筆名が多すぎる

 はじめまして。こんにちは。銀野塔です。
 まずは、新型コロナウィルスに感染された方、またその影響で困難の中にある方に心からお見舞い申し上げます。一刻も早く、事態が良くなりますように、またそのために有効な対策がなされますように祈っております。微力ではありますが、できることをやってゆきたいと思っております。また、医療の現場に従事している皆様、今の私たちの生活を支えてくださっているインフラに従事している皆様に心から感謝を捧げます。

*******

 さてしばらく前に「一人文芸倶楽部Tower117」なるものを一人で発足させた私です。一人なのですが、筆名は複数あります。プロフィールにあるように、自由詩で塔野夏子(とうのなつこ)、五行歌で南野薔子(みなみのしょうこ)、短歌で桐野黎(きりのれい、これはまだほとんど表に出ていない)、雑文で銀野塔(ぎんのとう)を名乗っています。準メンバーとして「羽生結弦選手について地味に語ってみる。」というブログを書いているえのきというのもおります(なお、上記リンクを貼った「一人文芸倶楽部Tower117」のサイトは、長らく塔野夏子のサイトとして運営してきたのですが、最近一人文芸倶楽部Tower117のサイトとしてちょっとだけ再編成したものです)。
 筆名を一個にしておけばすっきりするのかもですが、なんでこうなったのかというと。
 最初にもう二十年以上前、塔野夏子という筆名を決めてそれで詩を発表するようになって、そのうち五行歌を書き始めてその時にうっかりなんとなく別の筆名南野薔子を作ってしまったわけです。で、時には「統一しようかな」と思ったりしながらも南野薔子もそれなりに定着してきて、で、結局塔野夏子でも南野薔子でも本を出したりしたのでなんだかもう後戻りが出来なくなったというか。
 羽生くんブログを始めたときにも「これは詩でも五行歌でもないから塔野夏子でも南野薔子でも変だし」ということでえのきというHNを採用し、また、比較的最近になって短歌も書き始めて「これもやっぱり発表するときは、自由詩と五行歌の筆名が別な以上、別な筆名がいいよなあ」となって桐野黎という名前を考えて。雑文も書きたいと思ったので銀野塔という名前を考えて。さらに、俳句もちょっと書き始めているのでこれについても別の筆名を設定しようと思ってたり。
 というわけでやたらと筆名が多い人間の一人文芸倶楽部Tower117となったのでした。でもまあ、そういう成立過程の事情より、なんだかんだ云って「名前をつけるのが楽しい」という気持ちの方が大きいかもしれません。
 名前を考えるのって楽しい。今は小説は書きませんが、昔小説のようなものを書いてみていた頃、登場人物の名前を考えるのがやたら好きだった記憶はあります。

 えのき以外の、名字と名前がそろった筆名はなぜ皆名字が「野」で終わるのかについても明確な理由はありません。ただなんとなく「野」で終わる名字が好きだなあと思っているからです。
 まあだいたい意味や字面や響きが好きな文字を組み合わせて作っています。「南野薔子」は『幽遊白書』(冨樫義博氏)のキャラ由来ですけれど。「桐野黎」の「桐野」は「塔野夏子」を決める前に「桐野夏子」に決めかかっていて、しかし「桐野夏生」氏にかぶりすぎているだろう、ということもあってやめにして、そのときの名字を復活させたというのがあります。「銀野塔」は「銀野三角」にしようとも思ったのですが萩尾望都氏の名作『銀の三角』をパクったみたいになるのでやめたりとか。あと最近、ジェンダーに規定されないような名前がいいなと思っているところもあって「黎」とか「塔」はそのあたりも意識してつけたりとか。

 で、名前を分けたからって特に名前ごとに人格が変わるとかでもないんですよね。作風も変わらないと思うし。だからまあ、私が私にいろいろな名前をつけて喜んでいるだけです。どの名前で呼んだらいいか困るときにはどれでもいいです。どれでも返事します。
 ちなみに「筆名が多すぎる」というこの記事タイトルは、伊坂幸太郎氏のエッセイ集『仙台ぐらし』(集英社文庫)に「○○が多すぎる」というタイトルでの連載が収録されていたことを思い出してつけました。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 仮の名を増やしては枝分かれする私の系統樹に蒼い鳥  桐野黎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?