■【菅政権は本気で学者を力でねじ伏せる気のようだ!∵日本学術会議(人文・自然両科学)は日本会議(カルト・エコーチェンバー)の天敵!】政府の事務方トップである杉田副長官(元:内閣情報調査室長・内閣情報官)が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した(@1012時事)
<注>冒頭の画像(左)は、「2020/10/13 日刊ゲンダイ」より。
◆【Tw】政府の事務方トップである杉田副長官(元:内閣情報調査室(CIRO)長・内閣情報官)が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した(@1012時事)。(続、2~へ)https://twitter.com/tadanoossan2/status/1315783710562611201
水のイマージュ2 @tadanoossan2
国民をペロペロ舐める菅!∵撤回求める署名14万筆は水脈の辞職を求める署名とほぼ同数だった!黒川前検事長の定年延長に比べコリャ大したコッチャない!wwwと菅は考えている! →「学者6人排除」の真犯人 官邸牛耳る“陰の総理”杉田官房副長官の思惑Q1014日刊ゲ
午後8:19 · 2020年10月14日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1316337711884636160
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■日本会議 エコーチェンバーの菅首相は自ら仕掛けた「日本学術会議マター」(憲法23条否定のふかんの観点?)で、より具体的な関係法整備、即ち自ら切望する≪国体の本義≫復活(対全世界アナクロな恥曝し!)の国会での議論に積極的に取り組むべき喫緊の責務を背負った!https://note.com/toxandoria2/n/nd62fd0bdcf21 ↑ Click Here !
=その「犯意」とは具体的に何か?それは、戦前日本の総日本国民の内心を根底から支配した『国体の本義』を現代日本に復活させること。つまり、旧文部省御謹製の『国体の本義』を国家・日本の頂上へ遥かに高く掲げつつ、それを“法制・アカデミズム(人文・科学両学界)・宗教”の頭上へ祀り上げた“超然”政治権力による支配体制の一強独裁なる“異様”『国家』への復帰はオール世界への恥さらし!)しかし、これは前・安倍晋三首相の悲願であると同時に菅義偉首相の悲願でもあり、更に源流を辿ればそれは日本会議に行き着く。
◆日本学術会議マターについて菅政権が<政治的・イデオロギー的動機で政府に批判的な研究者を「日本学術会議」から排除する目的で任命見送りを行った>とすれば、日本の学術研究の全体を<政府の方針を是認する方向の(全世界の潮流とは全く異質な)議論>に誘導しようとする「学問の自由」への介入そのものであり、ひいては研究者全体に政府に批判的な言論を控えさせる「言論の自由」の侵害にもなりかねない。このため、菅政権は、憲法23条(学問の自由)の否定と同意の‘’ふかん‘’的観点の具体的な内容に関わる国会での議論に、積極的に取り組むべき重大な責務を負ったことになる!郷原信郎氏/https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20201007-00201903/ ・・・以下、本文へ・・・
https://note.com/toxandoria2/n/nd62fd0bdcf21
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(プロローグ)
前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)@brahmsloverさん/
6人の日本学術会議会員予定者について、内閣情報調査室が調査結果をまとめ、杉田内閣官房副長官に提出した文書があるはず。6人はその文書の開示を求めたらいい。官邸は絶対に開示しないだろうけど。
午前4:12 · 2020年10月14日·Twitter for Android https://twitter.com/brahmslover/status/1316094569075798016
山崎 雅弘 @mas__yamazakiさん/
私も同感。杉田和博という警察官僚が、政府の要職という地位を利用して何をしているかに光を当てることは大事だが、日本学術会議の問題は「菅義偉総理大臣」の違法・脱法な権力濫用と学術研究への「権力の介入」という観点で捉えないといけない。論点すり替えの報道に要注意。
引用ツイート:前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)@brahmslover
途中経過はどうであれ、学術会議が推薦した6人を任命しなかった責任は、ひとえに菅首相にある。責任追及の標的は菅首相ひとりだ。
午後8:17 · 2020年10月13日·Twitter Web App https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1315975024289837056
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◆菅首相「6人排除」の裏に“官邸ポリス”杉田副長官が暗躍2020/10/13 日刊ゲンダイ https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279915
