「人と違う人」になった気分はどうだ?
人と違う、変わってる人になりたかった。
そして今、私を構成する要素は、結構マイナーなものである。
・毒親育ち、からの家出
・鬱病経験、閉鎖病棟に入院
・住み込みバイトで出会った男性と同居
・ただし、その男性とは特段恋人ではない、名前のない親密な関係
・好きな趣味は知名度が低い
・男性、女性ともに恋愛対象になりうる
・ユニセックスな服装が好き
"変わってるね!"と人に言われることが多々ある。
かつて、変わってる人になりたかった私は、その評価について愛想笑いを返すことしかできない。
変わってる人になりたかった私と、
変わってる人になったらしい私が見えている世界は、
特に変わらないからだ。
どうして、変わってる人になりたかったのだろう。
多分、注目されたかったから。目立ちたかったから。
私の友人は、変人が多い。そして彼らは、なにかしらの得意分野があった。
絵、歌、楽器、演技、動画編集、勉強、手芸、などなど…。
いい友達に囲まれて過ごした私は、本当にただ平凡なスキルしかなかったのだ。もちろん、ずっと劣等感は消えなかった。自分は大した人間じゃない、と幻聴が聞こえている気分。結局それは自分の声なのだけど。
だって、差別されたことはない。大したこと無い人間として嘲笑されたことはない。なのに、引け目を感じて卑屈になっていたのは、自分自身の声しか聞こえていなかったから。
「ああ、変わってる人になれたら、こんな思いしなくていいのに」
常々、友達を見ながらそう思っていた気がする。
1のプロと10の凡人
そんなことを漏らした私に、当時の親友は言った。
「なんでも平均でこなせるほうが、羨ましいよ」
その子は、絵を描くのが上手だった。一つの絵にとても時間をかけて、細部にこだわって、こだわって、描く子だった。
私はいつも、早く仕上がってしまう。だから、こだわって描けるその子が羨ましかったのに、平均でこなせるほうが羨ましいと言われたのだ。
そうか、そうなのか。
軽くショックを受けたことを覚えている。
でも、1しかできなくても、10できる凡人より、1のプロになりたかった。
変わってる人になってみて、私は変わったか?
この問いには、Noと答えるより他に解答はない。
けっきょく、自分は大したこと無いつまらない人間だ。
面白みのない、生きていても価値がない人間だ。
変わってる人になれば、自分のことを価値があると見いだせたのかもしれない。だけど、やっぱり関係なかったみたいで。
割と多くの人が経験しないことを持っている自分。その経験を広めたり、同じ悩みを抱える人に寄り添うことは、できるのかもしれない。
これから、どう生きていきたいのだろう。
そう思った時に、凡人の私には、まだやりたいことが見当たらないのだ。
と、考える仕事帰りの夕暮れでした。
ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!