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降格。それでも。

11月20日、大分トリニータに取って3度目のJ2降格が決まった。

J3への降格も含めてチーム通算4度目の降格。2003年から大分トリニータを追いかけ始めた自分だが、スタジアムで降格の瞬間を見届けたのは今回が初めてだった。

2009年は就職活動が難航。2013年も異動が重なりサッカー観戦どころでは無かった。

2015年は町田市陸上競技場でのJ2・J3入れ替え戦第一戦は見に行けたが、ボロボロになっているチームの敗戦を見届け、翌週はインターネット速報で降格を知った。

降格はいつだって辛い。それに輪をかけて大分トリニータの降格には一緒に様々な不安や問題が纏わりついてくる。

2009年、次の試合開催も危ぶまれる程の債務超過

2013年、圧倒的な戦力差を見せつけられ、Jリーグ史上初のホームゲーム勝利無し

2015年、当時新設されたばかりのJ3への降格

降格は常に絶望だった。


そして2021年。

今回の降格に不思議と絶望感は無い。もちろん辛い、もちろん悲しい。

自分の目で降格を見届けられたのは大きいのかも知れない。同行した弟と帰りの自動車の中で話した時に互いに「(降格を)現地で見届けられてよかった」と言葉が出たのは間違いなく本音だ。

だがそれ以上にチーム全体に諦めムードや投げやりな態度が感じられなかったからだと思う。これまでの降格争いをしているチームは雰囲気が悪くなっている事が多かった。ちょっとした微妙な判定に対して選手が怒涛の様に抗議に行く、焦りからラフプレーが増え、警告が出る。そんな降格争いを見てきた。

今年は違った。

鹿島戦の選手は最後の最後まで冷静だった。少し微妙な判定があっても次のプレーに対して集中を切らさず、戦い続けていた。鹿島の猛攻に晒されながらも守り切って勝ち点1をもぎ取った。勝たなければいけない試合だったが、負ければ何も積み重ねられない。出来ることをやった。

最後にパワープレーを仕掛けなかったのもそう考えてみれば納得がいった。積み重ねて積み重ねて、最後に届かなかった。ただそれだけだ。


選手も、監督も、フロントも、サポーターも、やれるだけの事をやれたのではないか。

苦しくても負け続けても戦い抜いた。それを感じたからこそ、カシマサッカースタジアムのビジターシートに居た大分トリニータサポーターは降格の決まったチームに罵声一つ無く拍手を贈った。泣きながら、顔をしかめながら、それでも誰一人取り乱さず、拍手を贈った。

現地に居た人間ながらその光景を美しいとすら思った。その場に居れたことを幸せとすら感じた。

昨今の影響で声を出しての応援は出来ない。それが歯がゆくもあった。声を出して選手を鼓舞したかった。大分で戦ってくれてありがとうと言いたかった。

でもこんな極限の状況でもルールを守り、ブーイングや罵声を浴びせる事無く挨拶に来た選手・監督・スタッフを、DAZNインタビューで遅れてきた高木を出迎え、見送った。あの時ゴール裏に居たサポーター全員が「俺達の誇り」だ。

残留争いを繰り広げた他チームではブーイングや選手バスを囲むなど少々過激な行動に出た人達が居た様だった。他チームの事だがあえて言わせてもらう。情熱=過激な行動では無い。過激な行動はただのルール違反であり、迷惑行為であり、自己満足だ。それが情熱の表し方だと信じているのなら、僕はその人達を心の底から軽蔑する。

大分のサポーターの取った行動は海外のサッカーを見ている人には物足りなく映ったかもしれない。日本的な行動だと思われたかも知れない。でもそれでいい。ここは日本だ。耐え忍ぶのが美徳とされる国だ。情熱が足りないのでは無く内に秘め、次への糧としたんだ。

降格は決まったがシーズンはまだ終わらない。リーグ戦残り2試合、天皇杯だってベスト4まで残っている。ACLに行くチャンスがまだまだ残っている。

今年のチームを最後の最後まで見届けられそうなのが幸せだとすら思える。

来年はどこのスタジアムへ行こう。早くも来シーズンのJ2を待ちわびつつ、残り4試合(になると信じてる)となったJ1を噛み締めたい。

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鹿島さんは次来る時までにアウェイ側でも居酒屋ドリームのハラミ丼を食べられる様にしてください(密輸して貰った)


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