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親といるとなぜか苦しい

リンジー・C・ギブソン著
「親といるとなぜかくるしい」を読んだ。

大切にゆっくりと、染み込ませるように読んだ。

そして深く納得した。


「私の親は精神的に未熟な親だったのだ」と。


精神的に未熟な親は、物理的なニーズに応えることはできるけれど、精神的なニーズを満たすことはできない。

例えば風邪を引いた子どもを病院に連れていくことはできる。でも病気で不安定になっている子供の気持ちに寄り添って共感して、安心させてあげることはできない。

物理的なニーズをきっちりと満たしてもらっているが故に、親が精神的なニーズを満たすことができない未熟な精神の持ち主だということに気付くことはとても難しい。

そんな時子供は、親が寄り添ったり共感したりといった精神的な繋がりを持ってくれないのは自分自身に問題があるからだと感じる。親に問題があるなんて子供は夢にも思わない。

努力して親の望む自分になればいつの日か、親と心を通わせることができる、分かりあうことができると夢見てしまう。

大人になっても、自分が親になってさえ、その夢は醒めない。

いつまでも親と心が通い合う日を夢見て努力しては裏切られ傷付くことを繰り返す。


しかし実際は親は精神的に未熟であるから、他人の気持ちを推測ったり共感したり心が通わせたりすることはできない。私が見てきた夢は一生叶わない。

この本は、そのことに気付くことができる本だ。

精神的に未熟な人は自分の心を顧みることがない。内省しない人は精神的に成長することはないし、自分の気持ちを無視して分かっていないのだから他人の気持ちも分からない。

私が選択できることは、親の未熟さを受け入れて精神的な繋がりを持つことを諦めることだった。

絶対に叶えられない夢を追い続けるのはしんどい。期待するから裏切られる。期待するから傷付く。

親の未熟さを受け入れて、期待することをやめれば、私はもう傷付かない。

親には限界があって、それを受け入れることは自分の心を自由にすることだ。

できないことを期待しない、そんな当たり前のことにようやく気付けた。

ようやく私は親から自由になれた。


この本で私がとても参考になったのは、最後の章にある「精神的に成熟した人の特徴」だ。

何せ、精神的に未熟な親に育てられ、私自身もついこの間まで本当に未熟で、周りもそんな人たちばかりだった。

だから精神的に成熟した人をあまり知らない。
知らないと、ついつい慣れ親しんだ「未熟さ」に安心を感じてしまう自分に引っ張られそうになる。それが今まで繰り返してきたパターンだと気付き、そこから自分の意思で出なければならない。その時、精神的に成熟した人の特徴を知っておくことは今後の人間関係を築く上で大切な道標になる。


もう精神的に未熟な人とは関わらない。
慣れ親しんだパターンに戻らないと強く決意して自分を常に「観察」することが必要だ。

「観察」とは決して受動的なものではなく、私を守る積極的でパワフルな行動だから。






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