実子誘拐の流れを再考察する(1)

この国の裁判で録音などが禁止されている事は知っていよう。そして禁止であるからその手段に於いて収集されたものは証拠として扱われない。

この事は一見理不尽なようにも思えるが、芸能人の熊田曜子の件のように
「明らかに嗾ける目的で記録されたものに証拠としての価値を認め」 てしまえば
当たり前だが 「最初に仕掛けた方が一方的に利益を得る」 事になってしまう。

ところが私のケースは小山田くんがまず子どもを誘拐し、家の家具を散乱させ、我が子が突然消えてしまった私が 誘拐の思惑通りに 誘拐犯=小山田くんに
ケガを負わせてしまったことを 思いっきり利用 して起訴まで持って行き(当時の担当検事は 正直よくあることだし、子どもも幼いから 旦那さんを説得して起訴にはならないだろうと断言していた)
子どもと会わせない理由 として散々に主張している。

まあこの国の裁判所を一度でも経験すれば分かるが、裁判官は証拠をもって事実認定を行うのではなく 出す結果ありき で証拠の一部だけを「切り貼り」するだけだ。

その事を私のケースから今一度紐解く。

・それぞれの立ち位置

そもそも相手方と出会った時は自身は25歳で未婚であったが、相手方は既に他の女性と婚姻しており子どもも2人誕生していた。

交際の端緒は相手方からのアプローチではあるが相手方は今の妻は愛していない、兄貴の妻・豊美に言われて交際し子どもが出来たから仕方がなかった、妻も子どもも捨てるなどと言う事を常に言っており、信じると騙されるは表裏一体ではあるが、自身とすればこの時に相手方を信じなければ良かったとは思うが、そこは後悔先に立たず後の祭りである。

相手方は今の妻と別れるから君と一緒になりたいなどと会うたびに言っていたがどこまで本気だったのかは今思うと未知数である。

既に相手方は前婚家庭での離婚が成立していた事もあるが、この事で障壁が取り払われたと自身の勘違いもあろうが、思えば相手方とすれば前婚家庭が法的にも離婚成立した後でちょうど良い性交渉のお相手だったのであろう。

私は 小さな頃から 母親から 「お前はできない子だ、あっちへ行け」と 毎日のように言われ続けていたので、初めて 愛されている と勘違いしてしまったのだ。
やはり、両親からの愛情を受けて育つことは重要であることは言うまでもない。

その後、離婚が成立した相手方との子どもを妊娠している。この時は入籍こそしていなかったが事実上の婚姻関係同然の状態であり、子どもが相手方との関係を取り持ってくれると言う思いであったが、相手方がどのように思料していたかは未知数であり、妊娠を契機に正式な婚姻手続きをしたいと望んではいたものの相手方は 「忙しい」 事などを理由として対応することはなく、
ようやく相手方との法的な婚姻が成立したのはその子の臨月となってからである。こうして誕生したのが第一子の長男である。

・婚姻生活

婚姻生活は必ずしも順調なものではなかった。ただし相手方は独立自営の請負事業者で相応に収入を得ており、こと経済面で困窮する事は一切なかった。しかし入籍後というか入籍の契機はやはり子どもの妊娠・出産であり、相手方とすれば前婚家庭での婚姻理由と同じようなものだったのか、入籍がそれこそ第一子の臨月でもあり相手方とは性交渉が途絶えていた。そもそもの相手方との交際経緯にも言える事だが、相手方からすれば生活を共にするパートナーとしての役割ではなく 夜伽の対象 という程度であったとしか思えない。

婚姻生活の最終的な破綻は相手方からすれば ケガを負わせられた事 と言うのであろうが、それ以前より帰宅する事すらなく池袋に「一人になる時間が欲しかった」といって物件を賃貸借していた事を相手方自身が吐露している。
その物件も後になると「仕事のために借りていた」などと理由は変遷するのだが、既に他のところで 性交渉に必要な相手 を確保していたとすれば納得も得心も行くものである。

確かに相手方の 女グセの悪さは 当初から知っていたし 浮気・不倫を責めても致し方ないところではあろうし、性の商品化などと非難はあろうが「(風俗店などと呼ばれる)いわゆるそういうお店」がある事くらいは女性でも知っている事だ。
なにもそういうものを咎めようという意図はもちろんないが、相手方とすればどうにか相手を嗾けて 自らに有利な条件で離婚を画策していた とすれば全てにつじつまが合う。

このような指摘を裁判所でこれまでに何度も行ってきたが相手方からあるのは明確な反論ではなく「妄想である」といった程度のものであり、それこそこちらから突かれた矛盾点に於いて従来の供述や陳述とは相容れない荒唐無稽な主張へとすり替えられる。子どもを奪う理由としても明確であるし、そもそも子どもらと一切会わせないという程の仕打ちに終始するのは一体何のためかという事である。

