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カラーとモノクロ 8

画家の友達が家に招いてくれた。

玄関を入ると、右にも左にも正面にも絵が飾られている。

「絵の具のにおいがしてごめんね。くさいでしょう?」 と、彼女が申し訳なさそうに言う。私にとっては学生時代を思い出させてくれる、懐かしい香りだ。


リビングの横の和室に、とても大きなキャンバスが置いてある。その手前、新聞紙の上に、絵の具のチューブやパレットが置かれている。現在、制作中らしい。

彼女が言うには、絵になじみがない人は、その鉱物的な、石油系のにおいを嫌がるそうだ。そう言われれば、思い当たる。

母は、私が家で油絵を描くのを嫌がった。ピカソやゴッホみたいな名画なら、嫌いなにおいも許したかもしれない。けれど、我が子が描く絵のために我慢など……。

突然、切ない気持ちになった。就職して、時間と描く場所がなくて、油絵から離れていた。


こどもの頃から、絵の具が持つ、独特な香りが好きだった。たいした絵も描けないくせに、その香りに包まれていると、いっぱしの画家になれたような気がしたものだ。


「全然気にならなかった。むしろ初めて来たのに、妙に落ち着く感じだよ」 と私が言うと、彼女の顔がぱっと明るくなった。

見回すと、壁や階段、あらゆる場所に、彼女が描いた家族の絵が飾ってある。ちいさなこどもの姿もあれば、成長し、学生服を着たものも。着物姿は成人式だろう。年老いたご夫婦はご両親だろうか。

この家で家族が集い、人生を刻んできた。彼女は家族の生活を切り出し、肖像としてかたちに残してきた……。

絵の具の香りは、家庭の、母の、香りの一つとして、家族に親しまれているのかもしれない。色褪せない想い出と、母のほころぶ笑顔と共に。


私は少しだけ彼女をうらやましいと思い、自分もまた、いつの日か家の中に小さなアトリエを持つことを夢見たい。今度は夫や娘が、絵の具の香りをどのようにとらえるだろうと想像しながら。

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