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『猫のいる家に帰りたい』(辰巳出版)ざっくり感想

 こんにちは。銀野塔です。

 今日は、猫歌人仁尾智氏の著書『猫のいる家に帰りたい』について。イラストは小泉さよ氏。
 猫との日々を綴った短歌とエッセイ。「猫びより」や「ネコまる」に連載したものをまとめた本であるそうだ。
 仁尾氏が猫を描き出す筆致には「あたたかいフラットさ」みたいなものを感じる。『作家の猫』(平凡社コロナブックス)という本に、木村荘八氏の言葉として
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コドモの有る人が、
よもや自分はわが子を「愛好する」とは
特別に云わないし思わないだろう。
それと同じく、
僕も殊更猫を愛好するとは思わずに、
「愛好」そのものの中にいる。
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というのがあることを思い出した。愛玩動物としてではなく存在する猫。
 仁尾氏が捨て猫野良猫を保護し、自分で飼うだけでなく、新しい里親さん探しをしたりもする、飼っている猫が病気になったり亡くなったりもする、その過程もあたたかいフラットさで描かれる。そのフラットさに、読んでいるこちらの気持ちを不思議とほぐしてくれるものがある。
 あるエピソードで印象的だった猫が、その後のエピソードで亡くなったことがわかったりして、ちょっとだけだけれど、その猫の地上での日々をシェアしていただけたような気になったり。

 どの短歌、どのエピソードも味があるが、私が特に好きな話はくしゃみをすると「ヤヤヤヤヤ」と鳴いて抗議する猫の話。それから、意外と難しい猫の食事の好みの話。
 短歌を少しだけ引用させていただく(改行は本に記載の通りとする)。
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雨の日の猫を見てるとハメハメハ
「雨天休み」はたぶん正しい

「目の色が変わる」は
「夢中になる」の意味
子猫は夢中で猫になりゆく

ノラだった頃じゃできない顔で寝て
油断とスキしかない猫でいて
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 小泉さよ氏のイラストも短歌、文章のあたたかいフラットさと呼応している。靴下に対してあきれる猫の顔が絶妙で好き。

 仁尾氏とお目にかかったことはない。が、ネット面識というようなものが一応ある。私は五行歌を書いている(筆名南野薔子)が、仁尾氏も以前五行歌を書かれていて、その頃某SNSでちょっと交流があった。
 それから時は流れて、最近またツイッタで再会した次第だが、以前某SNSで話題に出てきて憶えていた仁尾氏のところの猫の名前が、仁尾氏の最近のツイートにもあったりしてなんだか嬉しくなったりしている。
 
 私はたとえば犬か猫かで云えば断然猫派なのだが、普段は猫と関わりのない生活をしている。歩いていて猫を見かけると嬉しいぞ、くらいの感じ。ただ、子どもの頃、家に猫がいた時期があった。入れ替わり立ち替わり何匹かの猫を飼ったが、知人からもらった一匹を除いては、全部なりゆき上うちに居着いたような猫たちだった。そういう猫たちの個性やエピソードも、この本を読んでいてなつかしく思い出されたりもした。

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