・相手方にケガを負わせた事件の経緯

相手方にケガを負わせた事件の事を相手方は最大限に利用しているが、そもそもの契機は事件2日前にいきなり相手方と近隣に住む次兄夫妻が結託して子どもらをいきなり拉致監禁した事が発端である。

めったに帰宅すらしなかった相手方が平成25年8月10日の土曜日に帰宅した事である。この時に特に事前の連絡などもない。

現在は平成28年の祝日法改正で山の日にかかるが当時はまだである。この国はいわゆるお盆とそれに伴う夏季休業の習わしもあり、ちょうどその時期にかかる週末で相手方としても休業しやすい時期であろう。
そして先に指摘というより相手方も供述でハッキリ示しているように 加担しているのが相手方の次兄夫妻 であり、人員を頼って子どもの拉致監禁を実行する。

この際、相手方は当日に一緒に出掛けてその場で座る席の事を巡って「口げんか」と言う事を供述で示しているが、そもそも当日に相手方と出かけたという事実すらなく、その事を指摘しても今度は荒唐無稽な主張にすり替えられてきている。

時系列に事件直後の警察での供述が「口げんか」だったものが、子どもとの面会交流を巡る調停・審判では
なんと家に放火して相手方と子どもを焼き殺そうとしたという、どこの人権派とかいう弁護士を通すと良く出処の分からない 物語 と化す。

この放火というところの事実、相手方が久々に帰宅はしたもののこれまでの帰宅ではそのまま違法賭博パチンコに行ってくると言うような有様であったので、
そこは「イヤガラセ」と言われれば反論も出来ないがキレイ好きであった相手方の履物の中に灰を入れている。この灰というのはやはり事件直後の相手方の供述にハッキリと「チラシの燃えかす」とある。

要は入れるものはタバコの灰でもなんでも良かったワケだが相手方も含めて喫煙者はいなかったし、たまたま目の前の要らない紙を汚損させるための灰にしたと言うだけの事を
なんと「相手方と子どもを焼き殺そうとした」とするのだ。

もはや物語とか言うより捏造でしかない。おそらくと言うとまた「妄想」と言われるのだろうが、ここはもう確実に当時相手方の代理人弁護士の 見事な想像力 が発揮され、事件直後の従前の相手方調書から「チラシの燃えかす(灰)」を見つけ、これさいわいに放火というでっち上げを行ってきた。

ところが悲しい事に人権派弁護士は想像力を発揮するには学修(学習ではなくこちらを充てるには意味がある)の能力に乏しい事を自ら曝け出すが、それこそ中央大あたりで就職後に社会不適合を生じ浪人(不合格)を重ねた苦労の上に司法試験に合格と言う水準であるから、そもそもの整合性に乏しい。
http://www.jlaf-tokyo.jp/danin_katsudo/shinnyu/160408shoukai.html

面会交流調停時に出てきたのは、メンタル面の不調について散々な無理解の元に無責任な個人ブログを参照して「街に猛獣を放つ」とまでの主張がある。そもそも相手方の代理人弁護士は自らを人権派などと称するものの、その実は国家公安より危険団体として監視対象となる政治団体を友党と標榜する自由法曹団員である事を公言する輩でもある。(私は 老害重視の自民党支持者ではないが!)少なくとも人権派を標榜するのであれば「国民全体で支える」とする各種の支援法の精神すら蹂躙している事を知らなければならない。

それこそ ハンマーを振り回して だとか 私が一人で暴れまわっていたかのような陳述 を繰り返しているが、その中に私が男性警察官数名で取り押さえてもなお暴れまわっていたとする部分がある。
私自身、一般的な日本人女性を大きく上回る程度の体格であるが、男性と比較すれば男性の平均的な身長と同等程度でしかない。仮に多少体格的に劣っても相手が男性であり、それが一般市民の生活の安全を守るために高度な選抜と厳しい訓練を経て来たものであり、それが複数で取り押さえられないという、本当に事実なら この国の治安に重大な危機が描かれる。

これらの相手方の「でっち上げ(私の妄想などとはとんでもない)」を事細かに記していけばそれこそキリがないのだ。何度も何度も矛盾を指摘すれば挙句の果てには子どもの拉致監禁をした理由が「近くには川や湖があり」とする。確かにこの国を代表する人造湖(狭山湖・多摩湖)は近いのだが暗に子どもたちをそこへ突き落すと言った危害の「おそれ」などと煽る。

まさに斯様な部分に適切・的確な反証をしていく事は非常に骨の折れる作業となるが、こうした心的抑圧を私に与える事で精神面の崩壊を狙った犯罪行為と断罪しても行き過ぎではなかろう。

