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第2部 6.点を拾い集めて線にする

第2部 暴かれる実子誘拐の真相
 
6.点を拾い集めて線にする
 
別居当時から、いやもっと正しく言えば相手方(元夫)と出会った時から疑問と言うのは多々あった。もっとも「今だからこそ」と言う事も数多くある。

相手方に前婚家庭があったことが発覚したとき、私には繰り返し「(前)妻とは離婚する」と言っていたが今なら単なる浮気男の常套句だと分かる。前妻との2人の子も「いらないから捨てる」とよく言っていたが普通に考えたらそれはおかし過ぎるだろって思う。ただ、相手方が言っていたのはもちろんそれだけではなかった。「キミの事が本当に好きになった」、「キミとの子どもが欲しい」、、、などなど、出稼ぎ労働者に似合わないそのような歯の浮くような言葉を言われてバカみたいに舞い上がってしまった。恋は盲目とも言うだろう。ただ単に今の家庭の不満だけ聞かされるのとワケが違うと思う。だから騙されたのだろうけど、幼い頃から愛情に飢えていた私は、当時は本気で信じてしまった。

私自身、離婚家庭で育った。母親から毎日のように実の父親の悪口を聞かされていた。酒やギャンブルなど色んな事があったらしい。そして私には実の父親の記憶が一切ない。私には父が同じ妹がいるから、私の妊娠中に母親が家出をするなどして、私と父親は一切会っていないという可能性は絶無だ。父親に抱っこされたり、時には一緒に遊んだり、たまには何かを買ってもらったりと、なんらかの関係は絶対にあるワケだが私には悲しいことに何の思い出もない。

だから産む側の性ではない男性は子どもの事などあまり関心がないのだと思い込んでいたのだ。しかし今なら分かる。私の実の父親も子どもに会いたかったのだ。そして今の我が国の司法制度がそれを阻んでしまったのだ。

実は、2021年(令和3年)3月に私は戸籍を辿って40年ぶりに実父の居場所を探し出し、意を決して会いに行った。生きているのか死んでいるのかだけでも確認したかった。最終的に居場所が判明し、生存していることが分かったときにはドキドキした気持ちになった。判明した住所を頼りに東京の住所に行くと、実父はちょうど在宅していた。実父は「本当にえみちゃんか、あのえみちゃんか」と驚いた様子だった。しかし、その日のうちに4、5時間は話をした。失われていた時間を埋めるかのように、互いにたくさん喋った。しかし、私たちが会ったのはそのたった1回だった。なぜならその後に実父から教えてもらった電話番号に電話をすると「えみちゃんは俺にとっては未だに赤ちゃんなんだ、それにえみちゃんにはえみちゃんの生活が、俺には俺の生活があるからさ」と言われてしまい、実父にこれ以上関わることが迷惑だと悟ったからだ。親子が引き裂かれたら親子の絆なんてものは弱いものなのだ、と思い知らされた瞬間だった。40年。もう戻ってはこない。

2021年(令和3年)に将棋棋士の橋本八段が子どもを拉致・誘拐された事が大きく報道された。公開する動画などで妻側やその代理人弁護士を辛辣に非難している。男性だって子どもを拉致・誘拐されればどれだけの精神的打撃を受けるのか。私は将棋に一切興味もなく良く分からないのだが、将棋好きの友人から聞いたところ、棋士にも相撲の番付のようなランク付けがあって、そのうちの一つに於いては上位1割も所属出来ない最高位の地位を10年保持し続けた強豪棋士との事だった。頭脳の格闘技(友人の受け売り)とされる将棋に於いて、メンタルと言うのは非常に大きな影響を勝負に与えると言う。歴史上、男女の区別のないプロ棋士に女性が昇格した事はないらしい。これは女性が弱いと言うのではなく、まずは競技人口の裾野ともされるらしいが、もう一つ女性特有の事情があると言う。将棋のプロ棋士への最終関門は半年間で18戦を戦うリーグ戦で上位になる事である。女性でも過去にはあと一歩の成績ながら手痛い敗戦で昇格を逃しているのだが女性特有の理由とは月経である。わずかでも集中力を切らせば負けに直結する厳しい勝負の世界故とは言え致し方ないのではあるが、月経の苦悩など子どもを拉致・誘拐される痛みと比較すれば、私自身女性としても、また子どもを拉致・誘拐された当事者としても容易に理解できる。子どもを拉致・誘拐されてからの橋本八段の成績は急降下。私自身、将棋の勝敗表や棋譜(勝負の結果を記録したもの)を見ても何だか分からないが、強豪棋士の橋本八段とは思えない無惨なものだと言う。最終的に橋本八段の将棋棋士生命は引退と言う形で絶たれてしまった。