日本学術会議の会員候補の任命拒否問題で衝撃の新事実だ。菅首相が先週、6人が“排除”される前の105人のリストを「見ていない」と発言。ならば実際に排除したのは誰なのかという疑問が生じていたが、杉田和博官房副長官が関与していたことが分かった。菅首相も6人を外すことを決裁前に把握していた。菅政権は本気で学者を力でねじ伏せる気だ。
菅首相が今回の人事を決裁したのは9月28日。12日の時事通信によると、杉田副長官が菅首相の決裁前にリストから外す6人を選別。報告を受けた菅首相自身も6人の名前を確認した。菅首相は105人のリストそのものは見ていないが、6人排除の意志は固かったという。
実は、任命拒否問題が発覚した当初から、6人除外に“官邸ポリス”が暗躍していた可能性が囁かれていた。
「第2次安倍政権発足時に官房副長官に就任した杉田氏は警察庁出身で、公安畑を歩いてきた。その経歴から、同じ警察庁出身で内閣情報官から国家安全保障局長に抜擢された北村滋氏などとともに“官邸ポリス”と呼ばれています。安倍政権は少なくとも2016年の欠員補充時から、学術会議の人選に介入し始めたとみられている。17年の改選時には杉田氏が会議側の会長らと選考について相談していたといいますから、『今回も杉田氏が関わっているだろう』と噂になっていました」(永田町関係者)
杉田副長官の関与については、元文科事務次官の前川喜平氏もツイッターで〈おそらくこんな経緯〉と前置きし、興味深い投稿をしていた。
〈学術会議から推薦者名簿が内閣府に届いた→内閣府が杉田官房副長官に名簿を説明→杉田副長官が全員の身辺調査を内調に指示→身辺調査の結果を携えて杉田副長官が菅首相・加藤官房長官と相談→菅首相が6人の排除を決定→6人を除いて起案するよう杉田副長官から内閣府に指示〉
前川氏がこう推測したのは、自身の実体験があったからだろう。4日付の「週刊朝日」電子版でこう語っている。
〈私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました〉
https://twitter.com/Tenriver103/status/1315926969993760768
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[補足] 杉田和博・官房副長官はどんな人?日本学術会議の「6人排除」に関与と報道 ハフポスト日本版 2020/10/13 19:42 より転載
■「6人を選別」「首相に報告」と報道される
菅首相は10月9日の報道各社インタビューで、会議側が提出した105人の推薦リストを「見ていない」と発言。6人を除外した99人のリストを見ただけだと説明した。6人の排除に関与しなかったかのような言い回しだった。
しかし、時事通信社は12日、関係者からの情報として「政府の事務方トップである杉田副長官が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した」と報じた。
続けて共同通信社も同日、政府関係者からの情報として「杉田和博官房副長官が内閣府の提案に基づき、任命できない人が複数いると、菅義偉首相に口頭で報告していた」と報じた。
これを受けて13日、立憲民主党の枝野幸男代表は「誰が6人を推薦リストから外したのか。報道では、官房副長官の名前が出てきている。周囲がサポートするところまではわかるが、菅総理大臣が判断しないで、ほかの人が判断したということであれば、そのこと自体の適法性が疑われる」と述べた。野党ヒアリングなどの場で、政府に説明を求める構えだ。
■杉田和博氏とは?警察庁出身で危機管理のプロ。副長官としての在職日数は歴代2位
官邸公式サイトによると、杉田氏は1941年4月生まれの79歳。埼玉県出身で、1966年に東京大学法学部を卒業後、警察庁に入庁した。1982年の中曽根内閣では、同じく警察庁出身の後藤田正晴官房長官を「秘書官事務取扱」として出向して支えた。
その後は警察庁で出世し、鳥取県警察本部長、神奈川県警察本部長、警察庁警備局長を歴任。1997年の橋本内閣で、情報機関「内閣情報調査室」の室長に就任。2001年に小泉内閣では「内閣危機管理監」となり、2004年に退官するまで内閣の危機管理を担っていた。
退官後は、シンクタンク「世界政経調査会」の会長を務めていたが、2012年12月の第2次安倍内閣発足に伴い内閣官房副長官に就任。菅内閣でも続投したことで、約8年間にわたって務めている。副長官としての在職日数は歴代2位。2017年からは中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局長も兼ねている。
<補足1>世界政経調査会について
・・・内外情勢に関する情報調査事業、講演会事業などを実施している法人。元内閣府所管。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属のCIC(防諜隊)の下請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」がその後、「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」である。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している。
