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わたしは自分の誕生日が怖い

わたしは自分の誕生日がこわい

お祝いしてもらえなかったら
悲しすぎるから
誰にも言いたくないと思ってしまう

今までそんな孤独な誕生日を
送ってきたのかといえば
まったくそうじゃない

むしろ毎年慎ましやかではあれ
愛情こめてお祝いしてもらってきた

特に子どもが生まれてからは
夫と子どもたちが
毎年全力でお祝いしてくれるから
毎年、本当にしあわせだった

夫が亡くなってからも
子どもたちが愛をいっぱいくれるから
やっぱりめっちゃしあわせ

それでも誕生日がいまだ怖いのは
18歳の頃の記憶が関係している


18歳の誕生日
たしかあれは火曜日か水曜日
週の半ばあたりの平日で
当時わたしは高校生だった

その日はたまたま遠足で
コミュ症のわたしは
それなりに楽しかったけれど
心底疲れ果て

家族がご馳走を用意して
待っている温かいお家に
早く帰りたくて仕方なかった

でもお腹を空かせて
遠足から一目散に帰ってきた
わたしが目にしたのは
ご馳走のごの字もない
おそろしく質素な
茶色い煮物の普通の夕食だった

わたしはグラタンが大好物で
グラタンを作るのって
グラタンの素を使えば
おそろしく簡単じゃん?

そんな簡単なものさえもなく
買ってきた唐揚げとかもなく
そこには『おめでとう㊗️』の雰囲気が
1ミリもなかったんだ

驚いて母に聞いたら
「誕生日のお祝いは日曜日に外食したでしょ?」
って。

確かにその前の日曜日、
家族で中華を食べに行った
特にわたしの希望でもなく‥
あれがわたしのお祝い?

母はわたしが生まれてきてくれて嬉しいとか
ここまで大きくなってくれて感無量とか
わたしに対してそんな温かい気持ちが
1ミリもないんだなってことを痛烈に思い知って
哀しくて涙が込み上げた

買ってきた唐揚げでも
小さなお花でも
その辺の紙に走り書きした手紙でも
何でもいいんだよ

ただ「あなたがいてくれて嬉しい」
その気持ちがほしかった

それまで もしかしたら17回は
ちゃんとお祝いしてくれてて
たった一回
お祝いしてくれなかったのかもしれない

その17回の喜びをすっかり忘れて
たった1回の悲しい出来事を
後生大事に抱えてるわたしは
自分でもどうかと思う

でもあれは忘れられない出来事

「わたしは愛されるに値しない人間なんだ」
って心に焼きついた
わたしの「無価値観」を象徴するできごと

いまだに誕生日のたびに思い出して
あんな思いは二度とごめんだって恐怖から
自分を祝うことに全力を尽くしてしまう

子どもたちの誕生日も
あんな思いは絶対にさせたくないから
全力で祝う

でもそろそろ
この記憶、手放していきたい

もう私を傷付ける人はいないのだし
わたしは自分で自分を大切にできるのだから

あのとき感じた哀しみ、無価値観、孤独に
寄り添って寄り添って寄り添って

自分にどこまでも
優しさと思いやりを向けていこう

もうそろそろ終わりにしよう

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