これは拉致・誘拐親による「魂の殺人」だ。

橋本八段のケースを見ても分かるように、産む性でない男性でも当然だが子どもの事を思う気持ちは女性となんら違わない。しかし私が「男性であっても子どもの事を思うんだ」と言う事に気付かされたのは別居親の当事者団体の会合や、その後の懇親会(事実上の酒席)へ参加したのが契機である。そのような当たり前のことすら分からなかったのだ。片親疎外による認知力の欠如だ。同じ子どもと離れ離れになった当事者同士でもあり、話を聞いてもらえる安心感もあった。と言うか、封建社会的な「子どもは家に従属」というような社会慣行は根強くあり、離婚して家を出たなら実の子どもでも「よその子」という風潮は現代にも残る。子どもの拉致・誘拐と言った過酷な経験を持たない人は、悪気こそないのだろうが「子どもの事はあきらめなさい」と言う事を平気で言ったりする。励ましたり、勇気付けようとする気持ちなのだろうが、子どもの事をあきらめられる親なんて本当にいるのだろうか。表面では取り繕っても心の中は絶望以外にない。裏を返せば、子どもを奪われる痛みなど経験するまで分からない。まあここまで拉致・誘拐という表現を続けているが、この団体については「別居親」という表記にしてあるが、子どもと離れ離れになる契機や要因は当事者毎に異なる。中には普通にと言うとヘンだが、双方合意の上で円満に離婚し、子どもとの面会交流も出来ているが、いわゆる我が国の相場(月に1回、1時間)があまりにも低すぎると不満を持つ人、あるいはもっと交流できているがさらに拡充したいと言う人と、全く子どもと会う事が出来ず、未来には希望どころか絶望以外感じられない人で意見集約も出来るはずはないのだが、分裂騒動どころか実際に分裂してしまったり、他団体を貶めたりやってることはどこかの暴力団抗争と同じだったりする。

無論、全てが全てを否定するワケではないがせいぜい絶望時の心の拠り所程度でしかなく、何かが解決するものでもない。まあそれでも、これは私自身にも当てはまる事だが、離婚に至るような経緯を誰もが持つだけに1クセも2クセもある人たちばかりだが、なんか周りから聞くと医師や官僚、大学も旧帝や早慶などがデフォのような錚々たる(必ずしも地位や学歴で人が決まる事もないが)面々と言うのには些か驚いた。と言うか「親子断絶をなくそう」と思っても、それだけでは何も解決しないが、多くの人はあきらめていると感じる。難関大学や試験に努力してきた経験が、親子断絶根絶という難問への挑戦を後押ししているのかも知れない。

そしてこれまでの事を「もう一度整理しなおして」と言うところに辿り着くには少々時間もかかった。と言うか私はあまり人の話を聞かない。まあ性格なのだろうが。また別居親の多くは男性で中には妻に逃げられた寂しさなのか性欲丸出しで近付いてくるものもいる。当然女性なら誰でも警戒するし、少なくとも私の子どもの父親は「表面上では」そういうところを見せなかった。だから騙されたと言うよりも、そういう才能はあるのだから別の事で使えと言うだけでもある。