・・・「内外の政治、経済、社会事情等の総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を目的としており、内閣官房から情報調査委託費が交付されている。内外情勢に関する情報調査や資料収集を行い、毎年「国際情勢の回顧と展望」という名のレポートを刊行している。役員には警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。
所在地:東京都港区赤坂2-10-8
設立:1961年7月1日
会長:植松信一
・・・以上、ウイキより部分転載・・・
<補足2>「世界経済調査会」と「我が国における新自由主義の始まり」、について(部分転載)、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423
・・・以下のことから、事実上、「河辺機関」が姿を変えた【特務機関】である「内調」を介して「我が国における新自由主義」の導入が開始されてきたということが分かり(つまり、今でも『内調』の最も重要な任務が、国策イデオローグを死守しつつ、時の政府側が有害と認定した特定のイデオローグを権力的に強制排除することであることが分かり)、驚かされる。・・・
・・・「山田 久氏“退任記念講演”(同上、和光大学リポジトリ )」(既出)によると、日本で初めてモンペルラン協会のメンバーになったのは木内信胤(1899-1993/吉田茂らのブレーン・相談役を努めた経済評論家)であった。それによると、木内信胤は1958 年に ハイエクの勧めで「モンペルラン協会」に 入会し、それ以後ハイエクに傾倒したためハイエクの理論に因る「新自由主義」を熱心に説くこととなった。また、同「講演」はモンペルラン協会の理念と目的(文章起草)が以下のようなものであることを紹介している。
<参考>木内信胤のプロフィールhttps://www.hmv.co.jp/artist_%E6%9C%A8%E5%86%85%E4%BF%A1%E8%83%A4_000000000697201/biography/
・・・1899年(明治32年)7月30日、東京市牛込区にて出生。東京高等師範学校附属小学校、中学校から、第一高等学校独法科を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学法学部独法科を卒業し、横浜正金銀行に入り、東京、上海、南京、ハンブルグ、ロンドンに勤務、1945年(昭和20年)終戦と同時に、総務部長兼調査部長を最後に退職して大蔵省に入り、勅任参事官終戦連絡部長を務めた後、1952年(昭和27年)7月の占領の終了まで、外国為替管理委員会委員長を務め、その後1955年(昭和30年)から今日(当時)まで38年間、「財団法人世界経済調査会」理事長の現職にあった。この間、日本国有鉄道理事、外務省参与、国語審議会委員、臨時行政調査会第一専門部会長等を務め、また政治、経済、文化、社会、宗教、農業等極めて広範な分野に亘る経済評論家として活躍、歴代首相の経済指南役とも呼ばれた。1993年(平成5年)12月5日没(享年94歳)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)『木内信胤語録』より
<参考>財団法人世界経済調査会(情報源:Wikipedia)
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀2部(G2)所属のCIC(防諜隊)の下請け機関として設立された、旧軍人による情報収集グループである特務機関「河辺機関」(河辺 虎四郎、辰巳 栄一らの反共主義工作機関)がその後、「睦隣会」に名称変更され、それを母体として、内閣調査室のシンクタンクとして設立されたのが「世界政経調査会」である。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している。「内外の政治、経済、社会事情等の総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を目的としており、内閣官房から情報調査委託費が交付されている。内外情勢に関する情報調査や資料収集を行い、毎年「国際情勢の回顧と展望」という名のレポートを刊行している。役員には警察庁や内閣情報調査室出身の元官僚が名を連ねている。所在地:東京都港区赤坂2-10-8 設立:1961年7月1日 会長(2013-):植松信一(警察官僚、内閣情報官など歴任)
<参考>「河辺機関」に関する米公文書の要旨、http://www.shikoku-np.co.jp/national/detailed_report/article.aspx?id=20060812000263
(補足2のまとめ)
1 【学術会議マターの余波】AERA dot. が10月4日に掲載したインタビュー記事で、元文部科学省事務次官の前川喜平氏は、学術会議の問題について「菅政権で起こるべくして起こった」と指摘したこととも重なる、驚くべきことに気付かされる。(続、2~へ)https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
2 それは、事実上、「河辺機関」が姿を変えた【特務機関】である「内調」を介し「我が国における新自由主義(超格差拡大の元凶として、その有害性が今や明らかとなった!)」の導入も開始されてきたという歴史があることだ。(続、3~へ)https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
