「お金を稼ぐことは悪いこと」から本質的に抜け出すぞ回_その①
「お金を稼ぐことは悪いこと」
こういう考えになってしまっている人って意外に多いらしい。
私も実際「お金を稼ぎたいと思うことは悪いこと」と感じて苦しんでいる。
でも、数あるお金に対するマインドを正すようなブログに書いてある、「お金稼ぎは卑しい」とか「お金は汚い」「お金は怖い」という考えとは少し違うような気がする。
だから「稼ぐのは卑しくありません」「お金は汚くありません」「豊かになるツールです」と言われても、いままでの苦しさが拭えない。
私はどうやら「稼ぐ」よりも以前に「お金を使うことは悪いこと」とか「何かを欲しいと思うことは悪いこと」だと感じているような気がする。
イコール、「何かが欲しいからお金が欲しい」のも悪いことだという思考になっているような。まだぼやけているが、今日はこれと向き合っていきたい。
端的に言うとこれも親の影響だなと大いに感じるところがあるのだ。
このnoteではもう遠慮なく親のせいにしていく。笑
もちろん、隠れた毒を見つけ、苦しさを解消するため。
そして自分のこれからと、子供のこれからに反映していくつもりだ。
思考の原因となったであろうエピソード
私の学生時代、父は「学生は余計なことしてないで勉強しろ。」「必要な金は出す。」の一点張りで子供にアルバイトをさせなかった。
アルバイトしてるやつは不良だと決めつけていた。
私は「いや、そんなことないだろw」とは思っていたものの、親の勉強しろルールは兄姉時代から絶対だったため高校を卒業して親元を離れてもアルバイトはしなかった。
しかし専門学校を卒業したらちゃんと就職しろと言われる謎の盲目コースを走らされていた。
夫に話したら「過保護!」と言われたけど、
目隠しして走らされてる感覚の私からしたらどこが保護されているのかわからない。
今考えれば、名のある学校を出たくらいで仕事が舞い込んでくる時代ではなくなっていたこことに親は気づいていないし、私もその時点で時代によって就職状況が変わることもよくわかっていない。
そもそもどういう考えで親が大学至上主義になったのか、どうして子供に強要するのか説明を受けたこともないので保護なのか命令なのか理解できていない。
しかも行くことになったのは前述のように行きたいとは思えていない学校。
少なくはない学費と、仕送りと、住居費その他もろもろ、出してもらいながらも「学びたいことはここにはない」という思いから何もつかめない2年間。
(ああ!もったいない!)
そして自分の欲しいもの・好きなものを買うとき・やりたいことをするとき・友人との遊びに使うときも当然、親の金なので、それに親が理解できなければ必ず卑下され「金食い虫」「あるもので我慢しろ」「無駄遣いが多い」「あんたの趣味は変だ」などと言われる。
→自分にとっていかに必要な出費なのか、正当化する言い訳や反論を用意する。
→お金を使うと申し訳ない気持ちになる&自分がダメなやつな気がしてくる。
例えば、一度どうしても欲しい少々値の張る服があって、親がくれるお金では足りないけれど、これ以上お金が欲しいというのは申し訳ないので短期でビールの試飲のバイトをしたことがあった。もちろんバイト禁止なので秘密で働くことにしたから、それこそ悪いことをしている気持だった。
その時の気持ちはこんな感じだ
「健全なお仕事なんだから、何も悪くないでしょ。」➡「ファッション系の学校に行ってるんだから少しくらい高い服欲しくたっていいでしょ。」➡「でも、ほんとは音楽やりたいのにこんなことにお金を使っちゃって、何やってるんだろう自分」➡「あの時、親が音楽の学校に行かせてくれたらよかったのに…」➡「また親のせいにしてクソだせえな自分」➡「親は色んな資金出してくれてるのにまだいろいろ金かかるなんて、ほんと無駄でダメな選択しかできないな自分」…思考、無限に落ち込む。
そしてその後の十数年、自主的に音楽活動は続けていたものの、満足のいくような自分の能力発揮もできず、進路選択の一件についてしつこく親を恨み、そんな自分にも嫌気がするし、アルバイトで稼いでも生活費で使ってしまう自分を恥ずかしく思い、自立もできないのに何かを欲しいお金が欲しいと思う自分を責め、泥を歩くような日々は続いてきてしまった。早く助けて自分。
次回へ続く
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