I am OK! You are OK!!
夫が亡くなってからの1年間、私を本当に親身になって支えてくれたのは、子供の習い事で出会ったママ友だった。
彼女とはそれまで子供の習い事の間に話す程度。
二人で会ったりしたことはなかった。
そんな彼女が私が苦しんでいる時本当に親身なって支えてくれた。
家にお悔やみを言いにきてくれて、それから定期的に月に1度くらいのペースで会っては何時間も話をした。
彼女は私とは正反対のタイプ。
明るくて元気いっぱいで、心も身体も健康で、素晴らしい母親に育てられて心がいつも安定している人だった。
彼女と話していると本当に楽しくて、そして心が癒される感覚があった。
そして彼女は生来人の話を聞くのが好きな人で、いつでも「人を助けたい」という思いを持ち合わせている稀有な人だった。
彼女はいつだって徹底して私の味方でいてくれた。そしていつも同じ態度で関わってくれた。
過去の出来事を話しても「それは大変だったね〜、嫌だったね〜。私なら泣いちゃうよ。ほんとによく頑張ったね。」と言ってくれるものだから、「あぁ、あの出来事は本当におかしな出来事で私の感覚は間違っていなかったんだ」と思えて過去の私まで癒されていった。
彼女にとっても、正反対の私と話すことで自分では思いつかない視点が得られ、過去の出来事が癒されることもあったようだった。
なぜそんな心地よい関係が築けたのか自分でも分からなかったけれど、この言葉に出会ってその訳がようやく分かった。
I am OK! You are OK!
彼女の大前提にはこの言葉が自然とあったのだ。だから心地よい関係が築けていたのだと気付いた。
思い返せば私は最近までずっと「I am not OK」「I am bad」だった。
自分はいつだって間違っている。自分が悪いと思い込んで生きてきた。
でもここ数年自分を見つめてくる過程で、それは生育過程で植え付けられた単なる思い込みであると気が付いた。
そして少しずつ「I am OK!」の感覚を持てるようになってきていた。
でも何十年も大事に持ち続けてきた「I am bad」の感覚はそう簡単に手放せるものじゃない。
相手から「You are bad」と言われてしまえば、たちまち私は小さな頃の無力な自分に戻って「やっぱり私が悪いんだ」「私がおかしいんだ」と落ち込んでしまう。
だから関わる人はとても重要で、最近距離を取ったり関わりを止めたりした関係は、必ず私の「I am bad」の感覚と、相手からの「You are bad」の感覚が含まれていた。
母親や妹とも距離をとっていることも、全てこの関係で説明がついた。
大切な人からの「You are NG」の烙印は本当に心が削られるのだ。
私は自分で自分の心を守らなければならない。
だから家族であっても、これ以上これらの烙印を押されるわけにはいかない。
私は、私の中の「I am OK!」の感覚を育てるために関わる人を選ばなければならない。選んでいいのだ。
私を支えてくれた彼女は先日、旦那さんの転勤で遠くへお引越ししていった。
私の喪失感は半端ない。けれど大丈夫。
彼女が教えてくれた安定的な関わり、「I am OK! You are OK!」の感覚を頼りに次の人間関係もきっと良い関係を築いていけるはず。そう私は希望を抱いている。
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