そうした中で一風変わったというか、かなりヘンな人がいた。見るからに私の苦手なものを絵に描いたような感じだ。離婚の経緯などは当然私とも違うが、唯一の共通点は「相手への暴力」が実際にあったと言う事だった。その暴力を散々に相手方に利用・悪用された私と違うのは、暴力があった事を認めつつ、その暴力が裁判所に於いて「真にやむを得なかった」事を立証していたのだ。どんな事があっても暴力は良くない。それで何かが解決するワケではないからだが私としては「仕方がなかったのだ」と言う事に気付く。とは言えやはり私の場合は事件化され、その事で味方もいなかった。共同親権推進派でございと正義の味方面して、別居親の中では人気のある弁護士ですら「事件のあったような方は困るんですよね」って当たり前のように言う。また子どもを拉致・誘拐し、相手に会わせない事で報復を企図する側は「暴力をでっち上げ」たり、直接の証拠がなければ「暴言」「精神的虐待」などを取り上げ執拗に攻撃してくる。国会で面会交流を法令で明記しようとしても、反対派は「暴力があるような場合はどうするのか」というロジックを展開してくる。また拉致・誘拐の被害者側でも「こちらには暴力などの問題はないのだから会わせるべきだ」という主張になりがちで、いくら子どもを誘拐されたからとはいえ、どうしても私のように「相手方にとってまさに都合よく」傷害事件まで起こしてくれたようなケースではどちらからも排除の対象とされかねない。「暴力がやむを得なかった」事を立証した当事者は、血の滲むような精査を繰り返し裏付けまで用意して随分と苦心されたそうだが、何よりも驚いたのは弁護士など用意せずに、最後まで本人訴訟・審判で全てをやってしまったと言う事である。確かに「事件の有ったような方」と言って依頼も受けない弁護士、まあ「そんな方」を引き受けて、負けるべくして負けて実績にキズがつく程度にしか考えないような弁護士に引き受けられても困るし、やる気がある弁護士でも時間をかけて掘り起こしつなげていくような気の遠くなるような作業は出来ないであろう。

ならば私自身がやるしかないのだが、私にはそこまでの能力とか才能はないのかあるいはこれまでは今までの事を思い出したくないと逃げていた。ところがその一風変わった変人(失礼!)に、これまでの経緯などを懇親会で断片的に伝えると、次々とおもしろいようにつなげていく。これもヘンな才能なのだろうか。と言うか懇親会は酒席だし、私はお酒を飲めないがその変人は浴びるように飲んでいて大丈夫かと思うような状態でである。「多分」とか「おそらく」とか言いながらも理路整然とつながっていく。十中八九とかではなく、十中九十、いや十中十十なのだ。その変人の暴力と私の暴力の違いだが、簡単に言えば「事件化(起訴)」されたかどうかでしかない。まずはその暴力時に警察に通報されたかどうかだ。その変人のお相手も暴力がキッカケで1週間入院している。もし警察に通報されていれば間違いなく取り調べを受けていただろう。もしその相手がそれ以前から離婚や子どもの拉致・誘拐を画策していれば絶好のチャンスとなるワケだ。ただ、そうではなく偶発的な出来事であり、当たり前だが普通であればそんな事で子どもの父親や母親を犯罪者としようとは考えない。

つまり、その前後を考察すれば明らかに仕掛けられたワナ、要は相手方やその代理人弁護士が初めから用意したシナリオに乗って動かされてしまったのだ。そう言う事を断片的な点からつなげていくが最初は本当に分からなかった。ただ、その理由や経緯を説明されれば多くの相手方の主張や供述には明らかな矛盾点が存在し、仕掛けが次々と明らかになっていく。相手方に負わせたケガというのも提出された病院の診断書では経過観察で入院も翌日には退院する程度のものであることが分かる。先の変人のケースでは1週間だがケガの程度に拠らず、暴力は良くないにしても死に至らしめたとか、後遺障害が生じると言うようなものではない。実際に事件を担当した検事も「夫婦げんかでは良くあることだし、起訴までするつもりもないから」とハッキリ言っていた。しかしながら「こちら(検察側)が説得しても事件の取り下げに同意してくれないので起訴しなければならなくなった」と言われ、裁判では執行猶予付きの有罪判決を受けた。別に有罪判決に不満があるものではない。

ただ、これで相手方は子どもと会わせないための「葵の印籠」を手に入れてしまったのだ。

相手方が前婚家庭の子とどのような関係があるのか、面会交流は出来ているのかと言う事は全く分からない。ただ我が国の現状や前婚家庭での経緯(相手方はあまりそう言う事を言わない性格なので断片的にしかわからない)などを考えれば、会えていない、または極めて不十分なものと容易に想像できる。