・子どもらの拉致監禁

相手方に無断で子どもらを連れ去る行為を「実子誘拐」と定義するが、近年ではより巧妙な手口が横行している。同様の経験をした私にしてみれば 芸能人 熊田曜子のケースなどはまさに完全な嗾けDVの様相でしかない。

私自身のケースは、相手方が平成25年8月10日に帰宅した後、第一子を連れて近隣にあるホームセンターヤサカに出かけたが、その隙を突いて実行された。

自宅からそこまでは非常に近く、しかも徒歩ではなく自転車(電アシ)を使っているし、何分が経っているかは時計を見て出たわけでもないので定かではないが、せいぜい3~40分程度、長くても1時間はかかっていない。曖昧な表現で済むのなら概ね小一時間程度の事である。

帰宅した際にどういうわけか(もなにも相手方が警察に通報して出動を要請している)自宅前に数台の警視庁のパトロールカーが停まっており、母乳育児中だった第二子の長女がいなくなっており、何のことかと事情の分からなかった私と司法警察員が口論となっている間に一緒にいたはずの第一子の拉致監禁をも次兄夫妻が行っている。この事についても相手方は私が相手方にケガを負わせた事件直後の供述で相手方自らが述べているものである。

次兄夫妻がいくら近隣(隣市であり車で10分程度)に居住するからといって前もっての共謀もなしにいきなり人員が揃う事は「非常に考えにくい」。

そもそも当日にいきなり帰宅し、ホームセンターへ出かけたわずか小一時間の間である。午前中に出かけて日没を過ぎても帰宅しなかったとかであれば事件に巻き込まれたのかと疑心暗鬼になってと言えるかも知れないが、それ以前の問題としてどこに行ったか分からないとしても当時住んでいたのは東京都東大和市であるし、当たり前だが携帯電話も持っているし、電波の届かないような場所でもない。

要はキッチリ計画的に子どもらの拉致監禁が整然と実行されていたとすれば、そこに次兄夫妻がいた事も含め整合する。

更には私が相手方に子どもを突然誘拐され相手方に軽傷(翌日退院)を負わせた事件そのものであるが、ここを迂闊に書けば開き直っていると言うか反省がないなどと攻撃材料にされるであろう。もちろん反省がないとか言われる以前に何があったからとしてもケガを負わせるような事をしてはならないのであろうが私は子どもたちの母親であり子どもたちを護る義務がある。(その事は相手方も同様である)

ケガをさせるつもりではなく「脅かすつもり」とか、相手方に挑発されたとかそんな通り一辺の出来事ではないのだ。そんな誰でも思いつくような「言い訳」ではなく、状況から考察すればそれこそ「狙われた」ものだ。

事件当日(子どもを誘拐されたのが8月10日。乳呑児を警察を介して返してもらったのがその翌日。その2日後)、私は奪われた子どもを返してもらいたい一心で子どもが拉致監禁されている相手方次兄宅で向かっている。
そこで事件が起きたワケだが、私は次兄宅に侵入してもいないのだ。次兄宅が近づいた時にいきなり 目の前に まさに 「タイミング良く」 相手方が現れたのだ。
相手方はこれまで子どもとの面会交流妨害のためにその時の事件を最大限利用(悪用)しており、事件の時の調査書やその後の刑事裁判の資料などを事細かに面会交流調停・審判に提出しており、そこからも明白だが、事件現場は次兄宅ではなく、次兄宅の前の公道だ。考えたら分かるがその時点で拉致監禁されている子どもは次兄宅内におり、事件現場である次兄宅前の公道にいない事が明白なのだが、

相手方の主張では 長男が目の前で目撃した事にされてしまう。

当然、矛盾を突いて反論はするが理解力に欠けた裁判官からすれば「(事件現場を目撃できるところに第一子が)いたかどうかは判然としない」程度にしか読み解けない。

相手方は次兄宅前の公道で私と遭遇しているが、「たまたま車を移動させるため」に外へ出たところ「偶然に」と供述している。私自身が子どもを返して欲しいと言う事を拉致監禁から2日、それも近くのホームセンターから帰ったら自宅前にパトカーという理不尽な状況で行われてからの時間が経っており、子どもを返せとしつこく食い下がっていた事は相手方も当然に知っており私が次兄宅へ出向く事は火を見るより明らかな状況である。

そんな最中に「車を移動させる必要性」と言うのがどういう状況で起きるのかと聞いても明確な返答はない。と言うか交通取り締まりについて年々厳しさを増す中で相手方はその事業の為に自動車の利用は必須であり、わざわざ移動が必要な場所へ駐車してその後に移動させるという段階を踏む事すら到底考えられない。そこは実のところ理由などはどうでも良く、それこそ子どもを返せと私が訪れたところで騒ぎを起こし、自らに有利な出来事として利用する魂胆、待ち伏せならぬ「待ち構え」だったとすれば、これはかなりの蓋然性を満たす。

