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ノベル大賞に落ちて色々考えたこと

ノベル大賞という賞に長編小説を投稿していたんだけど、二次審査は通過できずに落ちてしまった。
それは恥ずかしながら書いていない時期も含めて五年ぐらいかけてたもので、そんな甘くないとはおもっていたけど、結果を見て、結構ショックだった。あんまりにも時間をかけすぎてしまったんだな、ずいぶんと時間がたっちゃったなあとおもった。

ここからまた新しいお話を書くのかっておもったら、へこたれてしまった。
わたしは、なんかたぶん、根性が全然ないんだろうな、しんどいのからすぐ逃げたいっておもってしまう。
そういうことを感じて、わたしって今、全然創作楽しんでないんだなあとか気づいてしまった。
すごい好きだったことのはずなのに、自ら、実につまらなくしていると。

隙間時間さえあれば、なんからくがきみたいなシーンの切れ端を書いていた高校生の頃とか、mixiに超長文の日記を書き続けていた大学生の頃とか、noteがはじまった当初、もう4コマも描きたいし小説も書きたいし絵も描きたいよー!とやたらめったら手を出していたときと、何がちがうのかな。

最近は読んでばっかりだ。全然アウトプットしていない。それも頭を使う系の読書ができない。
もうすぐ五歳児のふうか氏は超クリエイティブで、次々に自分が編み出したことに付き合ってほしい派なので、ペースを合わせる必要があって、それが最高に面白くて大切な時間な半面、めっちゃ疲れる。(たぶん傍から見たら全然合わせてないしだらだらしているが、それでも。なぜならわたしは超マイペース人間だから…)
だから読書もストレス解消したくて、軽めのばかり読んでいる。それが悪いことともおもわないのだが、とにかく空いた時間は誰かの創作物の中でばかり時間を過ごしている。

だめだなあっておもう。
じめじめしてて申し訳ないけどだめだなあっておもって、結構長いんですわ。
なんか創作を宿題みたいにしちゃったのかなって最近考える。

twitterで出会った物書き仲間(だとおもっている)で、もうすごいペースで物語を生み出していくひと、毎日こつこつと書いていくひと、がいる。何より書くことを楽しんでいる。(そう、あなたです!)(本人読んでるかわからないが、とても憧れているんです)
わたしは、賞よりも、なんかそういうの…『好きだからやる』を取り戻したいなっておもう。いや、賞もほしいし、賞金もほしいし、その先の仕事もほしい…とおもってたんだけど。
それってほんとだったのかなあ、と。
はっきり言って、今の私に商業小説は無理だとおもう。もし奇跡的に受賞して、さあ次ってなったとき、わたしはプレッシャーで心がぐっしゃり潰れたんじゃないかなあ。
ほんとうに書けるのかなって。
何せわたし、こころに左右されすぎてて、偶然にしか物語のドアを開けない。

でも、なんでなんだろうな、書けるようになりたいっておもう。これはほんと。すごく切実な気持ち。ずーっと心の中にある。
わたしは、自分の中の物語の回路をひらきたい。寡作だけど珠玉の一作をつくるひと…よりは玉石混交だけど多作なひとになりたい。たくさんつくりたい。
…今の自分と全然違うんだけど。
ほんとうに求めているのは、外側の成功でなくて内側の成功なんだろう。
回路をひらきたいんすわ。もう、「栓ですわ」の時代を終わりにしたいんすわ。
わたしの書きやすいやり方を見つけて、いっぱい書きたい。描くでもよし。とにかく外に出せるようになりたい。
時間を、先に進めなきゃ。

そんなこんなで、そういう自分になるには一体どうしたらいいんだろう、っておもって、とりあえず久しぶりにこういう考え事の文章を書いている。ぐだぐだ考え事を書くぐらいなら、行動したほうがいい…っておもって封じていたのだが、それもまた「栓ですわ」につながってる気がして。そして封じたからと言って行動ができてるわけでもないので。
失敗をどうかおそれないで。どこかにいこう。どこかってどこか!

わからん。結論を無理やり出すよりかは、今日これを書いたということを一歩とする。完。

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