「お金を稼ぐことは悪いこと」から本質的に抜け出すぞ回_その③終
問題点が何なのかやっと見えてきた。(書き始めて6日目)
つまり「たまたま親とは色んなことの趣味や相性が合わなかった。」ってことなんじゃないかwwww
例えば1.進路の時、どうしても大学に行かせたい親に対して、私が「大学行きたい!もちろん行く行く!」と言える子だったら問題なかったし、
反対に子供が音楽やりたいといい始めて「音楽いいじゃん!やれやれ!」と言える親なら問題なかった。
例えば2.服や持ち物の趣味が合ってたら「素敵ね、1万円の価値ある!」なんて言い合えて、お金の価値観すら共感できたかもしれないけど、
私が前衛的な趣味だったことで「うわ!なにそれ!そんなのに1万円かかるの⁉」「金食い虫だねー。」となってしまう。お金を出す方も言われた方もかなり嫌な気持ちがする。(いや、今思い返せば深い意味もなくデフォルトでイヤミが出てくる人たちなのかもしれない。子供の尊厳を深く傷つける気もなく軽口をたたいていただけかもしれん。)
例えば3.意見のすれ違いがあったらそれを埋められるよう、よく話そう。
お互いがなるべく理解し合おう。という努力もし合えなかった。
時間をかけても理解し合いたかったし、そうしたいと思ってほしかったな。
大事なところで、相性の合わなさが猛威を振るってしまったんだなと感じる。
でももうこれも、アラフォーになってみたらわかる。
親に理解してもらえないことは、当然たくさんあるけど、
絶対に親を納得させず生きてはいけないなんてことはほとんどない。
自分で納得できないまま進んでいくことの方が危険。
自分の好きなものと親の好きなものは違うよ。
傷つくような言葉で卑下されても言い返さなくていい。
正当化しなくていい。そもそも正当な私の個性だから。
人生の何に価値を置くのかも、本当は自分で決められるんだよ。
だって悪いことなんか一つもしてないのに傷くんだもん。
苦しいなら逃げてもよかった。
でもそのかわり、自分でなんとかお金の管理をして、自分で稼がなきゃって必死にならなきゃいけなかったね。
本当に、親にお金を少なからずもらっていて、いつもすごくありがたいと思っていたけれど、そこに依存していることが原因でこんな申し訳ない気持ちになってしまっていたのだ。
申し訳ない気持ち・嫌な気持ち・罪悪感があるのに援助をもらい続けたのは良くなかった。
そうか、やっぱりあの時が私の親離れのタイミングだったんだ。
ホントに様々な面で理解を求めず距離を取ればよかったんだなあ。
でも、親が嫌いだったわけじゃないし、当時、自分の親の教育に疑問を持ったことなんてなかった。
納得させなきゃいけないと思って苦しんでたけど、思春期は自分じゃコントロールできないことがたくさんあって、そういうものなんだ。って思ってた。
はっきり言うとこのnoteを始めるまで、自分がまさか親に理解を求めていて余計に傷ついているなんて微塵も思ってなかったし、
切り離すことが正解だとしても、災害でみんなが混乱していたあの状況では難しかった。
それに、今の私には夫がいて、娘がいて、自分の色々な選択を「素敵だね」「いいね」「面白いね」と言ってくれる人が周りにいるから、
傷つけられたら「傷つける方がおかしい」と思えるけど、
自尊心の育ってない少女にとっては、苦しくても親に納得してほしくて、自分も納得したくて必死だよね。
だとしたら私の親離れは夫と出会ったときかな?
それとも、それに気づいた今だろうか!
