分析”もしかしたら“あの時の正解
前回、最後まで書いてみて
私はなるべく「親のせいにしている人」になりたくないんだな。
でもほんとはめっちゃ親のせいにしてるな。ってことがわかった。笑
けれど大人になって今考えても、あの時の問題点は
「親や周囲が子供を理解する姿勢がない」「応援する態度がない」だと思う。
私の頑張りやプレゼンの仕方、思考の癖を直すだけではどうしようもなかった部分も多々あるなと。
子供がうまくプレゼンできないなんて当たり前。
ましてや、私の夢が間違っていたというのは違う。
「犯罪集団を作りたい」と言ってたわけではないのだから。
そしてやっと今それがわかっても、過去に行って周りの大人たちを交換することはできない。助けてくれる大人にたまたま会えなかっただけ。
母親にも、後になってそれらを指摘してみても、自分の子供を理解しようとする機能がそもそも無いことがわかるだけだった。
私はスポーツや芸能人やyoutuberやその他もろもろの親子関係の話が好きなのだが、各所で成功者(?)として有名になる方は、だいたい3つの場合に分けられる。
1.親や祖父母から応援されている方。びっくりするほどほとんどがこれ。「根拠のない自信があって」と語る方も多く、親の愛情がその根拠になっている場合が多い。
友人でも一芸に秀でて精神が安定してるのはこういう方。
2.親や祖父母から応援されていなかったという方。
この方々はほぼ、反対されても勘当覚悟で家出をしたりして自分で奮起して活動している。そして人一倍努力して成功し、今は親とも仲良くやっているという話が大半。
3.人一倍複雑な方。LGBTQの方などは自身の特徴に対して家庭ごとの受け取り方がかなり色々あるため、親子関係が現在進行形で複雑化して絶縁状態になってしまう方もいる印象。それでも自分は自分の道を行くしかないのだと、決意して成功しておられる方が多くいる印象。
私の場合は両親揃って育っているし、ネグレクトでもDV家庭でもなかった。
衣食住を確保し、育ててくれた。健康に気遣ってくれたし、必要な時に病院にも連れて行ってくれたし、親が納得すればお金もかけてくれた。母親とはよく話す方だし、険悪ではない。
私自身の成績や生活態度も悪くなく、LGBTQの要素などの親子関係が複雑化しそうな点もない。
だから、とてもとても気づきにくかったけれど、
残念ながら私や兄弟は、親から思いやりやあたたかな目線、尊重される経験、好きなことを応援してもらう経験、意見や結果を受け入れてもらって生まれてよかったと思える経験などいう愛情らしきものを受け取ることはできなかったようだ。
「育ててきてもらえたこと自体が愛情だろう」
これはごもっともなのだが、私たち兄弟は常に「取るに足りない存在」として扱われていた。
ほめられたことはまずない。(私が飛んでる虫をよけたときにすごいねと言われたぐらい。笑)
応援されたこともそういえばない。
できることは当たり前。できないことを責められる。
テストで98点をとれば「あと2点どうしたの」と言われる。
女性らしいものをかわいいといえば「エッチくさい」とか「ぶりっこくさい」と言われる。
おしゃれやメイクをしたい気持ちを知ると「外身より中身を磨け」と言われる。
スポーツの試合で私が負けた時、みんなの前で「バカ!」と言われる。
習い事などやりたくないことはやらされ、やりたいことはやらせてもらえず。
親が納得してないものを買うと「金食い虫」と言われる。
何を選択しても必ず一言イヤミや小言を言われ、「●●しなきゃだめよ」や「●●するだけじゃだめよ」「これやればよかったじゃない」など逆のことを考えろと指摘する。
考えていっても「考えなしにいうんじゃねえよ」と言われる…などなど
こういうこういう目に見えないような1mmずつの否定やさげすみを感じていた。
かわいいもや美しいものをそう思ってはいけないと思うようになったし、頑張っても結果が良くないと意味がないし、よくできても「これでいい」とは思えず、好きなものを買い物をしても全部わがままな浪費をしてしまったと感じる。気遣いをしたつもりでも、考えが足りなかった気がする。
正しいことをしていない感覚が常にあるのだ。今も。
当時の私たちにとっては当たり前のやりとりだったし、その場ではもちろん言い返したりしたけど、常に言い返す言葉を用意するようになることで言い訳している気持になってしまったり、泣きながら「あんな風に言わないで」と訴えても絶対に謝ることはなくはねのけられたりと、きっと実はかなり精神を削られていたのだ。私が弱かっただけかもしれないが。