だから私との離婚を画策すれば子どもは奪うという計画の動機にもなる。

相手方の母トキヱにしても溺愛する末っ子の子である前婚家庭の子である孫と会えないのは寂しいだろう。溺愛息子とマザコンが結託する動機も十分だ。

そして指摘は続いたが「相手方には影の女がいるよ」と言う部分だ。まあそんな事は当初(その当時)から分かっていた。他の女との携帯電話のメールのやり取り内容も何度か見て喧嘩になったこともあったし、相手方自身も認めているように池袋に別宅を設けていたし、これまた相手方自身が認めていたように「俺って一人の女じゃ満足できないんだよな」とよく言っていたものだ。出稼ぎ労働者が何をほざくか、と今更ながら笑ってしまうが。確かに私と出会った時も前婚家庭がありながら、そのことを隠して近づいてきたのだから何も驚くことではないが。そこが他の状況からも(後で詳しく述べるが相手方は、私から親権を騙し取る直前に現在の内縁の妻と株式会社ライズを設立している)「ここまでつながるか」と言うのは、むしろ驚きだった。確かに断片的だし、その場も知らない見てない第三者だから「多分」とか言うけど、当事者の私からすれば100%真っ黒だ。

そして相手方からの手紙、事件の時の供述調書、裁判などに於ける主張書面それらから次々と陰謀が明らかになっていくのだ。これは「言った」「言わない」「あった」「ない」という水掛け論ではない。相手方が「出してきたもの」だ。私の捏造でもでっち上げでも想像でも妄想でもない。全てが事実なのだ。

子どもの拉致・誘拐時に警察を呼ばれる。これ実はかなり良く聞く話だ。確かに一方的な暴力などで生命の危険を感じ、やむ無く通報というケースはあるだろう。ただ警察としても通報があれば、それが何かおかしいと思っても出動しないと言う事は出来ない。明らかに「狂言」と確信できるような場合でもだ。相手方は「警察を呼んだ理由」を検察での被害者からの聴取に際しての供述調書では「口げんかのあとに」「子どもと買物に行っている時に」と明確に記してある。当日、口げんかと言うことに関してはそんな事実もないが(相手方は、私が「怒るように仕向け」ていていたので私は無視され会話すらなかったのだから)、買物に行ったのは事実である。近隣スーパーに自転車で往復してせいぜい30分程度。長くても1時間はかかっていない。早くに出かけて夜まで長時間帰宅しないというなら事件に巻き込まれたのかと心配するだろうが、常識的に考えても子どもと買物に出かけて小一時間程度戻らないというだけで警察に通報するだろうか。

ところがその後になって主張がコロコロ変化する。検察の被害者の聴取では当然だが「弁護士などは同席」しない。なので本当の事を言ってしまったのだろう。ただ離婚や親権を争う場でその点を突かれては困る。だから代理人弁護士の「添削」で私を凶悪な犯罪者とする主張を練り上げたのだ。

その変遷には恐ろしいものがある。一つは私が自宅に放火し相手方と子どもを焼き殺そうとしたと言うものだ。これは相手方が週に1回程度しか自宅には戻らず、仕事なのかなんなのか分からないが、たまに帰宅しても部屋に閉じこもったり、何も言わずに出かけたと思うと随分経ってから違法な賭博(パチンコ)してたとかで正直家族としての会話はなかった。相手方はキレイ好きだったし、私は確かに嫌がらせではあるが、相手方の靴に灰を入れて汚損させた。まあタバコの灰でもなんでもいいわけだが、私も相手方もタバコは吸わないし、入れたのは手近にあった広告を燃やしたものである。嫌がらせは良くないにしても、相手方に危害を与えるようなものでもない。ただキレイ好きなだけに「イヤ」ではあったのだろうが。実際に当初の供述でも相手方がハッキリと「チラシの燃えかす」と記している。しかしそれが結果責任によっては極刑もあり得る放火という話にどうしてすり替わるのか。この矛盾にしても私としては「そう思われてしまうんだ」という絶望感しかなかったけど、言われて見ればおかしな話だ。ここは責めても仕方がないが当時の私の代理人弁護士もどうしてこういう矛盾に気付かないのか。もちろん2番目の弁護士はよくやってくれた。放火の件にしても「明らかに飛躍のし過ぎ」という文書を出しているが、残念ながら「相手にケガを負わせた有罪事件」という根底もあり十分な立証とはなり得なかったのだろうか。弁護士側としても仕事上の遣り取りであり、当事者同士の見方という点からはやはり心許ない。

「おそらく相手方は代理人弁護士からチラシの燃えかすじゃいくらなんでも子どものようないたずらに腹を立てただけのものだから、ここは放火くらいに誇張して凶悪犯に仕上げたんだ」という変人の見解だが、相手方の主張の変遷を見るにつけそんなものは「おそらく」などではない。間違いのない出来事だ。私からすればブラック弁護士・木村「真実」と相手方の悪の共謀の声がまさに聞こえた思いだった。

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