子どもの拉致実行犯が相手方の次兄夫妻で、教唆が相手方、指南役が人権派とやらの弁護士として、その総仕上げに何も知らない私が「子どもを返せ」と来るのを待ち構えて騒ぎを起こさせる。

冷静沈着にと言葉で言うのは容易だが子どもを奪われてそんな事が出来る母親なんて絶対にいないはずだ。(当時の子どもは上の子はようやく話が出来るくらいになった2歳児、下の子は生後3か月で生まれたばかりで、乳呑児「赤ちゃん」なのだ)

私みたいに相手にケガを負わせるところまで行かなくとも大きな声の一つは出よう。その程度でも近所迷惑だとか精神不安定とかいくらでもでっち上げる要素は出てくる。

実際のところはどうだったか分からないにしても、次兄宅に私が「子どもを返せ」とかち込むと見込んで屋内から公道が見える場所で待ち構えて、私の姿を認めた事で「かかって来い!」とばかりに外へでたとすれば、タイミング的にも整合するし、そう考えるのが「偶然」という相手方が強弁する可能性と比較してどちらが「自然(必然としても良いだろう)」であるかは言うまでもない。

・面会交流

相手方は離婚後の私の状況について、子どもの運動会などを見学した際などに同行してくれた相手が異性であった時の事を「以前とは異なる男性」といったような表現であたかも私が交際相手を決めきれないかのような印象操作を行ってきた。

私が求めているのは相手方との交流ではなく子どもたちとの面会交流でしかない。相手方が私との接触を毛嫌いする以上に私自身も相手方との接触について避けたい気持ちは往々にしてある。しかしながら子どもを現に養育監護しているのは相手方であり、子どもとの交流のために最低限の対応は行わなければならない。既に夫婦関係ではないが子どもの両親という事実については永劫のものである。

そもそも事件の負い目もあり子どもと会えない事以外の相手方の行為についてはそれこそどうでも良い事としか思っていない。今さら現在の相手方の内妻とするものが何であれ、そこは相手方自身が決めればよい。しかしながら後にも先にも子どもたちの事である。その内妻とやらと相手方が何をやろうが自由であろうが、当然に社会規範を遵守した上でのことだ。その内妻とやらが今の私の子(相手方の子でもあるのだが)に「何をしているのか分からない」というのが正常であろうか。

この「何をしているのか分からない」というのは翻って「キチンとした対応をしているのか」の裏返しでもある。

従前にいきなり第一子がADHDと診断された、既に服薬をしている、正式な診断確定は年明け。と一方的な通知が送られてきたが、その事についての問い合わせについてはこれまでに何らの回答はない。
その前には「記憶で起こる障害」とされるPTSDなどとの供述もあったが、そもそも医師でもない代理人弁護士や相手方に何の基準でそのような供述が構成されるのかは甚だおかしなものである。

現在子どもらは相手方とその内妻と連れ子との生活だと言う。その内妻やら連れ子が子どもらに悪行を働くとする証左は当然にない。しかし逆に「(必要な事を)何もしていない」という事も在りうる。そこをどうしろと言うのか。

この「内妻」とやらも相手方の供述・陳述を精査し様々な矛盾点を繰り返し指摘しなおかつ5年余りの時間を経てようやく行われた家庭裁判所の調査官調査の報告書でようやく明らかとなったものである。(ここで言う調査は令和2年の2度目となる「再調査」であり、5年の経過は最初の調査からの時間であり、子どもを相手方が拉致監禁してからは7年以上が経っている)

それまで 相手方は子どもらの監護養育補助を相手方の実母であるトキヱが行っている としてきた。
実際のところ相手方の実母の年齢すら知らないが、相手方は3人兄弟の末っ子でもあるし、
いわゆる大東亜戦争が起こった時期と相手方の親世代が重なる時代背景からも現在は 後期高齢者 である。

加えて相手方は異常な「マザコン」と断言できるもので、その事で私とも軋轢を生じてはいるが、前婚家庭でも散々マザコンが要因となっての不和をそれこそ飽きるほど聞いてきている。それでも後期高齢者に子どもの監護養育補助をさせる事が老人虐待とは思わないが、状況を考えればそのような事はあり得ない事は明確であり何度も調停委員や裁判官に訴え続けてきたが「老人が子どもの監護養育をする事に何の問題があるのか」と完全に意味を取り違える。確かに自身の言語能力の拙さを如実に示すようだが、この程度の理解力しかないのがこの国の法曹である。

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