3 また、今でも『内調』の最も重要な任務は、その意味において、仮にそれがカルト・エコーチェンバーであれ何であれ、国策イデオローグを死守する一方で、時の政権が有害と認定した特定イデオローグを暗黙かつ権力的に強制排除すること!、と考えられる。https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
4 山田 久氏“退任記念講演”(和光大学リポジトリ )に従って、その歴史のポイントを簡単に振り返ってみる。https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423
5 日本で初めてモンペルラン協会のメンバーになったのは木内信胤(1899-1993/吉田茂らのブレーン・相談役を努めた経済評論家)であった。https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
6 木内信胤は1952年(昭和27年)7月の占領の終了まで、外国為替管理委員会委員長を務め、その後1955年(昭和30年)から今日(当時)まで38年間、「財団法人世界経済調査会」理事長の現職にあった。https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
7 そして、木内信胤は1958 年に ハイエクの勧めで「モンペルラン協会」に 入会し、それ以後ハイエクに傾倒したためハイエクの理論に因る「新自由主義」を熱心に説くこととなった。また、同「講演」はモンペルラン協会の理念と目的を非常に明快に説明している。https://note.com/toxandoria2/n/necbd930e87a6
【QT】@前川喜平@brahmslover さん/6人の日本学術会議会員予定者について、内閣情報調査室が調査結果をまとめ、杉田内閣官房副長官に提出した文書があるはず。6人はその文書の開示を求めたらいい。官邸は絶対に開示しないだろうけど。https://twitter.com/tadanoossan2/status/1316111145648807936
補足/佐藤 章 @bSM2TC2coIKWrlMさん
2016年文化功労者を選ぶ分科会委員候補を官房副長官の杉田和博が拒否。委員候補リストを持って行った前川喜平が証言。理由は「政権批判をしたから」。「政策に反対の官僚は飛ばす」と公言する菅の右腕。今回も杉田が暗躍。内閣総辞職!#日本学術会議への人事介入に抗議します
・・・「杉田氏が政権批判人物を拒否」 前川元次官が審議会人事選考経緯明かす 元文部科学次官の前川喜平氏は13日、立憲民主党などが開いた日本学術会議問題に関する野党ヒアリングに出席し、在職中に杉田和博官房副長官から「政権に批判的な人物が入っている」との理由で、文化庁の審議会委員を差し替えられたと明らかにした。
mainichi.jp 午後9:17 · 2020年10月13日·Twitter for iPhone https://twitter.com/bSM2TC2coIKWrlM/status/1315989977440739328
・・・
安倍内閣時の2017年7月13日、朝日新聞デジタルは杉田氏について次のように報じていた。
(以下引用)
<杉田氏の執務室は官邸内で首相と同じフロアにあり、各省庁幹部が政策の説明や人事案の相談で頻繁に出入りする。歴代の事務副長官は旧自治省、旧厚生省の出身者が少なくないが、杉田氏は警察庁出身。情報収集を得意とする「警備畑」を長年歩んできた。その経験を生かして霞が関ににらみを利かせ、首相や菅氏の意向を踏まえて差配する。>
(以上引用)
杉田氏はこれまでも、学術界の人事に介入しようとしてきたという報道もある。AERA dot. が10月4日に掲載したインタビュー記事で、元文部科学省事務次官の前川喜平氏は、学術会議の問題について「菅政権で起こるべくして起こった」と指摘。次のように語っていた。
(以下引用)
<私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました。これは異例の事態でした。>
(以上引用)
・・・以下は関連性が高い内容の記事です・・・
■【“菅バベルの塔”化する日本!】アベ支持率の急上昇は「仮etwas病に罹患?のジャンベさん仕掛け」でホワイトアウト!の多数派国民が「菅バベルの塔」に縋りついただけでは?「ノースライト」の下で冷静かつ『考えるナメクジ』的な検証が今こそ必須! https://note.com/toxandoria2/n/ne9154154aefd
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【参考情報】河井元法相が「これ総理から」と現金渡す/共同通信社 2020/10/13 10:41・・・参院選広島選挙区の買収事件で公選法違反罪に問われた河井案里参院議員(47)の公判で、海徳裕志・広島市議(60)が13日、夫の克行元法相(57)に「これ総理(<注>菅氏ではなく、当時の安倍総理のこと)から」と言われ、現金を渡されたと証言した。https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E5%85%83%E6%B3%95%E7%9B%B8%E3%81%8C-%E3%81%93%E3%82%8C%E7%B7%8F%E7%90%86%E3%81%8B%E3%82%89-%E3%81%A8%E7%8F%BE%E9%87%91%E6%B8%A1%E3%81%99/ar-BB19Xor7?ocid=msedgdhp
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