りに、「苗加屋(のうかや)」の日本酒を買って帰ってきました。移住してから、富山のお酒を1本ずつ買ってきては試してみるのが新たな趣味になったようです。そして、この日はニコニコと帰ってきました。
そういえば、ここ最近は毎日「どうだった?」と心配そうに帰ってきていたことを思い出しました。夫なりに、私の“移住プチ鬱”を心配してくれていたのですね。

カマスの塩焼きの美味しさは、格別でした。
箸で簡単にほぐすことができるふわっとした白身。
芳しい香り。
かすかな塩味と、噛むとひろがるやさしい味わい。
サンマのように脂っぽくないので、子どもも食べやすかったのか、もっともっとと言いながら最後には1匹キレイに平らげてしまいました。
地魚のお刺身も、今思えばおそらく、フクラギ、カマス、アジあたりだったのではないかと思います。当時は表示がなければ全然わからなかったのですが、どれも感激する美味しさだったのを覚えています。
夫のお酒もすすんでいました(笑)


3 おわりに

この、富山の魚との運命の出会い。
鬱々とした毎日から私を救ってくれたのは、スーパーで出会った富山のお魚の美味しさでした。
たかが食べ物。
しかも最寄りのスーパーのです。

富山と言うとみんな「食べ物が美味しい」って言っていたけれど、
ほんとだったんだ(笑)。

美味しい食べ物って、こんなに美味しいんだ!
感動に語彙が追いつきませんでしたが、
とにかくカルチャーショックを受けたのを覚えています。
その後、スーパーへ行くのが楽しくなったのは言うまでもありません。
見たことのない魚を探して、クックパットで調べながらチャレンジするのが日課となっていきました。

まさか、先輩ママ友と、魚さばきサークルを立ち上げ、これまで5年間も続けることになるとは、この時には思ってもいませんでしたが。(続)

【ライタープロフィール】

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トネガワ フミ
2016年1月に夫の転勤について富山に移住。東京都出身。若い頃は金融機関勤務でまちづくりに従事。(金融機関がまちづくりをしている事例って意外とあります) 今、はまっているのは“子育て”と“富山の魚”。偶然性や未完成なものに惹かれるタイプ。子どもが育つ楽しみや資源をシェアする「子どもと暮らしの企画toyama」主宰。ママのためのお魚さばきサークル「ママ×おさかな」共同代表。
富山県呉西にて、夫と娘2人との4人暮らし。ライター、エッセイスト。


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