それに「ほかの親が子供に●●ちゃんすごいねぇと言っているのを見ると気持ちわるくなる」「子供には厳しくしなきゃダメ」「親が子供の意見をいちいち気にしてはダメ」「親が子供を大切にするのは当たり前」「子供に向かってありがとうとかごめんねとか愛してるとか大好きというのはバカみたい」「抱きしめるとかお尻がむずむずして無理」というのは悪びれもせずよく言っていた。
よくほかの人の前で「うちの子はグズだし自分じゃ何もできないし…」と卑下されることもよくあった。
親の照れもあったと思う。夫婦仲もよくない中、日々大変なこともあったと思う。
だがそんな親の言葉の端々には少しづつ、私たちにとっての毒が混入していて、愛情らしきものを見えなくさせてきたんだろう。
色々なことに感謝もしている。だから余計に恨み損ねたというか、ずるずる頼ってしまい、毒性ポイントが見えづらかった。
「隠れ毒親育ち」とでも呼ぶべきだろうか。
思い返せば、私は応援されたことのある子ではなかった。
上記でいう2.や3.の分類になるだろうか。
そうだ。1.のように根拠のない自信なんてない。
でも、これからでも、やりたいことをして、成果を出して、
あの時のことを悔やまずに生きていきたい。
だったら、私が成功のためにするべきなのは「反対されても勘当覚悟で家出をしたりして自分で奮起して活動する」こと。
もしくは「それでも自分は自分の道を行くしかないのだと、決意する」ことなんだろうな。
応援されたい理解されたいって接近してすがってるうちは、どうしても断固反対されちゃうという、悲しい構図になってしまっているのだから。
理解を求めない。離れる。切り離す。振り切る。遮断する。
これがファーストステップなのかもしれない。
確かに。そんな応援されない中の成功体験は私にも思い当たる節がある。
大人になってから親の反対を押し切って自分の選択をすることを、
実はたった2回だが成功させた。
それは、くだらないかもしれないが
15年前の「髪を金に染めたこと」と、去年の「目の整形手術」
やはり髪を染めることも「健康を害する」「金くい虫」「くだらない。容姿のことより中身を磨きなさいよ」「仕事なくなるよ」という言葉で否定され続けてきた。
でもこれは私にとって重大な意味があったし勘当されたり冠婚葬祭に出られなくなる覚悟で振り切った。
目の整形手術も同じく「金くい虫」「くだらない。容姿のことより中身を磨きなさい」「変になったらどうする」「親からもらった身体にうんぬん」これは心配もあってかなり否定された。
でもこれは生活に支障も出るような眼瞼下垂の症状もあって決心が硬かったし、自分なりにだが2年かけて調べつくしたこともあり安易な決め方ではなかったので振り切った。だいぶこの頃は親の否定する言葉に真っ向勝負しなくていいと思えてきた頃だったので「何も言わないで」と言えた。
そしてどちらもかなり怯えながら実行に移したが、
結果は成功した。嬉しかった。
自分の視野や世界が広がって望んだ自分になっていく感じがあった。
そして髪を金に染めても父は私を勘当しなかった。
髪のことには触れなかったが「飯をちゃんと食ってるのか」と聞いてくれた。
目の手術をした時は父は他界していた。
母はやはり否定してきたが私は聞き入れなかった。
親が今は応援していないことでも、自分のためなら覚悟を決める。決心して、やってよかったと自分が思えることが自分の「嬉しい」の作り方なんだとやっと最近わかった。
特に目の手術の時は、自分で大きなことを決めて、よかったと思える初めてのことだったかもしれない。
そうか、そういうことだったのか。
私が進路を決める時にできなかったこと、
そしてやるべきだったこと。
それは勘当覚悟で親を振り切ること。
理解を求めない。離れる。
お金のことが解決できないけど、願書を出してしまうとか、親戚に支援を頼むとか、自分で稼いで夜間に通うとか、もしかしたらやり方はあったかもしれない。
きっとそれが正解だったような気がする。
当時はそんな分析力もなかった。アイデアもなかったし、親がすべてだったし、生命エネルギーも使い果たしていたから結局は無理だったかなと思うんだけど、
ずっと抱え続けた「どうすればよかったんだろう」という思いが今、晴れた。
親はすべてじゃないよ。正解じゃない。
今から自分の力で、私にも説明できない世界を作っていい。面白そうだよ。
そして叶えたとき、親に育ててくれたことを感謝できるはず。
今は私のことを応援してくれる夫と子供がいて、何より自分が自分を応援している。親を切り離すことは、もう難しくない。
まだ自信はないけど、乗り越えたら自信が追いかけてくると噂でよく聞く。
そして私の子供に、自分で選択していく大切さをこの身で見せていけたら最高だな。
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