今、親に言いたいことがあるとしたら
「親よ、「もうちょっと私ちゃんの尊厳を大事にしてくれ」とか、「もっと丁寧に進路やお金について話し合ってくれればよかったのに!!」とかいう贅沢はもう言わない。大事なとき、自分で選択ができて、好きなものを否定しないでくれれば、むしろ何もしてくれなくてよかったです。」てこと。笑
…だいぶ遠回りしたけど!! 15年以上かけてやっと言語化できた…
健全に働いたお給料で欲しいものを買って、好きなことをしていい。
その代わり自己管理。失敗しても自己責任。そうやって学んで自立していくんだよね。
進路も買い物も、人生で起こり、関わることはすべて自分で選ぶからこそ、自然と意識して生活できるんだってことが、これまでの社会生活の中でも少しずつ理解できてきてた。
自分で選んでいないと、嬉しい結果でも所詮「誰かに従っただけで私が凄いわけじゃない」という受け取り方になってしまうし、(嬉しい結果が出ることなんてほぼないが。)
失敗とか嬉しくない結果には「誰かの指示で私に選択権はなかったから私の責任ではない」と言い訳し、一方で「誰かが言うように最善を尽くしたつもりだが失敗した。どうやったら正解だったのかわからない。」となる。
更に、自分で選べないと、やりたいことがでてきた(思いついた)ときに、自分のやりたい気持ちは「身勝手で良くないもの」のような気がしてしまう。
どれも今までの私だ。
そして自分の人生は、「自分のやりたい気持ち」では動かすことができない。という感覚がありつづけるのは、結構辛いものだ。
絶対に自分の子供には与えたくない感覚。
できる範囲で様々な体験をさせて、自分でやりたいことを見つけてほしい。
もはやそれだけでいいとすら思っている。
でも、私はもうやりたいことは見つけているので、重く苦しい気持ちを抱えたまま、とにかく死ぬ気でこれらを振り切るしかない。
今まで毒とともに進んできた私なら頑張れる。乗り越えよう。
お金に関して話を戻す
私が今からすればいいのは、
お金の管理をしっかりする。 (できてる)
使ってよい金額以上に使わない (できてる)
自分のものを買うときはコスパを見極める (できてる)
こだわるときはきちんとこだわる (できてる)
欲しいと思う気持ちは嬉しくなる種だと思ってみる (まだ)
手に入れたらRPGのレベルアップみたいな音を付ける (まだ)
(←罪悪感よりもニコニコを作れたと自覚したいから)
そして何より、早く自分の収入だけで私と、夫と、娘を幸せにする。(まだ)
これで罪悪感消えるはず…?
自分を他人だと思って尊厳をもって応援してみる
ミノは、もともとやりたいことも多いし、自我も強い方だよね。
この「自我」って言葉にはよくないイメージがあるけど、つまり「オリジナルでいたい」ってことじゃないかな?
ほかの人が簡単にできることじゃないと思うよ。
大変なこともあるけど、知っての通り人生が大変なのは当たり前。
思ったことはとにかくやってみな!応援するから。
ミノはファッションも好きでもちろん音楽も好きだよね。
それから美容も好きだし読書も好きだよね。
インテリアにもこだわる方だし、アートとか美術もマンガも運動も、着物も食べ物も猫も好きでしょ。
国内・国外旅行だって行きたいよね。
自然も動物も好きだし、人工物も機械も好きだよね。
古いものも新しいものもどっちも好きだね。
今の家族のことも大好きだよね。一緒にいろんなことをしたいよね。
あと、いつかはこだわりの家を建てたいんだよね。
なりたい自分が明確にあるのもすごいことだよ。
お金がかかるっていうか、やりたいことがいっぱいあるだけじゃない?
「欲しい」「やりたい」はミノが嬉しくなるための種なんだよ。
だって「手に入れた」「できた」の数だけミノは喜べるでしょ。
そしてその先にミノのオリジナルな世界があるんじゃないかな。
今、少しずつ好きなものが増えてきてるんだから、素敵だよ!
頑張ってるよ!
お金がいるんだったらもっともっと本気出して稼げばよくない?笑(ギャル)
全部満たせないまま人生終わっちゃうなんてもったいないよ!(おソノさん)
全部手に入れるんだよ!このままじゃ自我に追いつけないよ!(ドーラ)
見てみなさいよ、誰も止めてないじゃない!
それなのに頭の中の自分だけがブレーキ踏んでるのよ(美輪さん)
まあ、子育て中の人とか、簡単には投げ出せないものはあるだろうけど、
今までもちゃっかりやってきたあなただから。大丈夫!(しいたけさん)
この種育ててみようよ!楽しみだねえ。(ちびまる子ちゃん)
今回の苦しみをほどく作業も凄く時間がかかったな。笑
お疲れ、私。
おわり
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