移住記事を書いてみて気付いたこと
みなさんこんにちは。
富山に移住して10年の金子です。
今回「とやま移住ブログ」に移住体験記などを書いてきましたが、移住して10年という節目に初心を取り戻すための良い機会となりました。
移住当初のことを振り返るという作業をしてみると、不本意に富山に移住した私にとっては暗く重たい気持ちになってしまったり、この土地で慣れ親しむことができた自分を褒めてあげたくなったりと、メンタルが上がったり下がったりと忙しく、そんな自分を発見できて面白くもありました。
情報発信者である私にとって「よそ者の視点」というのは武器です。
しかし、移住して10年が経つと「よそ者の視点」が薄れていく感覚も感じていました。
武器であった視点が薄れていくことに怯えながらも、これは言い換えれば、富山に慣れ親しみ富山人としての自分が育ってきたという喜ばしいことでもあるということ。
少し寂しくもあり嬉しくもある変化も、私が歩んできた証です。
場所や人、物事に慣れると慢心してしまいがちになりますが、最初のころの感覚や志を忘れてはいけないのだと再確認できたのは、移住当初を振り返るきっかけをくれた「とやま移住ブログ」のおかげです。
・コロナ禍での気付き
新型コロナウイルスの影響で、移住してきていろんなことに気付くことができました。
自分にとっての気付きのひとつは、「実家に帰れないこと」なのです。
家族や友人と会い、故郷静岡の空気を吸うことは心の充電になります。
その充電が新型コロナウイルスの影響で1年以上できていない…
移住者の中には、実家に帰らなくても全然平気!という方もいらっしゃるかと思いますが、地元大好き人間の私にとって「実家に帰れない」というのは、つらい・・・
実家に帰れないことはつらいですが、会いたい人がいるということは幸せなことだと思います。
故郷にいる大切な人との思い出と、再会の約束があるから、離れた場所でがんばれるのです。
そして、大好きな故郷と同じくらい好きになった移住先、富山。
10年前に富山に来て悩んでいた自分に会いに行って「大丈夫!あなた富山大好きになって、富山のことばかり考えるようになるから!」と教えてあげたい。
・移住者としてこれからどう生きていくか
移住当時、富山の情報の少なさに落胆していました。
人に聞いてもネットで調べても、情報が出てこない。
あの時感じた絶望。
移住者に同じ思いをしてほしくないという思いで、
【富山の遊び場!】というwebサイトを作ったのが2013年。
『富山って遊ぶ場所はどこにあるんだろう?』と思って検索した人に見つけてもらいやすいようなwebサイト名にしました。(本当は横文字のかっこいいサイト名にしたかった)
そこから時代のニーズに合わせてSNSやYouTubeを始めて情報発信し続けたおかげで、富山でがんばる人、おもしろい人、魅力ある人やモノに沢山出会うことができました。
移住当初、私に「富山には何もない」と言っていた人達。
もしかしたら、富に溢れ恵まれている環境が当たり前すぎて、わざわざ言語化しなかった人達なのかもしれないと思うようになりました。
「富」という字が似合う富山の魅力を言語化して伝えたい!もったいない!と思い、私はこれからも発信者を続けていこうと、神秘的なキレイさを纏った立山連峰を見て誓った日が何度もありました。
これから移住する方へ
富山にはまだ言語化されていないような魅力が溢れています。
言わば未開拓の地、宝の山!
私もまだ探しきれていないし、書ききれていないです。
情報発信する上で、表現する上で、富山はおもしろくチャンスのある場所だと思うんです。
魅力を発見する時に役立つものの一つに『外からの視点』があると思っています。
つまりは、移住者です。
そこに住む人達と外の視点を持った移住者が合わさることで、新たな富山の魅力が生まれるかもしれないと思うと、ワクワクが止まりません!
これから移住してくださる人達と共にみんなで魅力を見つけていきたい。みんなで富山の魅力を大切にしていきたい。
ということで、富山で待っています!
日々変化する情報や流行に、時々疲れてしまうこともあるけど、立山連峰や海という富山の自然美は疲れを癒やしてくれます。
口に入る富山のおいしいものも同じくらい私を癒やしてくれます。
「癒されながら、人生を耕し続ける場所として最高!!!!」と今日も富山愛を発信し続けます!
富山より愛をこめて
金子奈央
【ライタープロフィール】
金子奈央
1985年生まれ。静岡市出身。2011年富山県に移住し、現在三世帯同居で三人の息子の母して日々奮闘中。
2013年に『富山の遊び場!』を立ち上げ、代表を務める。
様々なメディアで富山県内の魅力を発信するライター活動をしている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?